桂小金治師匠の記事
「人情家 怒って泣いて笑わせて」という見出し。
昨年亡くなった「桂小金治」師匠に関する記事です。
ゲラゲラ笑って、怒って、泣いて――。
喜怒哀楽を素直に表現した名物司会者として、長らくお茶の間の人気者だった。
落語家から映画俳優に転身した後、テレビの世界に入った。
1966年、ワイドショー番組「アフタヌーンショー」の司会に起用されて「昼の顔」に。
番組では社会の不正や暴力に口をとがらせ、声をあららげ、「怒りの小金治」の異名をとった。
一緒に番組を進行していた元テレビ朝日アナウンサーの棟方宏一さんは、「話は抜群にうまく、正義感が強く、人情に厚い。そんな性格がお茶の間に親しまれた」と話す。
交通事故の問題に特に力を入れ、交通遺児の支援をライフワークにした。
75年から「それは秘密です!!」の司会を担当。
離ればなれの家族が対面するコーナーでは感動のあまりボロボロ涙を流し、今度は「泣きの小金治」とも呼ばれた。
47年に桂小文治に弟子入りし、2年で二ツ目にスピード昇進。
真打ちにはならなかったが、腕前から「師匠」と呼ばれた。
努力家で、夜にむくっと起きて稽古をすることもあり、家族を驚かせた。
長男は「原点は落語という思いが強かった」とふり返る。
60代になってからは精力的に落語に取り組んだ。
共に高座に上がった桂文我さんは「江戸の落語を冷凍保存したような落語で年輪を重ねるほど深みを増した」。
晩年は通っていたデイケアで落語を披露し、周りのお年寄りやスタッフを楽しませた。
亡くなる前、病室で声を出せなくなった時は、「3、9(サンキュー)」と指で示して自慢の妻を笑わせた。
棺に納められたのは、噺家の小道具、扇子と手ぬぐい。
最期は、「落語家」桂小金治として見送られた。
・・・そうでしたね。
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