« オペラ歌手の訃報 | トップページ | 東海道岩淵 »

2014年11月29日 (土)

世間亭節介さんへの追悼

落研のブログに、落研後輩の「凰亭火炙鶏」さんの追悼コメントがアップされていました。
昨日が五七日忌(いつなぬか)だったはずです。
この場でも、披露させていただきます。
http://tohokuochiken.blog56.fc2.com/
一ヶ月前、私たちに大きな不幸が起きました。
東北大学学友会落語研究部の発展に多大な貢献をされた、偉大な先輩が亡くなられました。
落語研究部に所属していた世間亭節介さんが、10月23日に下宿先の学生寮で突然倒れ、搬送先の病院で息を引き取れました。
節介さんが亡くなったことは、東北大学の大学祭の期間中に大学院理学部数学科の研究室のご友人に教えていただきました。
私が節介さんと直接お話ししたのは、9月末の東北大学学友会落語研究部「第24回OB落語会」が最後になってしまいました。
その落語会では節介さんご自身も高座に上がり、すばらしい落語を披露されました。
大学卒業後に一時期は体調を崩されたこともあったそうですが、その落語会や打ち上げではとても元気な姿を目にしていたので、突然の訃報にはただ驚くばかりで、にわかには信じられませんでした。
私が節介さんと初めてお会いしたのは一昨年の新歓期間、新入生歓迎のお花見に一年生として参加したときでした。
節介さんは4つ上の先輩に当たり、普段の部活動の中では一緒に活動することはありませんでしたが、節介さんのことは先輩方からお話をよく伺っていました。
節介さんは落語がとても上手なだけではなく、部活動の多くの職務を全うしてそのマニュアルをも作成してくださいました。
さらには文化部の常任委員も務め、現役の部員はもちろんのこと、OBさんや大学関係者からの信頼も厚い先輩でした。
また、とても個性的な先輩であり、初めて会ったときには誰しも度胆を抜かれるだろうとのことでした。
実際に節介さんと初めて会って話をしてみると、噂に聞いて予想していたよりも強烈な印象を受けました。
節介さんの独特な喋り方はまるで落語の世界そのもので、小噺をしているかのようであり、さすが落研の伝説の部員だと思いました。
他の部員の中にも節介さんに会って、その人柄や落語研究部の魅力にひかれた人が多いと思います。
節介さんの大学生時代の落語研究部でのエピソードは面白く、「様々な苦労をしながらも得られたものも多く、所属していて楽しかった」と嬉しそうに話されていました。
私が入部したときには既に卒業されていたので、節介さんの落語を聞ける機会はそれほど多くはありませんでした。
節介さんが一般のお客さんを前にした高座の上で落語をしているのを初めて見たのは、「第23回OB落語会」が初めてだったと思います。
節介さんがそのときにかけたネタは「金明竹」でした。
Fw:,,
節介さんが披露した「金明竹」を間近で見て、その口跡の鮮やかさ、笑いの取り方、客席からの拍手も大きさに感動しました。
節介さんの落語はいつ見ても楽しく、人情話で涙を流す部員もいるほど落語が上手でした。
その年の顔見世落語発表会では、私の一つ上の先輩が節介さんの落語に魅せられて覚えた「金明竹」をかけていました。
卒業された後も普段から意識されるなど、節介さんの落語は部員たちの心に強く残っています。
二年生に進級した私は川内部長(代表)になり、部員の大幅な増加や活動規模の拡大などについて、節介さんに相談する機会が何回かありました。
節介さんの助言は丁寧で分かりやすく、とても参考になり、助けられました。
また、打ち上げの三次会でよく利用するお店の常連客でもあり、今年に入ってからは今の川内部長やOBの方々としばしば集まっていたようです。
いつも明るく、その周囲では笑顔が絶えず、卒業後も多くの部員から信頼される、偉大な先輩でした。
最後の高座となった「第24回OB落語会」で節介さんが披露したのは、一年生のときに初めて高座でかけたという「一目上がり」でした。
L_9fff38884babecb1bc0eb8776fcfe8b32
大学院での勉強が忙しく、あまり練習できていなかったと本番前に話していましたが、会場のお客様も満足の高座だったと思います。
節介さんの落語をもう生で見ることができないのが残念でなりません。
OB落語会の懇親会では明るく元気な姿を見せ、最近は体調も良くなっている気がしているとお話しされていたときから間もないことだったので、もう会うことができないという実感があまりわきませんでしたが、今この文章を書いていると悲しくなってきます。
節介さんが東北大学落語研究部に所属し、周囲の人々に落語やその人柄で笑顔を与えていたことを忘れず、節介さんとの思い出を大切にして頂ければ嬉しいです。
節介さんのご冥福を心よりお祈りします。

・・・在りし日の節介さんの八面六臂の活躍の様子が、目に浮かんで来ます。
OB会でも、桂友楽師匠が、節介さんのご実家を弔問されました。
恋し家古狂師匠が撮影し現像した「第24回OB落語会」の写真を持参し、ご両親にご説明されたそうです。
また、喰亭寝蔵師匠が撮影・制作されたBDを、談亭志ん志師匠が贈ってくださっていて、ご両親は、何度も何度もご覧になっているとのことでした。
仏壇には「世間亭節介」のめくり、扇子、着物などの愛用品がお供えしてあったそうです。
ご両親は節介さんが故郷に錦を飾るのを楽しみにしておられたそうで、ほぼ私と同年輩だと思いますので、そのお気持ちを察して余りあるものがあります。
改めて、有為の人材を失ってしまった失望感を痛感しつつ、ご冥福を祈ります。

« オペラ歌手の訃報 | トップページ | 東海道岩淵 »

落研」カテゴリの記事