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2016年8月 9日 (火)

栄光への架け橋再び

sports体操の男子団体総合で悲願の金メダル獲得。
栄光への架け橋再び
「体操ニッポン」を知っている世代には、とても嬉しいニュースです。
私などは、遠藤幸雄・加藤沢男・監物永三の時代ですから。
面白い記事を見つけました。
個人競技とて、チームのメンバーの思いがいかに大切かと・・。
内村の頭の中には、2004年アテネ五輪体操男子団体総合の日本の金メダルは鮮烈な
記憶として刻まれている。
中学卒業を機に長崎から上京し、朝日生命で練習に励んでいた頃。
「金を取ることのすごさは高校生だから分かるし、うまくなるために東京に出て来ていた。いろいろ重なってすごい衝撃度だった」。
そこから内村の目標はぶれたことがない。
しかし、一緒に戦う他のメンバーは団体の金に対して、内村と同じレベルの渇望感を抱いてはいなかった。
12年ロンドン五輪で内村がオーバーペース気味だったのも、周りとの温度差を感じ、「自分がやることで気付いてくれるかな」という思いがあったからだった。
その差が、14年の世界選手権で一気に縮まった。
男子団体総合で、日本は地元の中国に0.100点差で敗れて2位だった。
日本は5種目を終えた時点でトップに立ち、中国より先に演技した鉄棒もミスなく終え 、勝利を確信していたが、まさかの逆転負け。
内村は開いた口がふさがらず、加藤、田中、白井もぼうぜんと電光掲示板を見詰めた。
加藤の父で、日本代表コーチの裕之さんは、表彰式でもらった花束を悔しそうに放り投げた加藤が「航平さんはいつもこういう気持ちだったんだね」と言ったのを覚えている。
白井は大会前、「航平さんが団体第一と言っていたので、あまりよく分からないまま、団体優勝したいと言っていた」。
白井も、経験したことがないほどの悔しさを味わい、団体戦への思いが募った。
翌年の世界選手権で内村、加藤、田中、白井は今度は優勝の喜びを分かち合い、さらにまとまった。
アテネ五輪で主将を務めた米田功さんは当時、一丸となって金メダルを目指すために「金メダルに関わる会話をずっとしておきたかった。違う話をしていたら、そっちに向かわせるよう意識した」ことが結果につながったという。
予選で4位と出遅れたが、一つの目標の下に結束した5人は決勝で見事に挽回してみせ 、大輪の花を咲かせた。

・・・演技するのは一人一人でも、それぞれの思いがまとまっていなければ、良い落語会にはなりません。
チームワーク、チームプレーが必要なんです。
噺の全体を掴むのと同様、会の全体を理解しないと、落語も上手くなれないと思います。

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