犠牲者ゼロの秘密
先日の長野県での地震では、多くの家屋が倒壊し、生き埋めや下敷きになった人がいたにも拘わらず、犠牲者は皆無でした。
自分が助かった理由として多かったのは、「とにかく外に出たことだ」「たまたま自分の上にたんすが乗っかってきて、それが身を守ってくれた」「お風呂場にいて、傷は負ったが命だけは助かった」という類のほかに、これら地域の強い「結び付き」です。
自分が助かった後も地域の方や友人をすぐに助けにいきます。
そのなかには、暗闇のなかでも「助けて」という声を聞いただけで、その人が誰で、どこにいるのか瞬時に判断してレスキュー隊を呼べたという話も聞いています。
これだけ大きな地震が起こったなかでも「死者ゼロ」という結果につながった一番の理由は、やはり地域の強い結び付きなのです。
この感覚は、田舎者の私にはよく分かります。
独身時代、事前に何も言わずに帰省したことがありました。
すると、実家は、鍵はかかっていませんでしたが、車庫に車もなく、両親は留守でした。
仕方がないので、勝手知ったる我が家に入って寛いでいると、間もなく両親が帰って来ました。
近所の人が、私の車が来たのを見て、両親の出先に連絡をしてくれたので、すぐに帰って来たということでした。
近所の人同士が、何処にいるのかを把握し合っているんです。
これって、田舎の特有なものではなく、江戸時代の下町、長屋の暮らしもそうだったはずですよ。
「唐茄子屋政談」の貧乏長屋なんて、まさにそんな雰囲気です。
みんなで力を合わせて生きて行くこと、これが庶民の最大の武器だったと思います。
落語国、そして我が郷里の人たちの暮らしがそこにあります。