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2015年4月16日 (木)

米朝師匠を偲ぶ文枝師匠

米朝師匠を偲ぶ文枝師匠
朝日新聞に掲載されていた、桂文枝師匠のコメント。
昭和20(1945)年11月21 日、大阪・四天王寺の本坊で落語会が開かれました。
「『上方はなし』を聴く會(かい)」。
大阪の街を廃墟とした戦争が終わった8月15日から、わずか3カ月余りでのことでし た。
出演者の一人、桂米之助(四代目桂米団治)は亡くなられた人間国宝・桂米朝師匠の師匠です。
2年後に落語家になられた米朝師匠は上方落語のために、その身をささげられました。
そして復興の灯をともした落語会から、70年となる年に静かに旅立たれました。
新幹線で訃報を聞きました。
ついにお別れの時が来たのか。
ただ現実を受け止めるしかなく、在りし日のお顔を思い出しておりました。
彫りの深いお顔立ちで意外と声が高く、フフッと笑うお顔がすてきでした。
どこかのお店で、師匠が「あれ、誰やったかいな、あの役者?」。
そばにいた人が言いかけたのを、私が制しました。
「言うたらあきまへん。自分で思い出すようにせんと」。
とても失礼なことを申しますと、例のお顔で「おまはんな、そんな殺生なこと言いないな」と苦笑いされました。
師匠にほめられたことはあまりありません。教わった「地獄八景亡者戯」を演じて高座から降りた時も、やはり苦笑いしながら「長いな。長すぎるな」。
究極にまで言葉を整理されていた師匠からすると、私の落語はまだまだ冗長だったのだと思います。
師匠が亡くなられて各界から悼む声が寄せられました。
「あんな、すごい落語家はもう出てこないだろう」……。
師匠の想いは「落語の灯を永遠にともし続けること」だったと思います。
だから、せめて遺志を継いで頑張ってほし い、残された落語をますます発展させて欲しい――そんな声が欲しかったなぁと思いつつ、残された私たちは、少しでも近づけるよう、ほんの僅かでも近づけるように、頑張っていくしかないのです。
米朝師匠を偲び、ぜひとも復興70年を記念する落語会を落語界一丸でやりたいと心に誓った次第です。

…本当に上方落語は衰退していたんですね。
しかもつい70年前。

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