怪談を演じるとき
瀧口雅仁さんが、興味深いツイートをしています。
「真景累ヶ淵」にしても「怪談牡丹燈籠」にしても、聴いていて「?」と思う演者は、大抵は抜き読み部分だけしか演じない場合が多いように思う。
物語の全体像や人物の相関図ばかりでなく、場面による心情の変化等といったものを掴み切れていなかったりといった具合にだ。
演じない部分をも演じる必要性。
仰る通りです!
まがりなりにも怪談の抜き語りを演らせていただいて実感します。
怪談に限らず、噺はまず全体をしっかり掴まないと、小さく、パッチワークのようになってしまいます。
言葉を暗記するのではなく、場面や感情を意識して組み立てることが重要だと思います。
師匠も常々仰っています。
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