後輩の活躍
暇楽家十三さん、東京にまで進出したようです。
落研ブログにありました。
個人としての一席ですが、ご紹介。
僕の所属している学部の団体での余興に出てきました。
http://tohokuochiken.blog56.fc2.com/blog-entry-369.html
2014年11月29日
東北大学経済学部のとある余興
東京丸の内・新丸ビル10階にて。
暇楽家十三「悋気の独楽」
他府県への出演につきましては何度かオファーがありましたが、ご縁がなくお断りしてきましたので、東北圏外での落語は初めてでした。東京駅から徒歩3分。
笑うと負け、みたいな雰囲気のなかでは、なかなかネタはウケないようです。
男の人ばかりで、ニヤニヤしているのは見られたのですが、ワーッと沸くのはマクラまで。
今の実力ではここまでなのしょう、悔しいですね。
・・・頑張っていますね。若さが羨ましい・・・。
こちらはちょっと行き詰っていることもあってなおさらに。
素人の人は、千早亭でも三流亭でもそうですが、高座に上がるのに、マクラを一生懸命考える人がいます。
中には秀逸なマクラもありますが、ほとんどが・・・だったり、マクラはまずまずでも本題に入ったら・・・・だったりで、個人的には、落語本題に徹した方が良いと思います。
と言うか、私はマクラが苦手なので、お辞儀をしてすぐに、さりげなく本題に入るのが好きですね。
何故なら、マクラは普段の言葉遣いになってしまいますから。
普段の言葉遣いだと、古典あるいは江戸を舞台にする噺とは違ったトーンになってしまうので、それぞれマイナスになると思うんです。
それから、笑うと負け、ネタは受けない、というのは、演者の考え過ぎ・言い訳だと思います。
笑わなくても聴いてくれているし、受けるというのは単に笑いの量だけではありません。
圓窓師匠に師事していると、これを痛感します。
若い頃の圓窓師匠の噺を聴くと、マクラが実にあっさりしています。
私の「浜野矩随」の言い出しは、「江戸寛政の年度、腰元彫りの名人で・・・」と。
また、師匠からいただいた「揺れるとき」では、「旧暦の安政2年10月2日、ここは日の暮れかかった相州小田原の宿はずれ」と。
ほとんど、現代言葉のマクラは入れていません。
それから、圓窓師匠も志ん生師匠や他の名人の師匠も仰っていますが、落語は元々笑うように出来ているんだから、笑わそうとしてはダメだということ。
志ん生語録を落語家語録でもご紹介しました。
「お父ちゃん、落語をおもしろくするにはどうしたらいいんだい?」
「そりゃおまえ、おもしろくしないことだ」
これは深い・・・。
現代は、お笑いがテレビを席巻していますから、笑わせることだけが目的になっていて、ちょっと違和感があるんです。
とは言え、十三さんのチャレンジ精神と分析力は大したものだと思います。
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