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2015年12月30日 (水)

噺の聴き手

penこんなツイートが目に止まりました。
一昨日聴いた龍玉師匠の「双蝶々」は本当に良かったな。
よく長吉は本当は悪い人間ではなくて、寂しさから悪事に走ったみたいな解釈をする人がいるけど、どういう聴き方をしているのだろう。あれは根っからの救いようのない小悪党だから成立している噺なのに。
結局のところ、聴き手はそれぞれの許容度でしか噺を受け止めることができない。
噺家さんがすごく高度なものを提示してくれたとしても、僕は自分の位置までその噺を引き下げて聴くことになる。
そう考えると、安易にあの芸人は下手だとか言えない。
それは客の聴き方が下手なだけかもしれないのだ。

・・・なるほど。
確かに、小雀長吉は、生来の悪者だと私も思います。
落語の世界は、真の悪人もいないし人殺しもない・・・というのがベースですが、怪談や円朝物、講釈や芝居から翻案された噺は例外ですから、本当のワルもありと言うことです。
理屈では到底説明できない、人間の業というのがある。
勿論、現代とは違う時代背景、それに伴う習慣や掟もある。
聴き手に上手さを求められるのも、分かる気がする。
私も、まだまだ未熟だから、理解出来ない、到達できない位置で聴くことが出来ないでいるのかもしれない。
聴き手ですらそうなのですから、演じる側に回った時に求められる高みというのは、実に遥か彼方にあるのかもしれません。
最近、何となく、それを感じます。

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