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2014年12月13日 (土)

立川流のこと

pen立川流に関して、こんなコメントがありました。
http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-1356.html
立川流で、動きがありそうだ。
左談次のホームページにある日記で、12月6日の記事に、立川談幸一門が立川流を退会し、左談次は理事を辞任したと書かれている。
左談次はツイッターで、談幸一門は本年をもって退会し、落語芸術協会(芸協)入りすると発信している。
肝腎の談幸のホームページやブログには、退会のことは、まだ何ら書かれていない。
・・・・・。
談幸は、唯一、談志の内弟子経験者。人形町らくだ亭で聴いたことがあるが、妙なクスグリなど挟まない、いわば本寸法の高座だった。
他の立川流の噺家さんと好対照であることが印象的だった。
・・・・・。
もちろん、今の段階で、ネット情報を元に断定的なことは言えない。
あくまで、私の邪推かもしれないが、こういうことは言えるのではなかろうか。
談幸一門は、立川流に固執する理由がなかったのだろうし、師匠は二人の弟子に寄席に出る機会を増やしてやりたい、という思いも強かったのだろうと察する。
師匠も弟子の吉幸も落語協会そして芸協所属の噺家との人脈もあり、いろんな会話も交わされたのではなかろうか。
そして、吉幸は真打昇進を目前にした重要な過渡期にあり、立川流の真打になるか、二大協会のいずれかで真打を目指すかの判断を迫られたのだろう。
その結果、師匠と弟子は、立川流を離れる決断を下したのだと察する。
談幸は私とほぼ同じ世代の人で、今年還暦。

11月の師匠の命日もすぎ、何か期するものがあったのだろう。
立川流一門のサイトには、まだ談幸も弟子たちも名前が残っている。
・・・・。 
年が明けてどのような情報が発信されるか興味深いが、私はこのような事態になるのは、時間の問題だと思っていた。
元来、家元ありきの「立川流」なのであって、組織としての「立川協会」があるわけではない。
立川流創設からしばらく、二ツ目や真打昇進の数字的な条件はあったが、昇進の是非は、あくまで家元の眼にかなうことが必須であった。
立川流≒立川談志、と言ってよかったのであって、組織として機能していたとは思えない。
談志に代わって求心力のあるカリスマは存在しない。
だから、私は、談志の死をもって、実質的に立川流は終焉したと思っている。
ただし、談志の元に実力のある噺家さんが育ったことは事実だ。
なかでも、志の輔、志らく、談春、そして談笑は、今のままでも、落語会の開催などで食べていけるかもしれない。
しかし、その弟子たちの将来は、果たしてどうなのだろうか。
・・・・。
また、四人以外の真打やその弟子たちは、いったいどれほどに立川流という看板の恩恵を被っているのだろうか。
以前に、円楽グループのことを書いた際、協会を芸者の置屋、寄席を料亭にたとえたことがある。
落語協会と芸術協会の噺家は、置屋(協会)に登録してあることで、都内の老舗料亭(定席寄席)に出ることができる。
芸協は鈴本には出られないけど、末広亭、池袋、浅草には出ることができる。
しかし、立川流という置屋に登録した噺家は、日暮里やお江戸日本橋亭などの小さな永谷
の寄席にしか出ることができない。
もちろん、そういった場も大事なのだが、噺家を育てる環境としては、老舗の定席にはかなわない。
日暮里などの寄席は、固有の贔屓客が多いだろうから、他の定席のような‘アウェー’の環境や、目の肥えた客の鋭い視線にさらされることは少なかろう。
老舗の寄席における、太鼓や高座返し、楽屋の雑用などの修業も若手が成長するためには大事なものだ。
立川流は、談志亡き後、真打昇進という重要な通過儀礼を、「トライアル」というイベントにして凌いでいるようだが、それ以外に、一門としての存在意義や団体としての活動とは、いったい何なのだろう・・・・・・。
そういった疑問は、当事者の中にももちろんあるだろうから、今後も櫛の歯が抜けるように、この一門からの脱退者は増えるに違いない。
芸協あるいは落語協会に入会することで、寄席への出番は確実に増えるし、その置屋の仕組みの中で若手は育ち昇進という通過儀礼を迎えることができる。
私は、立川流を離れる噺家さんは、談志とも交流の深かった市馬が会長になった落語協会が、その受け入れ先となるのではないか、と勘繰っていた。
しかし、談幸一門が芸協に流れて行くのであれば、最近、とみに痩せたとの情報のある市馬の健康状態の背景に、このことがあるのかと邪推してしまうのである。
年明けに正確な情報が発信されるのだろうが、立川流が大きな変動期を迎えているのは確かなのだろう。

色々な見方があるものですね。
一方、立川談幸師匠について、こんなコメントを見つけました。
http://www.d4.dion.ne.jp/~t-dankou/
「鳴かず飛ばずも芸のうち」
これは立川談幸師が真打ちになったときに、談志師匠から贈られた言葉だそうです。
ハレの日に贈るには決してふさわしいフレーズではありませんよね。
ところがこの言葉の中には、談志師の深い愛情が込められているんですね。
談幸師は著書「談志狂時代」で、こんなことを書かれています。
「即、答えを出す落語家もいる。即、答えの出せる落語家を羨むこともあったが、私はどうも、そういうタイプではなさそうである。だから今は開き直って、何年も何年もかけて、自分の芸の確立のために長くやっていこうと考えている」
談幸師のそんな芸風を知り尽くしていたからこそ、談志師はあの言葉を贈ったんだと思います。

昭和29年(1954)に東京に生まれ、十代半ばから立川談志師に強い憧れを持ち、明治大学(渡辺正行、小宮孝泰と同級生)卒業後入門、立川流唯一の内弟子として過ごしたのが談幸師です。
彼が真打ちになったときの挨拶文に、談志師はこんなことを書かれています。
「数多い弟子の中で談幸は師弟の生活において<完璧>でありました。
文字通り <完璧>なのであります。
それが証拠に談幸のみが私の弟子の中で過去唯一の内弟子であった。
と言うことは人間生活の感情行動が見事に解る特性があるのです。
談幸の対人関係も完璧に近いものと想像できます。
(中略)談幸は付き合って損をさせない数少ない落語家であります」
あの談志師が二回も完璧という言葉を使ってるぐらいですから、談幸師の人と成りが
容易に想像できます。
「立川流の良心」と呼ばれているのもうなずけます。
でもお人柄だけではなく、芸ももちろん素敵です。

一点一画をおろそかにしない楷書の芸風で、まさしく古典落語の本格派なんですが、時折飛び込んでくる軽やかなギャグが効いていて、そのギャップがとても魅力的なんです。
持ちネタも200を数え、その中には埋もれた噺の復活を手がける「愛(め)づから百撰」という会で珍しい噺も多くあるそうです。
また投扇興(とうせんきょう)、千社札、川柳、吹き矢など趣味が多いことでも知られています。

立川流の噺家さんを聴くことは多くありませんが、談幸師匠は何度か聴かせていただいたことがあります。

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