« ラジオ寄席 | トップページ | 「深川三流亭」の番組 »

2015年3月29日 (日)

「浜野矩随」への思い

「大丈夫だよ。噺は荒れていないよ」。
師匠から、お許しをいただきました。
私にとって「浜野矩随」という噺は、持ちネタの中でも特別な噺。
「浜野矩随」への思い。
初演は、大学4年生の秋。
あれから何度高座にかけたでしょうか?
卒業してからも、OB落語会に出演して2度ほどかけたでしようか。
「浜野矩随」への思い。
そして、今から6年前、落研50周年落語会に向けて、師匠に本格的に稽古をつけていただきました。
OB落語会の後、落語っ子連の発表会でもかけました。
「浜野矩随」への思い。
さらに、今から3年前、「番外あおば亭(一番丁はずみ亭)」で再々演。
「浜野矩随」への思い。
この時のコメントは、今も変わっていません。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/02/post-4954.html
・・・2年経って、無性に演りたくなりました。
この2年間で、師匠から教えていただいた数々のことを、この噺でもチャレンジしたら、きっと違う「浜野矩随」が出来るかもしれない、ということで、今回で6度目の「浜野矩随」です。
出来不出来は、自分では全く分かりません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、高座に座った瞬間に見えたものに忠実に、私の今の感性で演るという目的の一部には触れることが出来たのではないかと・・・。
「浜野矩随」への思い。
恐らく、私にとっては、原点になる噺なのでしょう。
何かの思いに至った時に、やってみたくなる、やってみて自分を確認してみる、そんな噺なのだと思っています。
「浜野矩随」への思い。
落語に魅せられて、ずっぽりとはまっていた時に、父が急逝し、翌年母が倒れました。
勿論、落語を手放すつもりはありませんでしたが、当然のことながら、稽古や寄席通いに没頭出来る状態ではなくなりました。
その間、今までの落語に対する姿勢や演じることに対して、自信がなくなってしまいました。
「浜野矩随」への思い。
限られた時間の中で、新しい噺にもチャレンジはして来ました。
周囲の方々からは、それなりに評価もしていただきました。
でも、自分の中では、「鰍沢」も「蒟蒻問答」も、不完全燃焼でした。
・・・母の体調も落ち着き、いくらか余裕も出て来ました。
そんな時に、三流亭窓口(千早亭竜太楼)さんから、メールを頂戴しました。
今、私の数少ないファンと飲んでいるのですが、要町で聞いた流三さんの「浜野矩随」をもう一度聞きたいとの流三ファンがいます。
できれば5月16日の発表会で是非聞きたいとの希望があります。
可能であれば「浜野矩随」を宜しくお願いします。
「浜野矩随」への思い。
・・・こちらこそ、涙が出そうな有難い話でした。
そうか、もう一度リセットする必要があるのかもしれない。
それならば、窓口さんにリクエストをいただいた「深川三流亭」で、再々々演させてもらおうか・・・。
今日の稽古で、師匠にお願いしました。
「師匠、この2年間、プライベートで色々あって、なかなか稽古会にも出られず、師匠にも皆さんにもご迷惑をおかけしました。おかげさまで、何とか元のペースに戻れそうですから、原点に立ち返って、浜野を演らせていただきたいのですが」。
「うん。いいね、構わないよ」。
・・・それで、今日の稽古会で、3年ぶりにぶっつけ本番で稽古をつけていただきました。
高座本もなく、ただ自分の口から出て来る言葉をそのままに。
「大丈夫だよ。噺は荒れていないよ」。
何よりも嬉しい、師匠からのコメントでした。
「浜野矩随」は、誰から何と言われても、私の原点です。

« ラジオ寄席 | トップページ | 「深川三流亭」の番組 »

らんしのしんら」カテゴリの記事