河北新報の桂友楽師匠の記事
仙台の走れ家駄馬師匠から、OBの桂友楽師匠の落語活動が、河北新報に掲載されたとお聞きしました。
<せんだい ひと模様>
<せんだい ひと模様>
わらいで地域に活気/人情や歴史遺産伝える
◎アマチュア落語家 大友健弘さん
少年時代に出合った落語が生涯の友となった。
一線を退いた10年前からは地元仙台で落語会や落語教室の師匠を務め、自らも演じる。
高座名「桂友楽」こと大友健弘さんは創作落語にも意欲を燃やし、地域の歴史を築いた人物や宝に光を当てる。
「笑いは街を活気づける」と語り、仙台に落語の裾野を広げようと日々奔走する。
<演じ手育てる>
青葉区八幡の文化施設「八幡杜の館」を会場に、地元の「八幡地区まちづくり協議会」などが2007年から、地域寄席を年2回ほど催してきた。
ご意見番が大友さんだ。
大崎八幡宮の門前町は落語がよく似合う。
演じ手である東北、東北学院両大学の落語研究会(落研)のメンバーも加わり、地域の子どもたちに落語を手ほどき。
高座に挑む小さな弟子に大友さんが「八幡亭」の名前を贈る。
「晴れ舞台を親や祖父母が見に来る。
笑いを潤滑油に3世代交流が実現した」と手応えを語る。
落語でおなじみなのが、長屋暮らしの人情ばなし。
プライバシーは筒抜けで、普段は憎まれ口をたたくけれど、いざというとき頼れるのは向こう三軒両隣だ。
「自分も1人暮らし。東日本大震災ではご近所に支えられた。笑いを通じて『近助』の大切さ、ありがたみも伝えたい」
09年からは仙台の先人や歴史遺産を創作落語に仕立て、功績を語り継いでいる。
米国の見聞録を著した幕末の仙台藩士・玉虫左太夫、藩祖伊達政宗の命で慶長遣欧使節団を率いた支倉常長、政宗により開削された四ツ谷用水を題材に選んだ。
「現場で人に会って話を聞き、歴史を掘り起こす楽しさに目覚めた」。
今は商売繁盛の福の神・仙台四郎に挑んでいるが、残る文献が少ないのが悩みだ。
<仮設でも一席>
仙台市出身。
小学生のころ、ラジオから流れる落語に夢中になった。
東北大に進み、草創期の落研で活躍。落語家を志して「昭和の名人」と呼ばれた東京の桂文楽師匠の元に通い詰める。
名字にちなみ「友楽」を襲名したまではよかったが、師匠のおかみさんから一言。
「はなし家じゃ食べていけないよ。せっかく大学まで行ったのだからサラリーマンにおなんなさい」
就職した電電公社(現NTT)で大きな仕事を任され、落語から徐々に遠ざかる。
「それでも落語で培った人脈はつながっていた」。
定年を迎えた05年、「笑いで古里を盛り上げたい」と「桂友楽」が勇躍動きだす。
被災地に足を運び、仮設住宅などで落語を一席。
仙台市中心部のカルチャーセンターでは初心者に落語の技術と楽しさを教える。
「次代の演じ手を育てるのが私の役目。志を同じくする仲間を増やしたい」。 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151212_13065.html
・・・地元に根を張って活動される友楽師匠が、本当に羨ましく思います。
落研のことも色々考えていてくださり、時々葉書をくださいます。
電信電話の会社の勤務されていた人なのに、電話やメールではなく郵便でというのが、これまた"らしく"て面白いんです。
◎アマチュア落語家 大友健弘さん
少年時代に出合った落語が生涯の友となった。
一線を退いた10年前からは地元仙台で落語会や落語教室の師匠を務め、自らも演じる。
高座名「桂友楽」こと大友健弘さんは創作落語にも意欲を燃やし、地域の歴史を築いた人物や宝に光を当てる。
「笑いは街を活気づける」と語り、仙台に落語の裾野を広げようと日々奔走する。
<演じ手育てる>
青葉区八幡の文化施設「八幡杜の館」を会場に、地元の「八幡地区まちづくり協議会」などが2007年から、地域寄席を年2回ほど催してきた。
ご意見番が大友さんだ。
大崎八幡宮の門前町は落語がよく似合う。
演じ手である東北、東北学院両大学の落語研究会(落研)のメンバーも加わり、地域の子どもたちに落語を手ほどき。
高座に挑む小さな弟子に大友さんが「八幡亭」の名前を贈る。
「晴れ舞台を親や祖父母が見に来る。
笑いを潤滑油に3世代交流が実現した」と手応えを語る。
落語でおなじみなのが、長屋暮らしの人情ばなし。
プライバシーは筒抜けで、普段は憎まれ口をたたくけれど、いざというとき頼れるのは向こう三軒両隣だ。
「自分も1人暮らし。東日本大震災ではご近所に支えられた。笑いを通じて『近助』の大切さ、ありがたみも伝えたい」
09年からは仙台の先人や歴史遺産を創作落語に仕立て、功績を語り継いでいる。
米国の見聞録を著した幕末の仙台藩士・玉虫左太夫、藩祖伊達政宗の命で慶長遣欧使節団を率いた支倉常長、政宗により開削された四ツ谷用水を題材に選んだ。
「現場で人に会って話を聞き、歴史を掘り起こす楽しさに目覚めた」。
今は商売繁盛の福の神・仙台四郎に挑んでいるが、残る文献が少ないのが悩みだ。
<仮設でも一席>
仙台市出身。
小学生のころ、ラジオから流れる落語に夢中になった。
東北大に進み、草創期の落研で活躍。落語家を志して「昭和の名人」と呼ばれた東京の桂文楽師匠の元に通い詰める。
名字にちなみ「友楽」を襲名したまではよかったが、師匠のおかみさんから一言。
「はなし家じゃ食べていけないよ。せっかく大学まで行ったのだからサラリーマンにおなんなさい」
就職した電電公社(現NTT)で大きな仕事を任され、落語から徐々に遠ざかる。
「それでも落語で培った人脈はつながっていた」。
定年を迎えた05年、「笑いで古里を盛り上げたい」と「桂友楽」が勇躍動きだす。
被災地に足を運び、仮設住宅などで落語を一席。
仙台市中心部のカルチャーセンターでは初心者に落語の技術と楽しさを教える。
「次代の演じ手を育てるのが私の役目。志を同じくする仲間を増やしたい」。 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151212_13065.html
・・・地元に根を張って活動される友楽師匠が、本当に羨ましく思います。
落研のことも色々考えていてくださり、時々葉書をくださいます。
電信電話の会社の勤務されていた人なのに、電話やメールではなく郵便でというのが、これまた"らしく"て面白いんです。
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