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2015年8月11日 (火)

圓朝忌

shadow今日は、落語界の巨星「三遊亭圓朝」の命日「圓朝忌」。
作家としての圓朝は、こんなふうに紹介されています。
200pxsanytei_encho江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。
本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。
二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。
後にあらためて、父の師の圓生に入門。
母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。
17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。
まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。
以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。
生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。
これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。
大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。

・・・圓朝が噺家としてのみならず、近代の日本文学にも大きな影響を与えたことが分かります。
この(初代)三遊亭圓朝は、三遊派の中興の祖と言われ、三遊派の宗家といわれています。
ところで、圓朝の名跡は1900年以降、藤浦家が預かる名跡となっているそうです。
この名跡が藤浦家のものになったのは、先々代の当主である藤浦周吉(三周)が圓朝の名跡を借金の担保にして、圓朝を経済的に支援した縁によるものだそうです。
藤浦三周から二代目襲名を許された三遊亭圓右は、襲名実現直前に死去したため“幻の二代目”といわれています。
その後、藤浦家はこの名をどの落語家にも名乗らせていません。
今や「永久欠番」ということでしょうか。
現藤浦家当主は、映画監督の藤浦敦という方で、1996年に「三遊亭円朝の遺言」を出版しています。
春風亭小朝さんに、この藤浦さんから、圓朝襲名の話があったそうですが、小朝さんが固辞をしたという噂もあるようです。
神格化されている人の名跡を襲名するのは、いくら人気者・実力者とてメリットはないかもしれません。
三遊亭圓朝、談洲楼燕枝、三遊亭圓生、古今亭志ん生・・・。
誰かが名乗るのを見てみたい気持ちと、出来上がったイメージを変えられたくない気持ちと、複雑に錯綜するものです。
意外にも、ある日突然、例えば金の力のような、全く斯界とは別の力が働いて、とんでもない人(意外な人)が襲名することがあるかもしれません。
例えば、落語に関係のない人が大金を積んで、問答無用で奪うように襲名してしまうとか・・・。
今日は「圓朝忌」。
115年前に亡くなった名人の足跡を、偲ぶ日にしたいと思います。

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