文七元結の"噺枕"
噺のマクラではなく、"噺枕"です。
"歌枕"というのは、和歌の題材となっている名所旧跡のことですが、私は、落語に出て来る場所を"噺枕"と勝手に呼んでいます。
そこで、「文七元結」の”噺枕”を地図で訪ねてみようと。
吉原の「佐野槌」という大店は実在していたようです。
大門(緑の○印)をくぐり最初の大きな十字路が江戸町一丁目。
ここを右に曲がってすぐの左側(赤の○印)が「佐野槌」です。
娘のお久の親孝行により、女将さんから50両を借りた左官の長兵衛は、全盛の吉原を後にします。
闇の夜は 吉原ばかり 月夜かな
大門を出て、見返り柳を後ろに、土手の道哲を右に、待乳山聖天の森を左に、山の宿から花川戸、左に曲がる吾妻橋・・・。
一方、文七は、隅田公園あたりにあった、水戸の下屋敷で売掛け金50両を受け取って(つもりで)、枕橋へかかります。
向こうから来た男に50両を盗られ(たと思い)、吾妻橋から身を投げようとしている。
そこへ、偶然、長兵衛が通りかかる。
長兵衛は、吾妻橋を渡って右に曲がり、本所達磨横丁の長屋へ帰る途中。
ついでに、長兵衛が現を抜かした博打場は、"恐竜のウンチ"のアサヒビールあたりにあった細川家の下屋敷の中間部屋でした。
当時は、駒形橋も言問橋も架かっていなかったはずですから、吾妻橋がスクランブル交差点のようになっていたのでしょう。
ちょうど、東京スカイツリーから見下ろす場所で、この人情噺が展開されます。
江戸時代と現代とを見比べながら、噺の展開に思いを馳せるのも楽しいものです。
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