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2015年4月19日 (日)

千早亭落語会メモリー

event落語教室から自主グループになって、初めての発表会。
千早亭落語会メモリーズ。 

2011(平成23)年5月15日(土)千早地域文化創造館にて。
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もともと、3月13日に開催予定だったのですが、東日本大震災のために延期していました。
2ヶ月遅れでやっと実現した「扇子っ子連・千早亭一門会」。
豊島区が主催している、圓窓師匠の落語教室の受講者有志を中心に集まった素人落語連で、今回が自主活動開始後初めての発表会でした。
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めくりは、江戸崎の「噺っ子連」の「有難亭七福」さんの筆によるものです。
約80席用意した椅子は、開演時には9割方埋まりました。
和歌女さんと一首さんの二人は、どうしても仕事の都合がつかず、泣く泣く休演。
 ◇ 青菜      千早亭三十一(みそひと)
 ◇ 花色木綿   千早亭永久(とわ)
 ◇ 抜け雀     千早亭当富(とうふ)
 ◇ 枯木屋     千早亭早千(はやち)
 ◇ 干物箱     千早亭小倉(おぐら)
         仲入り
 ◇ 雷月日    千早亭百人(ももと)
 ◇ 初天神    千早亭ワッフル
 ◇ 十徳      千早亭軽太(かるた)
 ◇ 天災      千早亭屏風(びょうぶ)
 ◆ 雛鍔      三遊亭圓窓
開演が午後2時、師匠が終わったのが6時35分という、長~ぁい落語会になりました。
通して聴いてくださった方も何名かいらっしゃいました。
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プログラム2番目の千早亭永久「花色木綿」は・・?
やはり高座と言うのは魔物が棲んでいるという気がします。
自分で受けるだろうと思っている場所と、実際に受けた場所というのは、本当に一致しないものです。
特に、今回のような前座噺・滑稽噺というのは、なかなか読みづらいものです。
まず、私の定番「空席以外は全て満席で・・」から入り、「三ぼう」のマクラで小噺を4つ。
このあたりは、まずまず受けていたと思います。
これから、いよいよ本題に入ります。
「花色木綿」は、大きく分けて3つの場面に分けることが出来ます。
まず、主人公の間抜けな泥棒と親分との会話。
師匠から、3度言う「それが親分大笑い!」の台詞の区別と、私の悪い癖が出ないようにと。
次のシーンは、留守の家を探し、行った先々の家での場面。
師匠からは、視線の高さを指摘されていました。
それから、羊羹を食べる仕草と、まだ買ったばかりの下駄を履いて来るのを忘れたドジの様子の表現も。
最後が、長屋の住人(八五郎?)と大家さんとの会話のシーン。
師匠からは、「裏が花色木綿」の言い方と変化のつけ方、上げ板の下へ隠れる仕草、そこから出て来る時の仕草、筆の持ち方等々・・、色々宿題がありました。
滑稽噺というのは、本当に手応えが分からず、果たして出来が良かったのかどうかも、よく分かりません。
得意な噺だったのですが、歳を取って来て、ちょっと不安になって来ました。
実は、この日の落語会に至るには、東日本大震災のおかげで、色々なことがありました。
もともと、3月13日(日)に開催予定でした。
ところが、落語会の2日前に大地震・・・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/01/post-d081.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/03/post-3354.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/03/post-bf19.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/03/post-f497.html

メンバーのみんなで「さぁ、どうしよう」ということになりました。
皆さんもご記憶のとおり、地震のおかげで、世の中全体がシュリンクしてしまい、何でもかんでも「自粛」という雰囲気で充満してしまいました。
ご他聞にもれず、我々も、「こんな時期に落語の発表会なんて」というのが大半の意見となりました。
私は・・・、そもそも地震当日は帰宅出来ず、日曜日にも出勤せざるを得なくなり、発表会には出演できなくなりました。
そんな中で、グループの代表が師匠に、延期のご報告をしました。
師匠の、その時のブログ。
朝、9時過ぎかな、、、、。
ゴミを出すべく、起き出したときだったから、その頃。
扇子っ子連の世話人から、電話。
「明日の扇子っ子連の発表会は延期したいんですが、、、」と。
あたしは、五十年の経験則から、「この分なら、やれるから」と返事。
また10分も経たない内に世話人から電話「やはり中止をしたい」。
二度の電話での、延期にする理由をまとめると、
① こういう災害状況下で、落語をするというのは、、、、、。
② メンバーに連絡が取れないから、、、、。
③ メンバーの気が滅入っているから、、、、、。
あたしは答えた。
「あたしはこれから仕事に行くくらいだから、明日はもっとやれる状態になっているはず。出て来られる人たちだけでも発表会はできるはず。
こういう状況下でも『聞きたい』と足を運んでくださる人もいるはずだから、
それに出来る限り応えるべきである」
世話人は「あぁ、そうですか」と言って、電話を切る。

さらにこんなコメント。
扇子っ子連の世話人からは、昨日の二本の電話以降、連絡はない。
世話人には「来られるメンバーだけでもいいから、あたしと一緒にやりましょう」と連絡がないということは、何人かの、「よし、じゃぁ発表会を予定通りやりましょう」
という人が現れたのか。
そうであれば、嬉しいことである。
何人集るだろうか。
メンバーには豊島区内の人が多いから、駆けつけるには他の人よりも容易だ。
自転車でも、徒歩でも、その気があれが来られる。
最悪、一人でもあっても、やろう。
あたしと〔二人会〕でもいいじゃぁないか。
誰も参加できないと連絡があれば、あたしの一門を頼むつもりでいた。
連絡がないから、その手は打たなかった。
あたしは自転車を走らせ、会場の地域創造館へ向かった。
こういう状況の中でも、扇子っ子連は落語を通して、しっかりと生きてます、というところを鑑賞してもらいたい。
そして、無料の会なので、売り上げはないが、今まで、あたしが貰っていたレッスン料の何割かを被害地へ義捐金にしよう、、、。
創造館には多くのカルチャー教室がある。
館の駐輪場は自転車でいっぱい、、、、。
こういう状況でも、人は文化に集まるんじゃないか、、、よかった、、、。
活力、、、、。

さらに続きました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるからだ。
だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に向く。
 
こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
例え、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
 
客席の頭数は多くを望めない。
出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んでくださるお客が必ずいるということだ。
出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた言葉が頭によぎることはある。
しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家冥利に尽きるというものだ。
そして・・・・、師匠のコメントは続きます。
あたしは自転車を走らせ、扇子っ子連の発表会の会場である町内の地域創造館へ向かった。
入口に向かう石段の所でメンバーの一人と顔を合わせる。
ロビーに入ると、その他、二人、ソファーに座っている。
「三人いれば形はつく。ありがたい」と思い、念のため、高座の設営はどうかなと、会場になる会議室のドアーを開けようとしたが、カギがかかっている。
控室に回ると、誰もいない。
「なんだ、こりゃ! どういうこと?」
ドッキリカメラかな、と思うほど、戸惑った。
ロビーに戻って、「やらないの?」と訊くと、世話人が「中止にしました」と。
「どうして?」
「師匠には、メールで連絡してあります。師匠はメールを見てないからなぁ」と。
あたしの頭に描いていたものが、音を立てて崩れ落ちた。
11日の、あのときの揺れより、ショックは大きかった。
「昨日の朝、二度に渡り、電話をかけてきて、あとは、メールで『中止の決定』を
送ったということか……」
メールを見てないあたしは、とんだピエロを演じてしまったようだ。
こんな状況下、言い争いは避けたいので、即、その場から退散。
帰宅して、パソコンを見ると、なるほど、受信されている。
「メンバー、全員、中止に賛成した」「会場へ聞きに来てしまったお客へ、お詫びを言いますので、会場に集りましょう」
なんてぇこった!!!
「来られるのなら、おやりよ!!」
パソコンのモニターに向かって、絶叫してしまった。

師匠の思いは、当時の我々の中途半端な気持ちを大きく超えたものでした。
その後の師匠のブログも生々しいものです。
なにもかも忘れたい! こんな気持ちから、まだ昼下がりだが、寝込む。
女房に起こされて、「お客さんが……」という。
玄関に扇子っ子連のメンバーが5,6人。
「申し訳ございません」と頭を下げてきた。
ああだこうだと、言葉のぶつけ合いもいやだから、
「あたしは自分に指導する力のないことを実感しましたので、役をおります」と、反省かたがた、お詫びをし、みなさんには帰ってもらった。
扇子っ子連のメンバー11人。
この一年間、みな、真面目に落語の稽古に励んでくれた。
でも、この状況下、伝わらなくてはならない指導者の気持ちが、伝わらなかった。
所詮、プロとアマチュアの立場の違い、と言えばそれまでだが……。
あたしはそうは思いたくない。
落語を教える、習うという同じ場で、プロとアマチュアが交流したんだから、
落語の語りを覚えるだけでなく、もう少し奥、プロの心も知って欲しかった。
あたしもプロとしてアマチュアと交流して、アマチュアの純粋さを知って、嬉しく思ったことがしばしばあった。
それは、あたしも学生の頃、経験したからであろう。

確かに、「我々はプロじゃないんだから」という思いもありました。
しかし、師匠が語ってくださったことは、アマチュアの我々にも、物凄い説得力で迫って来るものでした。
そして、その後で、ワッフルさんが師匠にてがみを書いてくださいました。
扇子っ子連のワッフルさんより、手紙。
「メンバー一同は師匠も了解の上での中止かと理解してました」
屏風さんとジョナサンで会う。
「改めて、指導してください」
「落語を演じたいと、プロとアマチュアが交流しての扇子っ子連の稽古会。
交流の価値観を高めましょう」

・・・色々あって、何とかこの日の会になりました。
師匠のこの時の気持ちが、その年の「圓朝まつり」の奉納落語会でお演りになった、ご自身創作の「揺れるとき」のストーリーに繋がります。  
そんな、さまざまな思いも乗せた、リベンジの落語会でした。
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今となっては、懐かしい思い出です。
これで、みんなの結束も強まりましたから。

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