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2015年9月 6日 (日)

「三井の貸し傘」のこと

先日の国立名人会での「三井の貸し傘」について、師匠がブログでコメントされていました。
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言い伝えにある三井の貸し傘を題にしてこの噺を作ったのが、2007年の夏だったから、あれから八年経つことになる。
あの頃、日々、思案して、コツコツコツコツ歩いたようなもので、少しずつ肉付けしたり削ったりして人物や場所をいじくっていた。
段々と出来上がってくる喜びを感じるのは、なんとも言えなかった。
初演は噺の主人公の三井の貸し傘にしてみればホームグランドの三越劇場であったが、なんら反応はなかった。
なんとか初演はしたものの、こっそりと誕生させてしまったような思いにかられて、創作した
作品に申し訳なさを持った。
しかし、今回は違った。練り上げてきた結果かもしれない。
高座本も何度も改訂してきているので、内容もしっかりしたものになったいたのだろう。
寄席側の人から、「泣きました」、足を運んでくれた稽古連の面々からも「泣きました」と言われたので、初演より遥かにレベルアップしたと自負しよう。
しかし、正直なところ、稽古に気力が湧いてこなくて、ちょいとばかり悩んでしまった。
体調のせいなのか、、、、、、

・・・師匠のような高いレベルでも、気力だとか悩みだとかがあるんですね。
師匠が創作される噺は、落語らしく、有名人や名人の噺でも、その当人を前面に出さず、脇役的なひとに語らせるというパターンが多い気がします。
私が演らせていただいた「揺れるとき」も「救いの腕」も、パターンは若干違いますが「鬼子母神 藪中の蕎麦」も。
この噺も、越後屋のことを日向屋といしう紙問屋を舞台にして語って行きます。
それゆえに、ストーリーが複雑になるきらいが出て来ますが、噺の意外性と深みは大きくなると思います。
これは、落語だから出来る手法なのかもしれません。

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