南部の火祭り
8月15日は「南部の火祭り」。
江戸時代中頃に始まったとされる南部町の伝統行事です。
盆の送り火と、水難事故で亡くなった人たちを供養するための儀式とされ毎年行われています。
http://www.sannichi.co.jp/article/2015/08/15/80018876
https://www.youtube.com/watch?v=hCWl6PVZOhk&feature=youtu.be&a
「投げ松明」が祭りの「動」。
「蜂の巣」と呼ばれる麦わらであんだ籠を載せた、高さ10数mもする竿を川原に立てる。
日没になると、手に手に松明をもって集まった子供達が、投げ入れの合図とともに、点火した松明を片手でクルクルと回しながら、頭上の蜂の巣目がけて投げ合うのが投松明(なげたいまつ)。
松明が命中すると、蜂の巣が天空で火の塊となって燃え上がる。
燃えつきたあと、竿を揺さぶると、あたかもクス玉を割ったように火の粉が折からの風にのって飛び散っていく様はまことに見事。
投松明や百八たいの焔は、仏さまが迷わないための道明かりを意味すると言われている。
http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20150816/4164241.html
会場の富士川の河川敷では僧侶たちの読経が響く中、高さ12メートルの大きなたいまつに火が入れられました。
このあと、川の両岸におよそ2キロに渡って並べられた108の円すい形のたいまつに一斉に火がともされました。
人間が持つ108の煩悩を焼き尽くすとされる炎が燃え上がると、川面が赤く染まり、大勢の見物客たちは荘厳な雰囲気に見入っていました。
「百八たい」は、祭りの「静」の部分かもしれません。
百八たいはもともと仏教の「百八煩悩を絶つ」ということに由来しているといわれ、富士川の両岸約2kmに百八つ、円錐形のたき木の山を作る。
夜8時、富士川原に静寂が戻ると、一斉に点火され、百八つのかがり火は一度に燃え上がり、川原は勿論のこと、近くの山や空も真赤に染めて、焔は川面に映り、2倍の焔となって辺りを火の海の饗宴に包んでいく。
翌日のテレビのニュースでもやっていました。
夏も過ぎて行きます。