齢のせい?
どうしても、高座本の台詞を覚えようという気が起こらず、覚えようとしても頭に刷り込めません。
さらに、言葉(単語)が出て来ない・・・。
やはり齢のせいでしょうか?
ダイエットをして、ブドウ糖が脳に行き渡らなくなったからでしょうか?
明後日に迫った「一人酒盛」も、4割ぐらいが覚えられていません。
前半の2〜3割、最後の2〜3割は、何とか演ることが出来そうですが、真ん中の4割が完全に抜けた状態です。
不思議なことに、どの噺もそうですが、中盤を過ぎた辺りが、どうしても身に入らないんです。
十八番の「浜野矩随」も、「鰍沢」でも、そうそうこの間の「笠と赤い風車」もそうで
した。
「浜野・・」では、若狭屋が観音様を彫ったのが矩随だと分かるところあたり。
「鰍沢」では、お熊の亭主の伝三郎が帰って来た場面から、新助が逃げ出そうとするあたり。
「起承転結」で言えば、「承」から「転」の辺りでしょうか・・・。
要するに、ストーリー発展させた後の場面や視点の転換をするところ、ここの料理の仕方が分からない。
覚えられない・・・。
しかし、こじつけに裏返して考えると、この場面こそ、演者の人柄が出て来る場面ではないか。
だとすると、ここは、台詞を固めるのではなく、言わばアドリブでその都度都度の自分を醸し出すところではないか。
最近、落語というのは、演者の人間性が出るという言葉が、何となく分かりかけた気がします。
先日、有難亭真仮名さんが、私の「猫怪談」の感想の中で言ってくれた、「与太郎というキャラクターではなく、与太郎という一人の人間が高座の上で見事に生きていた」というのは、このことかもしれない。
あの与太郎は、実は私自身だったのかもしれません。
・・・だからと言って、とりあえず、明後日の講座のためには、覚えておかないと・・・。
まずいよね。
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