ある力士の引退
元小結で、右膝のけがで東幕下7枚目に落ちていた豊真将が引退、年寄「立田川」を襲名するそうです。
変わった経歴の持ち主で、それほど目立つ力士ではありませんでしたが、ちょっと気になるお相撲さんでしたから、とても残念です。
昨年名古屋場所で日馬富士に押し倒された際に右膝を負傷。
手術を受けた後、復帰を目指してリハビリに励んできたが、再出場はかなわないまま、引退の道を選んだ。
下関市で育った豊真将は小2で相撲を始め、名門の埼玉栄高に相撲留学。
日大相撲部では1年からレギュラーになった。
だが、両足に蜂萵織炎を患い退部。
警備員やとび職のアルバイトをして3年間、相撲から離れた。
アルバイト先の会社社長を通して、1カ月前に独立したばかりの錣山親方(元関脇寺尾)に誘われ、04年春場所で初土俵。
年齢は22歳11ヶ月で、新弟子の年齢規定23歳未満のギリギリだった。
06年夏場所で貴乃花、武蔵丸、旭富士ら元横綱に並ぶ史上9位タイ(当時)の所要13場所で新入幕を果たすと、3度の準優勝を経験し、2度の技能賞、5度の敢闘賞を受賞した。
上位の壁には跳ね返され続けたが、5度目の前頭筆頭で2ケタ白星を挙げて、11年九州場所で、年6場所制になった58年以降4番目に年長(当時)の30歳6ヶ月で新三役となった。
土俵上の所作がきれいなことで知られ、ぶつかりげいこでは、現役時代は「鉄人」の異名を取った錣山親方の肋骨を3度も折った伝説も持っている。
錣山親方は「礼に始まり礼に終わることを体現できる数少ない力士だった」と、愛弟子に賛辞を送った。
所作が美しいというのは、お相撲さんにとって大切な要因だと思います。
例えば、横綱の土俵入りを見ていても、今の3横綱それぞれですが、全ての所作が美しいとは思えません。
白鵬も、個人的に言えば、最初に両腕を挙げて広げてから柏手を打つ所は、ちょっと美しくないと思いますし。
それから、角界では、昔の○○山や▲▲海ではなく、○○鵬、▲▲龍、■■鳳、◇◇竜・・・・なんていう四股名が流行っていますが、 大鵬の頃は珍しかったのですが、あまり良いと思いません。
それに比べて、豊真将なんていうのは良かったですね。
年寄り名は「立田川」・・・、「竜田川」ではありませんが、「たっ(つ)たがわ」と読むのでしょうから、親しみが湧きますね。
何と言っても、私は、「千早亭永久」ですから。
本当にご苦労さまでした。