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2015年6月12日 (金)

迷子しるべ石

crying「五百羅漢」には、迷子の女の子が登場します。
火事と喧嘩は江戸の花と言われただけに、火事で焼け出された迷子なんていうのも多かったようで、迷子探しの仕組みも出来ていたようです。
江戸時代の江戸は3~6年で1回は火災に類焼すると言われるくらい火事早い所でした。
そのため、多くの家族が生き別れになってしましましたが、今のように通信手段がなかったので、消息をつかめず泣く泣く別離の状態で過ごす事になりました。
ただ一つ例外的に「迷子知らせの標柱」がありました。
落語「ぼんぼん唄」で紹介しているこの標柱がそうです。
片面に迷子捜しの紙を貼り、反対側には預かった子供の親探しの紙を貼りました。
迷子しるべ石
また、江戸時代 も後半に入る頃、一石橋から日本橋にかけては盛り場で、迷子も多かったようです。
迷子が出た場合、町内が責任を持って保護することになっていたので、付近の有力者が世話人となり、 建立されたようです。
柱の正面には「満(ま)よい子の志るべ」、右側には「志らする方」、右側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがあります。
利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに貼って迷子や尋ね人を知らせたそうです。
いわば庶民の告知板という訳。
一石橋のほか、浅草寺境内や湯島天神境内にもあったそうですが、浅草寺のものは戦災で破壊されたそうです。
「ぼんぼん唄」っていう噺は、あまり知りません。
江戸時代、京橋八丁堀、玉子屋新道に”源兵衛”という背負い小間物屋があった。
女房”おみつ”さんと二人暮らしで、子供が欲しかった。
浅草の観音様に三七21日、日参して子供が授かるように願を掛けた。
満願の日何事もなかったので、帰り道、天王橋に差しかかると人だかりの中に迷子が居た。抱き上げると泣きやんで可愛いので連れて帰って来た。
女の子で観音様からの授かりものと、拾ってきたので”おひろ”と呼んで大事に育てた。

1年が経って、盆の14日。
近所の子供と遊んでいた。
盆唄 “♪ぼ~ん、盆の十六日、江戸一番の踊りは八丁堀” と子供達は唄ったが、四つになった、おひろだけは相生町と唄った。
みんなは自分の町内を褒めるのに、この子は相生町と言った。
元はそこに住んでいたのであろうと、あくる朝、相生町に調べに出かけた。
近所で聞くと、材木屋の越前屋で子供を無くして騒いでいた事があった、と言う。
主人に会うとそっくりな顔をしていたので、一年前の話を聞くと、
「天王橋でケンカに巻き込まれ家族中がバラバラにはぐれてしまった」
「その後、お子様を拾い大事にお育て申しておりました」。
越前屋でも色々な神様に願掛けて、お願いしていたのが叶ったと、踊り出してしまった。

古今亭志ん生師匠ぐらいしか演っていないようです。
でも、「五百羅漢」と一脈通じるところもあります。

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