あるお笑い芸人復活の噂
淫行騒動で所属する事務所から解雇されたのは06年7月。
10月に被害者との示談が成立したが、芸能界から姿を消した。
このお笑い芸人が、何と芸能活動を再開するそうです。
公式サイトを立ち上げ、19日に都内でライブを行い、9年ぶりに芸能活動を再開させると。
かつて親交が深かった芸人仲間の多くは歓迎しているそうですが、私はどうも釈然としません。
あの時、自身の蛮行が原因で退場させられたのだから、永久に追放されたままでいるのがしかるべきだと思います。
是とする人々は、物事の真の重要性や被害者の気持ちを慮ってはいない気がします。
仲間たちは、好き嫌いだけで判断していて、良し悪しの判断が出来ていないと思います。
「禊(みそぎ)としては十分な期間だったと思うし、チャンスを与えてもいいと思う」
「逃げも隠れもしないで真っ向から風を受けようって覚悟した人の行末を見たい」
「禊」の対象にならないでしょう。
逃げて隠れるべきでしょう。
それだけ取り返しのつかないことをしたのです。
「なぜ芸能界はこんなに甘いのか」
「更生して人生をやり直せる人もいるだろうけど、懲りない人も多い」
私は、この人が画面に出るだけで、嫌悪・不愉快になると思います。
「禊」とは。
神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。
これが転じて、現代ではスキャンダルのある政治家が、選挙を勝ち抜くことによって政治責任に区切りをつけたとする場合に「禊は済ませた」という。
有権者が公知のスキャンダルを知った上で選出した以上、政敵やジャーナリズムなどによる政治責任追及に対して「選挙区の民意」という抗弁材料を得ることになる。
ただし刑事責任の免責を意味するものではない。
要するに、本来の意味は「洗い清める」ですが、「禊を済ませた」というふうに使われた場合は、 悪徳政治家やバカな芸能人が一定の期間をおいて復活しました。
・・・・と使われることが多いんですね。
随分軽い、自分勝手な解釈です。
芸人さんは、品がなくてはいけません。
それを忘れて欲しくないものです。
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