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2015年6月30日 (火)

給食の牛乳

「ご飯の給食に牛乳は合わない」と、給食の献立から牛乳を外すという・・・。
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コメどころの新潟県三条市は、7年前から小中学校の給食でパンや麺類をやめ、地元産の米を使った「完全米飯給食」を実施しています。
こうしたなか、「ご飯の給食に牛乳は合わない」という理由で去年12月からの4か月間、試験的に牛乳の提供を取りやめ、廃止するかどうかの検討を進めてきました。
その結果、牛乳の代わりに「大豆」や「煮干し粉」などを使うことで、子どもたちの成長に必要なカルシウムの摂取量を満たすことができ、給食の食べ残しの量もほとんど変わらなかったとして、給食の献立から牛乳を外す方針を固めました。
文部科学省によりますと、自治体が牛乳のない学校給食を実施する例は聞いたことがないということです。

給食と言えば、私の時代は、脱脂粉乳からスタートしました。
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途中から、瓶の牛乳に代わり、さらに三角のパックになりました。
育ち盛りでしたから、牛乳の嫌いな子の分も飲んでいました。
牛乳が、他の献立と合うとか合わないとか、そんな贅沢を言っていられる時代でもありませんでした。
そもそも、学校給食というのは、1889(明治22)年、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童を対象に昼食を与えたのが始まりだといわれているそうですが、本格的な学校給食は、戦後になってからのことのようです。
1949(昭和24)年には戦後の食料難にあえぐ日本にユニセフからミルク(脱脂粉乳)が寄贈され、その翌年にはアメリカから大量の小麦粉が寄贈されました。
これにより、パンを主食とした完全給食の素地が出来上がりました。
当時の学校給食は世論の絶大な支持を得ていたようで、1947(昭和22)年時点でわずか23%だった実施率は、その後4年ほどで69%に達するなど、急速な広がりを見せます。
しかし、1951(昭和26)年、アメリカからの贈与小麦粉が打ち切られると、財源を失った学校給食は再び中断することになります。
その後、学校給食への理解の深まりや保護者などからの強い要望を受けて、1954(昭和29)年に「学校給食法」が制定。
時代に翻弄
され続けてきた日本の学校給食は、ここに第2のスタートを切ります。
1976(昭和51)年からは米飯給食が開始され、今なお人気献立の筆頭に挙げられるカレーライスも登場し、このあたりから献立も一気に拡大しビビンバやリゾット、パスタなど、国際色豊かなメニューが各地で実施されます。
同時に、食器も従来のアルマイト製からポリプロピレン食器へと移行。
かつて「犬食い」を助長すると揶揄された先割れスプーンも徐々に見直しが図られ、献立に応じて箸やフォーク、スプーンなどを使い分けるようになりました。
80年代後半から90年代にかけては、ランチルームを利用したバイキング給食や別学年との交流食など、教室で一斉に同じものを食べるという従来のスタイルにこだわらない試みが目立つようになります。
そして21世紀、もはや栄養の摂取や改善といったことは第一義として語られず、食を通じた交流や地域への理解といったソフト面が重要視されるようになりました。
ここ数年は、生徒がお弁当か給食かを定期的に選択できる「選択給食制」など、給食と家庭の味がお互いに補完し合うものとして認識され始めています。

・・・「給食は残さず食べなさい!」と言われて、嫌いな物を涙ながらに飲み下した記憶もありますが、基本的にはありがたい制度だと思います。
最近では、アレルギーの問題もあるようですし、聞けば、校長先生が「毒見」をしてから配膳したりしているそうで、世の中も随分変わったものです。

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