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2015年4月21日 (火)

国語教科書の師匠の落語

教育出版という会社が刊行している小学生用の国語教科書には、師匠の落語「ぞろぞろ」が採用されています。
今年度リニューアルされましたが、従来どおり、小学4年生の「ひろがる言葉 小学国語4/上」に掲載されています。
その教育出版のHPを見ていたら、こんなQ&A文章が載っていました。
◆鼻血は「はなぢ」か「はなじ」か・・・?
現代仮名遣いでは,「はなぢ」と書き表す。
昭和61年7月1日告示の「現代仮名遣い」の「第2特定の語については,表記の習慣を尊重して,次のように書く。」の中に,「5.次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く。」とあり,その第二項に,(2)二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」
例はなぢ(鼻血)そえぢ(添乳)もらいぢちそこぢから(底力)
ひぢりめんいれぢえ(入知恵)ちゃのみぢゃわん
まぢか(間近)こぢんまり
ちかぢか(近々)ちりぢり
と,示されている。
「鼻血」は,「はな(鼻)」と,「ち(血)」との複合語で,単独で用いるときには清音である「ち(血)」が,他の語「鼻」と複合して濁音に変わるという,いわゆる「連濁現象」を起こしたものである。
このような「連濁現象」は,ほかにも数多く見られる。
例えば,
はな(花)+ひ(火)→はなび(花火)
あまい(甘い)+さけ(酒)→あまざけ(甘酒)
のようになるのがそれである。これらと対応させて,
はな(鼻)+ち(血)→はなぢ(鼻血)
と書き表し一貫性があるわけである。
したがって,「はなぢ」という書き表し方は,この語が「はな(鼻)」と「ち(血)」とからできているという分析的意識を尊重したものであるといえよう。
「もらいぢち」(もらい乳)」「ひぢりめん(緋縮緬)」「いれぢえ(入れ知恵)」「ちゃのみぢゃわん(茶飲み茶碗)」「ちかぢか(近々)」などに「ぢ」を用いるのも,同じ理由によるものである。
また,「一日中」「世界中」など「いっぱい」の意味をつけ加える「中」は,現代語の意識では二語に分割しにくく,かつ常に濁音で現れるので「いちにちじゅう」「せかいじゅう」と書き表すことにし,「授業中」「工事中」など「続いている」意味をつけ加える「ちゅう」とは別なものであるとするような,「現代仮名遣い」の問題点もある。
なお,「現代仮名遣い」では,「せかいぢゅう」の表記も認めているが,現在のところ,「せかいじゅう」と書き表すのが一般的であると思われる。

最近は、例えば地震も「ぢしん」ではなく「じしん」で検索しないと出て来なかったりで、「ぢ」の居場所が少なくなっている気がします。
◆「見られる」か「見れる」か・・・?
「見ることができる」という可能の意味に,「見れる」という形が用いられることがある。
似た例として,ほかにも「着れる」「出れる」「寝れる」「来れる」などの言い方があり,更には最近「起きれる」「投げれる」「食べれる」などの言い方もよく耳にするが,いずれも従来は誤った用法とされ,それぞれ「見られる」「着られる」「出られる」「寝られる」「来られる」「起きられる」「投げられる」「食べられる」が正しい言い方とされている。
従来の文法書や国定教科書『中等文法』などでは,
(1)可能動詞は,四段(五段)活用の動詞の仮定形から派生するものに限って認められ(例,読む→読める,書く→書ける),「見る」「出る」のような上一段・下一段活用の動詞には認められない。
(2)可能の意味を表す助動詞「れる」は四段(五段)活用とサ行変格活用の動詞にだけ接続し,それ以外の活用をする動詞(上一段・下一段・カ行変格)には「られる」が接続する。
とされてきた。
したがって,規範性を重んずる小・中学校の国語教科書では,「見れる」「出れる」「来れる」などを使用した例はないし,ほとんどの国語辞典などでも認めていない。
この「見れる」「出れる」「来れる」などの言い方は,話し言葉としては昭和初期から一部で用いられており,第二次世界大戦後は更に一般化し,最近では,話し言葉だけでなく書き言葉としても用いられるようになった。
また,その後の変遷を,中村通夫氏は,「『来れる』『見れる』『食べれる』などという言い方についての覚え書き」の中で,東京語でのこの傾向は,最初に一音節語幹の語の否定形,来れない,見れないあたりからまず始まり,やがて着れない,出れない,寝れないなどを襲い,肯定形をも生ずると共に,ついで二音節語幹の起きれ,降りれ,受けれ,投げれ,喰べれ,立てれ,捨てれ,懸けれ,などを襲ったものではあるまいかと考えている。
と述べている。
「見れる」などの言い方が今後ますます一般化していく現象は否定できないとしても,教科書や国語辞典の取り扱い方,有識者の言語意識などからすると,まだまだ標準的な言い方として認める段階にまではいたっていないと考えてよいであろう。

・・・いわゆる「ら抜き言葉」です。

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