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2015年1月 6日 (火)

五代目圓楽一門会

ear今年から五代目圓楽一門会の会長が代わったそうです。
会長の鳳楽師匠が顧問になり、会長には好楽師匠が就任。
圓橘師匠が相談役、圓楽師匠が幹事長。
副会長には楽之介師匠が。
世間ではほとんど騒がれていませんが・・・。
弱小政党の代表でも、交代の時にはいくらかニュースになるのに・・・・。
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これは、昨秋の国立演芸場での一門会のチラシです。
そもそも、五代目圓楽一門会というのは・・・。
1978年の落語協会分裂騒動で、五代目圓楽が師匠六代目三遊亭圓生と共に落語三遊協会を創設するも、翌1979年に圓生の死去により解散。
三遊亭圓生の直弟子たち(五代目圓楽を除く)は圓生未亡人や遺族の仲介で落語協会に復帰するが、五代目圓楽一門のみは復帰せず、単独で「大日本落語すみれ会」を結成。落語三遊協会解散時の落語家のうち約半数が「すみれ会」に参加したことになるが、組織的な繋がりはない。
1985年に「落語円楽党」と改名、1990年からは「円楽一門会」と称する。
2007年、五代目圓楽は高座を引退表明。
このため、五代目圓楽は最高顧問となり、総領弟子・鳳楽が会長に就任し、これに「一門の幹部」として、好楽・圓橘・楽太郎(六代目円楽)を加えた4人による事実上の集団指導体制へ移行した。
ただし、五代目圓楽自身は完全に落語界から消えたわけではなく、その後も癌などを患いながら後進の指導を主な活動とし、なおも影響力を保持していた。
しかし、肺癌・脳梗塞が再発し、最後の弟子である王楽の真打昇進から1ヶ月も経たない2009年10月29日に死去した。
円楽一門会は、五代目圓楽と同様に落語協会から飛び出した七代目立川談志が率いる落語立川流と同様、中心人物である五代目圓楽の知名度とカリスマ性によって団体が維持されてきた面は否定できず、五代目圓楽が倒れた際には芸能マスコミなどで団体の存続について少なからぬ噂が飛び交うなどという事も見られ、今後の方向性に注目が集まった。
2009年11月21日に東京會舘で行われた五代目圓楽の「お別れの会」の席で、従来からの「円楽一門会」を、「五代目圓楽一門会(会長・三遊亭鳳楽)とすることが明らかになった。
2010年3月には、楽太郎の六代目円楽の襲名披露興行が、桂歌丸会長率いる落語芸術協会の協力を得て、定席である新宿末廣亭などで行われ、六代目円楽のほか、鳳楽・好楽・圓橘などが出演。
同年10月28日の五代目圓楽一周忌において、六代目円楽から歌丸に対して円楽一門会の落語芸術協会への合流の申し入れがされたが、芸協内では根強い反対意見もあり[、2011年6月の総会でも賛成派は歌丸と三遊亭小遊三だけであったため、否決された。

・・・どよ~んとした歴史というか、経緯というのか・・・。
そもそも、「五代目圓楽一門会」という名称からして、とてもおかしいと思いましたから。
これもあの落語協会分裂騒動の影響だと思います。
真偽のほどは分かりませんが、この騒動で、表裏で中心的立場を演じた五代目圓楽師匠と談志師匠は、結果としては罪作りだった気がします。
誰も幸せにならなかった・・・。

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