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2015年10月29日 (木)

お世話になった飲み屋さん

maple仙台は学生の街で、我々のような下宿生にとってはとても優しい街でした。
街の人たちは、「(とんぺいの)学生さん」と呼んで、可愛がってくださいました。
学生証を提示すればタダ(出世払い)で酒を飲ませてくれる・・という都市伝説もありました。
ちなみに、「とんぺい」と言うのは「東北大学」のこと。
「杜の家とん平」というのが、落研の由緒ある高座名になっている由縁です。
学生さんは、その寛容さに甘えて、羽目を外したり、バカをやったりするのが学生の特権だとばかり、随分とんでもないことをやったものです。
それが、「武勇伝」となって、自慢のタネにしていたのですから、厄介です。
あの頃は、全国的にバカをやる学生の最右翼というのが、「オチケン」でした。
お行儀のよい部活やサークルの中で、軽蔑・自虐的に、バカは「オチケン」が担ってい た気がします。
先輩方に聞いても、生協の食堂のサンプルメニューを食べたとか、県庁の花時計の針を壊したとか・・。
真偽のほどはともかく、自慢気に語られていました。
勿論、コンパでの一気飲みというのは、「喜楽寿司」の寿司鉢に熱燗を注いで。
でも、不思議と何事も起こらなかったのは、大騒ぎをしながらも、本人も周囲も、それぞれの酒量が分かっていて、阿吽の匙加減があったからなんだと思います。
決して強要はされませんでしたから。
そうやって、酒の飲み方や量を身体で覚えさせてくれたのでしょう。
酒好きの部員は、部会の都度、勿論発表会の後には、一番丁あたりに繰り出しました。
まだ、国分町で飲めるほどではないので、せいぜい稲荷小路あたりまででしたか・・・ 。
最近店じまいした「ツルヤ」さんも、中でも親しい店でした。Image6
我々の世代で印象に残っているのは、稲荷小路の「菊水」と国分町の「登喜和」でしょうか。
「菊水」は、中年の親方が一人で切り盛りしているカウンター中心の居酒屋。
元々、何度か行ったことはあったのですが、急に親しくなったのは、1年後輩の下町亭楽生さんでしょう。
飲みに行くだけでなく、毎年1月に行われる大崎八幡神社のどんと祭の「裸参り」に一緒に参加するようになりました。
「登喜和」は、二次会の場所を探して、同期の多趣味亭こり生さんと宝亭六方さんが飛び込みで見つけた店です。
確か、「お銚子熱燗1本150円だから」「深夜2時までやってるから」が、とりあえず選んだ理由だったと記憶しています。
勘定は、貧乏学生にとっては大きなポイントで、以前、国分町の大人が行くような店に同期4人で入って、勘定が足りなくなり、仕方なく私と風流亭花鳥さんが"人質"になって、六方さんとこり生さんに、下宿にお金を取りに行てもらったことがあったので・・・。
ここは、座敷中心の宴会も出来るやや広い店で、着物を着た女将さんと2〜3人のおばさんがいる賑やかな店でした。
私は、大学を卒業して就職してからも、仙台に着任だったので、頻繁に通いました。
職場の上司や同僚も連れて行くようになりました。
そのうちに女将さんとも親しくなり、地元でタクシー会社なども経営しているなんていう話も聞きました。
その後、私が転勤してから、何度か連れて行った同僚の女性社員とこの女将さんの長男が結婚したと聞きました。
この店には、我々が「ばあや」と呼んでいたAさんというおばさんがいました。
とても気さくなおばさんで、我々を「○○君」と呼んでくれるようにもなりました。
私が、初めての転勤で仙台を離れる時、仙台駅のホームまで、大きなおにぎりを作って見送りに来てくれました。
上京する「L特急ひばり」の車中で、泣きながらおにぎりを頬張りました。
このAさんは、宝亭六方さんが自分の結婚披露宴に招待したりで、卒業後に仙台を離れても親しくさせてもらいました。
でも、この「ばあや」に一番お世話になったのは、1年後輩の金研亭志ん昼さんでしょう。
彼は、大学院時代、バイク事故を起こして大怪我をして、長期間の入院余儀なくされたのですが、このAさんが、彼を実の息子のように身の回りの世話をしてくれたそうです。
「学生さん」たちは、本当に大事に育てていただきました。
落研の思い出を語る時、こんな店がいくつか思い浮かびます。
http://15112.webdeki-bbs.com/?mode=pr&parent_id=62
こんなブログがありました。
お世話になった飲み屋さん
コンパで使った「綿羊会館」、一番丁にあった「明眸」なんていう店の名前が出て来て、懐かしくなりました。

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