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2015年8月 6日 (木)

樋口陽一先生のコメント

pen河北新報に掲載された一文。
樋口陽一先生と言えば、東北大学のヒーローとでも言うべき存在でした。
仙台出身で、東北大学で学び、憲法学者として頂点を極め、東大の教授にまでなった方です。
私の在学中は、東北大学法学部生の憧れの的、本当に脂の乗り切ったという表現がぴったりの先生でした。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150806_13044.html
◎首相談話に望むこと/安保強行「異様さ」際立つ
70年前の8月15日正午、「玉音放送」の記憶は定かでない。
その4年前の12月8日、国民学校1年生の子どもながら英米という超大国相手の開戦の報を聞いて感じた、底が見えないような不安な動揺はおぼえているのに、である。
兵士になるべき体力づくりだけが求められた戦時教育が子どもの素直な感性をすり潰して、無感動な少年にしていたのだろう。
ここ3年ほどの政治状況が、そうした体験を思い出させていた。
ひとつの国家意思の大転換が異様な仕方で推し進められ、その政権に、2年間で三つの国政選挙を通して有権者(棄権者を含む!)が切れ目なく信任を与えてきたからである。
アベノミクスという名の麻酔剤の効き目はようやく切れかかり、ここ数カ月、各分野の専門家の声が世論に届きはじめ、何より一人ひとりの学生や若ものたちが自分自身の疑念や批判を言葉と行動で現すという、戦後史の中でも大きな区切りになる動きを、私たちはいま眼にしている。
あえて「異様」とまで言うのはなぜか。
「他衛」のための武力行使を可能にするのに必要な正規の憲法改正を迂回して与党協議を閣議決定の形にし、それを携えた首相が外国の議会で早期の法制化を約束した上で、ぼう大な数の条文を二つの法案に大くくりして国会に提出した。
首相自身「国民の理解をまだ得ていない」と言う法案を衆議院で強引に採決させて参議院に送ったのは、そこで仮に強行採決できなくとも60日たてば衆議院の3分の2の多数で再議決できるルールを見込んでのことである。
「異様」さは細部にも及ぶ。
不用意な失言と不誠実な弁明の形でホンネが見えてくる。
ポンチ絵や冗談めかしたたとえ話は、国民の命と国運を左右する案件への取り組みの真面目さを疑わせる。そうした軽さの中で70回目の8月15日を前にして、いや応なしに国の内外で重苦しく受けとられているのは、「戦後レジームからの脱却」という首相年来の主張であり、自民党閣僚を含めた閣議で了承された戦後50年の村山首相談話への不満をくり返し表明してきた首相の言動である。
日本国が憲法9条をどうするか自体は、国民自身が決めることだ。
それ以前のこととして世界が注目しているのは、戦後世界秩序への異議申し立てではないかを疑うからなのだ。
靖国参拝への首相の固執は、極東裁判の承認を明記した平和条約11条への挑戦ではないか、というふうに。
国際社会での日本の国益と名誉を傷つけないだけの慎重さをもって首相が8月15日に臨むことを、一国民として切望するほかない。
その上でこそ成熟した自由民主主義国の代表として、大国となった中国首脳に堂々対座し、両国ともに「アジア・太平洋地域において覇権を求めない」ことを約した日中共同宣言に立ち返るべきことを強く促すことによって国際社会への義務を果たすべきではないのか。
現天皇、そして皇后は政治の場を離れた発言の折ふし戦後憲法の意義を語り、平和への熱意をくり返し、近隣諸国との友好に心を寄せておられる。
そのすがたを私はさきに、戦後(西)ドイツの良識と知恵の象徴として敬された元大統領にあえてなぞらえて、「日本のワイツゼッカー」と書いた。
同じことを明確な政治的意思として発信する政治家を選挙によって最高責任者の地位につけることに手間どり続けるとしたら、「国民主権」とは一体何なのだろうか。

・・・政治的なことなどは、私には分かりませんが、冷静で客観的で論理的なコメントには、本当に説得力を感じます。
樋口先生も、80歳におなりになるんですね。
そして、あの忌まわしい戦争(終戦)から70年です。

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