落語の著作権?
週末に、平岩弓枝さんの原作「笠と赤い風車」を、彦六の八代目林家正蔵師匠の音源を参考に演らせてもらいますが、評論家の瀧口雅仁さんが、こんなツイートをされています。
ある天狗連の落語を聴いたのだけれど、いわゆる作者がいる新作を演じたので権利関係について尋ねたら、何もしていないと。
それはまずいのではないかと返した。
落語家が落語を写してもらう時にはオリジンに近いところから写して貰う訳で、それがその落語を演じる権利を保証してもらうことになる。
だが、志の輔師の新作や喬太郎師の新作をやる場合は演者に断るべきであるし、正蔵師が演じていたような作者がいる場合は、その作者に仁義を切るべきだ。
それが落語を演じるということであり、落語を演じる心だと思う。
本人が著作権について主張しない作品もあるが、上記の落語は違うはずだ。
かく言う、私も来月、本当に久し振りに落語を演じるのだが、20人20通りのテキスト案を用意し、そこから最大公約数のテキストを作った。
最大公約数というのは、例えばある演者独自のクスグリが入っている場合、それは使わない(使えない)から。
クスグリに著作権があるかどうかは、実は今度のTPPの課題にもなってくる訳だが、それ以前に、そのクスグリを使うなら、それを考えた人に断るべきだからだ。
難しい話だけれど、それをしないと落語が落語で無くなっていくと思うのだ。
いや、難しい話なのだろうか……。
・・・新作落語の作者らに対して、古典落語の演者に対して、我々は、確かに無断で、高座本に書き写したり、噺家さんオリジナルのくすぐりなどを入れて演っています。
天狗連、即ち、プロではない人たちは、ほとんどそうなのではないかと思っていたのですが・・・。
ただし、我々は、それを業としている訳ではなく、ほとんど入場料もいただいていないので、個人レベルで楽しんでいるという理解であれば、それもありだと、私は思います。
「正蔵師が演じていたような作者がいる場合」って、まさに今のわたしの立場です。
当然?のことながら、作者には仁義を切っていません。
また、その術も知りません。
全く、同じように演る訳でなく、師匠からのアドバイスで構成も変えています。
それから、プログラムには、演目に並べて「平岩弓枝作」と表示しています。
このあたりで良いのでは・・・、と思うのですが。
それから、瀧口さんも落語をお演りになるということで、同じように、切羽詰っておられるようです。
今週末に披露することになっている「厩火事」。
40遍稽古して、何とか表出するところまではいった。
あとはどう形に仕上げていくか。
時間的にあと10回しかできまい。
こうして記すのは悲壮な(?)覚悟。
でも、プロの落語家はそれをやっている(はず)。
アマである自分は回数しかないはずなのだ。
40遍稽古とは・・・、物凄い。
ぶっつけ本番でやろうとしている、不謹慎なやつもいるというのに・・・。