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2015年11月22日 (日)

講談(講釈)の団体

先日の「学士会落語会」で、神田松鯉先生の講釈を聴かせていただきました。
勿論、今までも講談を聴いたことはあります。
外見も落語に似ている演芸ですし、それぞれ演目が重複しているものも多くあります。
ところが、講談のことは全く知りません。
東京に、「講談協会」と「日本講談協会」の2つの団体があるのは知っていました。
落語と同じなんだなぁ、という程度でした。
講談の起源は戦国時代の御伽衆であると言われているが、寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈に求めることができる。
辻講釈は太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語るものである。

学士会落語会例会
宝永年間には公許の常設小屋で上演されるようになり、「講釈」と呼ばれるようになった。文政年間には話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生した。
他の芸能との交流も進み、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。
明治時代以降、講釈は講談と呼ばれるようになった。
江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎えた。
明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ。
(その出版社の中に、講談社がある。講談本の成功ですぐに大手出版社になった。)
また、新聞や雑誌に講談が連載されるようにもなった。
しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰微していった。
第二次大戦後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものが上演を禁止され、一時は大きな影響を受けた。
その後テレビの普及によりやはり衰退を続けた。

・・・歴史はこんな感じでしょうか。
講談師の所属団体には「講談協会」と「日本講談協会」がある。
定席は本牧亭と永谷商事の演芸場があったが、本牧亭は閉場(のちに破産)。
一部の講談師は落語芸術協会や落語協会にも所属し、落語定席に出演している。
落語界と比較して女性の進出がめざましく、講談協会・日本講談協会、いずれも男性より女性の協会員のほうが多い。
特に若手の入門者は女性が圧倒的に多く、1989年から2012年まで、男性真打ちが一人も誕生しなかったほどである。

・・・これが最近の歴史。
ところで、講談の団体は、何度も分裂騒動があったそうです。
昭和48年に「ポルノ講談」がきっかけで、講談協会が分裂。
その後55年に統一されましたが、平成三年に再び分裂・・・。
「ポルノ講談」問題というのは、天の夕づるという女流講釈師が主役だったようです。
この人は、田辺一鶴に入門して田辺夕鶴。
その後破門。神田山陽一門となり、天の夕づると改名。

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ポルノ講談金色夜叉、ファニーヒル、金瓶梅、源氏物語等のポルノ講談をやる。
ところが、色々な所で脱ぐ。

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しかし、本牧亭では許されない。

何と言っても、講釈師の歌舞伎座、檜舞台ですから。
その舞台で、同しストリップ紛いなことを演った講釈師の後へは出られないと、反対する人が増えた。
しかし、中には、若い客を集めなければという訳で、肯定的な意見もあって対立。
協会解散動議が出され、二つ目以上の投票を行った結果、14対6で協会解散が可決された。
これにより、明治14年以来、92年の歴史を持つ講談協会は二派に分裂。
一鶴一門と山陽一門が日本講談協会を設立した。
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その後も色々あったようです。
それにしても、一人の女性の芸人さんが、組織を分裂させたのですから、物凄いインパクトだったのでしよう。
落語にも共通することですが、守旧派と革新(際物)派との衝突のようです。
確かに、落語でも、女性の噺家さんが高座で着物を脱ぎながら落語を演ったら、注目はされるでしょう。
新しいものを取り入れることは常に必要ですが、それには演芸というカテゴリーを考えたら、相応の節度は必要だと思います。
でも、そんな講談界が、今や女流講釈師の方が多いというのも皮肉だと思います。

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