« 木りんtheナイト | トップページ | 「深川三流亭」次回の日程 »

2015年6月12日 (金)

1978年6月12日

clock1978年6月12日(月)午後5時14分。
マグニチュード7.4の「宮城県沖地震」は、28人もの尊い命を奪い、生活インフラに大きな被害をもたらしました。
1978年6月12日
37年前の今時分(夕方)のことでした。
当時の私は大学4年生。
前日、東京で行われた「第1回全日本学生落語名人位決定戦」に出場して、審査委員長の小島貞二先生から、「特別賞」の評価をいただき、月曜日の定例の部会に出席のため、片平キャンパスの稽古場に入った瞬間でした。
あれ?と思っていると、揺れは治まるどころか、さらに酷くなって、和室の襖が倒れて来て、停電になりました・・・。
あの地震は、私の生き方にも影響を与えました。
地震後、地元のテレビ局のアルバイトで、被災地の取材に、記者やカメラマンに帯同して奔走しました。
1978年6月12日
仙台の市街地で崩壊した建物、人が下敷きになった倒れたブロック塀、原油が漏れだした仙台港の原油タンク…。
そうそう、余震が起きたら崩落するかもしれないという斜面が見える場所で、徹夜した日もありました。
市内には、地震の爪痕が至る所にありました。
ある日、八木山の向こう側に広がる新興住宅地に行きました。
宅地造成で、山を削った土で谷を埋めて整地した土地の上に、住宅が建てられています。
地震の影響で、削った土地の上の家は無傷でしたが、埋め立てた土地に建てられた家は、傾いたり歪んだり…。
ほんの1メートルの違いで、無事な家と倒壊の危険があって立ち入り禁止になった家が並んでいます。
記者とカメラマンが、傾いた家の前で途方にくれている、この家の住人と思しき女性にマイクとカメラを向けて、こんな質問をしました。
「今のお気持ちを聞かせてください」。
その人は、怒気を含んだ眼で、我々を睨み返しましたが、無言のままでした。
すると、すかさず「これからどうしますか?」。
その人は、そっぽを向いたままでしたが、その肩が微かに震えていました。
マスコミへの就職を志望していた私は、この取材に物凄い違和感を感じました。
女川原発建設計画を巡って開かれた、女川町漁業共同組合の総会の取材に行って、石つぶてを持った地元の老婆に「帰れ!」と追いかけられたこともありました。
報道の名の下に、人の気持ちを踏みにじることに、大いなる疑問を感じるようになりました。
あの日から、あれから37年です。
その後に起こった東日本大震災の余震は、未だに続いています。

« 木りんtheナイト | トップページ | 「深川三流亭」次回の日程 »

徒然」カテゴリの記事