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2015年2月 7日 (土)

烏亭焉馬と三遊亭圓朝

またまた、瀧口雅仁さんのツイート。
落語中興の祖について。
烏亭焉馬を「落語界中興の祖」としたのは先の理由による。
焉馬の開いた「咄の会」に出席した(とされる)初代三笑亭可楽が寄席を生み、そこから門弟十哲と呼ばれる、初代三遊亭圓生、初代林屋正蔵といった職業落語家が生まれる。
そして江戸後期には寄席の数は150を数える。
天保の改革で一度衰微を見せるが、それは寄席が取り締りにあった訳で、水野忠邦が失脚した後すぐに寄席は復興する。
そして、その落語家の流れをくみ、場末の真打になったのが初代三遊亭圓朝。
その後、改めて擬宝珠で真打昇進する訳だが、その流れの中で、落語界を中興させる動きはない。

08v240焉馬から圓朝にいたる落語界の流れの中で、落語界が衰えたり途絶えたりすることはない。
武左衛門と焉馬の間にはあった。
だから焉馬を「落語中興の祖」とし、圓朝は人情噺が衰退していく中、明治の御世を取り込んだ落語や初代圓遊といった門弟を生んだ。
従って、「近代落語の祖」だと言うことです。
いずれにしても、圓朝の功績が多大であることには間違いはありません。
烏亭焉馬とは。
江戸時代後期の戯作者・浄瑠璃作家。
式亭三馬や柳亭種彦などを庇護し、落語中興の祖とも言われる。
本名は中村英祝。
和泉屋和助の通称があったが、住まいの相生町の堅川をもじった「立川焉馬」や、親交のあった市川団十郎をもじって「立川談洲楼」または「談洲楼焉馬」と名乗ることもあった。

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