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2015年5月18日 (月)

ノーマライゼーション?

earノーマライゼーション?
私にはあまりなじみのない言葉ですが・・・。
障がい者や高齢者など社会的に不利を受けやすい人々(弱者)が、社会の中で他の人々と同じように生活し活動することが社会の本来あるべき姿であるという考え方。
また、弱者がスムーズに社会参加できるような環境の成立を目指す活動、運動のこと。

立石芳樹さんという方の「落語にまなぶノーマライゼーション」と題する記事が、朝日新聞に載っていました。
http://apital.asahi.com/article/sunny/2015050800024.html
今回のタイトルを見て、疑問に感じた方がいらっしゃるかもしれません。
(落語とノーマライゼーションって本当に関係あるの?)と思われた方もいるのではないでしょうか。
この機会に、ぜひ知っておいていただきたいことがあります。
落語とノーマライゼーションは、根っこの部分で深くつながっています。
江戸の昔から脈々と語りつがれてきた落語という芸能には、ノーマライゼーションのエッセンスがぎっしり詰まっているのです。
落語のジャンルのひとつに(与太郎噺)というものがあります。
与太郎は落語における一種の記号で、普通よりもどこか抜けている人、というキャラクターを表します。
与太郎が出てくればそれは、間抜けな主人公が何かと騒動を起こす面白おかしい噺だなと、落語を聴きなれた人は理解するわけです。
与太郎はとにかく、そそっかしいのです。
普通の人が簡単にこなせる仕事に倍以上の時間がかかったり、とんでもない間違いをやらかしたりする。
だからこそ物語がどんどん面白くなるわけですが、それでも町内の人たちは、決して与太郎を見捨てません。
見捨てるどころか、同じ町内に暮らす仲間だからと、ごく当たり前のように世話を焼く。
この(当たり前)という感覚こそが、ノーマライゼーションの基本なのではないでしょうか。
典型的な与太郎噺に、「孝行糖」や「かぼちゃ屋」があります。
どちらの噺も、主人公がものを売った先で騒動に巻き込まれる、というパターンです。
これらの噺に出てくる与太郎は、とてもいきいきしています。
それは、物語のなかできちんと彼自身の役割を与えられているからではないかと、僕は勝手に分析しています。
仕事を頑張る与太郎を、まわりが自然なかたちでサポートする。
この構図は、現代にも置き換えられるのではないでしょうか。障害があるとつい、地域のなかで孤立しがちです。
まわりのほうも不安が先にたって、腫れ物にさわるような接し方になってしまう。
けれどそれでは、ますます孤立は深まるばかりです。
孤立がさらなるコミュニケーション不足を招くという悪循環から抜け出すことはできません。
まずは、役割をもちましょう。
あるいは、居場所と言い換えてもいいかもしれません。
地域のなかで居場所をもてば、自然とコミュニケーションは生まれます。
将棋が強い、スポーツが好き、お笑いが得意、本のことならなんでもおまかせ……何でもいいから、得意なことを活かして社会とつながるのです。
もちろん、まわりも変わらなければいけません。
(障害のことは何も知らないから……)と不安になる必要はないのです。
近所に暮らす普通の仲間として、困った時にはごく当たり前に手を貸してあげる。
それで充分なのです。
日頃からまめにコミュニケーションをとっていれば、その人がどういうことで困っているか、どんなかたちのサポートが必要かということも自然にわかってくるでしょう。
少しぐらい変わり者でも共同体のなかで自然に暮らしていける落語の世界を、心からうらやましいと感じます。フィクションではあるけれど、江戸時代の人たちは本当にお互いに助け合いながら暮らしていたんだと感じさせるリアリティがある。
障害という概念がなかった時代だからこそ、お互いの足りない部分を補い合おうという精神が根づいていたのかもしれませんね。
落語を意識して聴くようになったのは、小説を書きはじめてからです。
落語を聴くとストーリーの組み立てや人物造形に役に立つと、国語の先生にすすめられたのがきっかけでした。
はじめは勉強のつもりだったのですが、世の中にはこんなに楽しくて面白いエンターテイメントがあるのかと、いつしか落語そのものの魅力にひきつけられていました。
ちなみに、生まれてはじめて聴いた落語は、三遊亭円生さんの「初天神」です。
落語は大きく古典と新作に分かれますが、僕はどちらかというと新作のほうが好きです。普段からショートショートを中心に書いているせいでしょうか。発想力豊かな新作落語にふれると、(こんな話をいつか書いてみたい)と思ってしまうのです。
星新一のショートショートも落語の題材になっていますから、落語と小説は案外縁が深いのかもしれません。
入門編としておすすめなのは、やはり立川志の輔さん。
時事ネタや社会風刺を巧みに織り交ぜた新作落語は、初心者から落語通まで存分に楽しめます。
なかでも「メルシーひなまつり」は笑いあり涙ありのドタバタ劇で、まさに一級のエンターテイメントです。
落語に理屈なんかいらない。ただただ思いっきり笑いたいという方には春風亭昇太さんがおすすめです。
細かいギャグがちりばめられたジェットコースターのような新作落語は、毎日の疲れをきれいに忘れさせてくれます。(現代の癒し系落語)。
これは、僕が勝手につけたキャッチコピーです。
少々毒のある、ブラックな世界がお好みという方はぜひ、立川志らくさんの落語を聴くべきです。
師匠ゆずりの毒舌はもちろんのこと、緻密な理論とテクニックに裏うちされたシュールな世界観は、聴いた人を酔わせてくれます。
趣味と実益をかねたような(シネマ落語)は映画の原作を斬新な発想でアレンジしていて、これもまた最高のエンターテイメントです。
新作もいいけれど、古典の面白さも知りたい。でも、難しい落語はいや……そんな贅沢な人には(失礼!)、柳家小三治さんをおすすめします。
小三治さんの特徴は、とにかくマクラが面白いこと。
旬なニュースや旅先での出来事をマクラに仕立てて、ふっとお客をなごませる。
もちろん、マクラだけではありません。
飄々とした語り口の落語はとてもわかりやすく、現代の話かと思うぐらいに新鮮なのです。
落語が芸能として生き残っている理由のひとつは(懐の広さ)なのではないかと、僕は思っています。
落語ほど懐の広い芸能はありません。恋愛、人情、ホラー、SF、歴史、ナンセンス……落語には、現代の小説の基本要素が残らず詰まっています。
落語は、すべての人に平等です。
人間としての弱さを認められているからこそ、与太郎は与太郎として、物語のなかでいきいきと振る舞うことができるのです。
最近ではネットで落語を聴く(観る?)機会も増えました。
手軽に落語にふれられるのはうれしいことなのですが、僕としてはやはり、生の落語を聴くことをおすすめします。
(放送コード)の都合でテレビでは流れない噺も寄席ならば聴けますし、何よりも、生の落語は迫力が違います。
鈴本などの定席なら基本的に毎日開いていますから、時間のあるときに気軽に足を運ぶことができます。
新しい演芸場はバリアフリーも整っているので、体の不自由な方も安心です。
敷居が高いなんて言わずに、どんどん寄席に通いましょう。好きな噺家さんを見つけて、とことんその人を追いかけてみる。
それだけでもう、あなたは立派な(落語通)です。

・・・・と、真ん中あたりの、新作だの古典だの、誰が良いだのという個人的な好みのところはどうでも良いことですが、落語国の住人のことを、その「ノーマライゼーション」の観点から言えば、そういうことになるんでしょう。
でも、落語国ではそんな理屈をかざさなくても、当たり前なんです。

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