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2016年2月 1日 (月)

師匠との雑談

扇子っ子連の千早亭大三九さんによるイラストです。
左が師匠で、右は私(とわくん)です。
師匠との雑談 nn
昨日の稽古で色々話していただいたことをまとめてみました。
師匠との雑談師匠との雑談
新参さんと百梅さんの稽古の合間や、マクラの腰を折って、稽古せずに雑談になってしまいました。
まずは、新参さんが「花色木綿」のマクラで、マンションで防犯カメラは設置したが、監視カメラの設置は管理組合で否決された話題から、インターネットの話題へ。
師匠は、パソコン通信時代から、インターネットなどに詳しいので、個人情報の漏洩などの話題に広がります。
世の中便利になったという観点から、噺をどうやって覚えたか・高座本(ネタ帳)は作ったかという話題に。
師匠は、三編稽古をしてもらった後、ノートや紙に手書きして噺を覚えたそうです。
我々も落研時代は、音源も書物も限られた中で、手でネタ本を作るのが一般的だった。
自分の手で書いた方が覚えやすかった。
ただ、中には、速記本をそのままコピーする"怠け者"もいたと。
最近は、音源や本から写すのでも、パソコン(ワープロ)で入力するので、それならば本をコピーするのとあのり変わらない気がする。
私も、以前は手書き、師匠に習い始めた頃はパソコンで作っていたが、今は師匠の高座本を使わせていただいている。
師匠の若い頃は、ノートに書き、見開きのページを白紙にしておき、訂正したり、加筆したりするスペースにしていた。
師匠も、そういうノートがたくさんあったそうです。
圓生師匠はどうだったのかお聞きすると、高座本・ネタ本という類のものは全くなかったそうです。
えっ?それじゃああの膨大な持ちネタは何処にあったのですかと尋ねると、全てうちの師匠の頭の中だよ。
へぇぇ、どういう頭の構造なんですかね?
幼い頃から、義太夫や唄や踊りなどの芸事に囲まれて育ったから、聞いただけで覚えて整理できる引き出しが頭の中にあったんだね。
だから、うちの師匠は、文楽師匠などと違って、すぐその場で噺を演ることが出来た。
物凄い人だったと。
そういう圓窓師匠も、真打昇進の時は、一人だけの昇進で、当時は定席の寄席が7ヶ所あったから、毎日演目を変えて演れば、最低70以上の持ちネタが必要だった。
勿論、寄席でネタ出しはしないから、自分の前に出た人にやられてしまうこともあるから、持ちネタはもっと必要。
圓窓師匠は、70席全て違うネタで主任を取ったそうです。
真打披露で、全て違う演目で演ったのは、師匠だけのようです。
そんな訳で、前日には、最低3席のネタをおさらいしておいて寄席に臨んだそうです。
しかし、披露初日の鈴本で「尻餅」、途中の池袋で、同級生たちが大勢来てくれた時に「紫檀楼古木」を演っさた以外は、全く記憶がないそうですから、さぞや緊張の毎日だったことでしょう。
・・・まだまだ芸談は続きました。

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