檀家
実家の菩提寺の檀家総代から、檀家宛の手紙が届きました。
スーパー過疎化の村ですから、室町時代から続いているという我が菩提寺も、檀家数の減少、檀家の遠隔化が進んで、大変な状況になっているようです。
実は、父も亡くなる数年前まで、20年近く総代を務めていましたが、色々苦労もあったようです。
歴史があって、明治時代の初めは、分教場にもなっていた寺も、末寺の、ほとんど無住に近いようなお寺ですから、本堂に天蓋を納めるのも大変だったと。
手紙の内容は、連絡先、特に地元に住んでいない檀家や後継者の確認と、護寺のための連絡事項です。
私も、母が療養生活をしていますので、後継者として届けることにしました。
と言っても、総代もその他の役員も、小中学校の先輩や同級生のこと、遠くに住んでいても、何とか協力したいと思います。
檀家制度とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係。
寺請制度、寺檀制度、あるいは寺檀関係ともいう。
江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度であり、家や祖先崇拝の側面を強く持つ。
檀家は特定の寺院に所属し、葬祭供養の一切をその寺に任せ、布施を払う。
この布施を梵語のダーナの音写で檀那(だんな)と呼び、檀家(壇越)が所属する寺院を檀那寺という。
その意味では、一般民衆である個々の檀家が寺院の経済的な支援者となる。
しかし、寺請制度に端を発する檀家制度においては、寺院の権限は強く、檀家は寺院に人身支配されていたと呼べるほどの力関係が存在していた。
寺院側は、常時の参詣や、年忌・命日法要の施行などを檀家の義務と説き、他に寺院の改築費用や本山上納金などの名目で経済的負担を檀家に強いた。
今日における彼岸の墓参りや盆の法事は、檀家制度によって確立したといえる。
本末制度や他の幕府宗教政策もあって、寺院は社会的基盤を強固な物にすることに成功したが、一方で仏教の世俗化が進んだ。
寺請の主体となった末寺は本山への上納など寺門経営に勤しむようになり、仏教信仰は形骸化していく。
檀家を持たない寺院は現世利益を標榜することで信徒と布施を集めるようになり、檀家を持つ寺もまた祖先崇拝といった側面を強くしていった。
いずれにせよ、このような寺院の強権的な立場、民間信仰(祖霊信仰)とのより強い混合、また堕落は制度ができた当時から批判があり、それらは明治の廃仏毀釈に繋がっていくことになる。
現在では、寺院の権限はほとんど無いにせよ、檀家制度は残っている。
いわゆる葬式仏教や、檀家制度によって確立した年忌法要、定期的な墓参りは日本に根付いており、葬儀や先祖の命日法要、墓の管理を自身の家の檀那寺に委託する例は多い。
しかしながら、檀家が減っていることも事実であり、檀家制度に拠る寺院の経営は難しいものとなっている。
・・・いずこも同じなのかもしれませんが・・・・。