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2014年10月 7日 (火)

秋の月(十三夜)

10月6日[旧暦9月13日]の今宵の月は十三夜。
  fullmoon久方の 月の桂も 秋はなほ
                   もみじすればや 照りまさるらむ
maple
突然ですが、これは古今和歌集にある壬生忠岑が詠んだ歌です。
月に生えているという桂の木も、やはり秋に紅葉の時期を迎えるから、秋の月は一層美しく照り輝くのだろうか。
・・・そんな意味なんだそうです。
だから何なんだと言う訳ではありませんが。

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ある学者さんによれば、壬生忠岑は学者肌の歌詠みだったので中国の故事に詳しく、それを皆に誇示したいといつも考えていたそうです。
この歌も、月には桂が生えているという中国の故事が引用されています。
しかし、 ただ引用するだけでは芸がないので、秋という季節との関係を考える。
秋には月が輝きを増す。その理由は、桂が紅葉したからだ。
忠岑の意表を衝いた発想に、皆が少し遅れて気がついて拍手。
知識を駆使しながら芸術的な表現ができたということで、落語で言えば、見事な「考えオチ」になったと言うことでしょう。
月世界には兎がいて餅を搗いたり、桂が生えて紅葉したり・・・。
月と言うのは、月面に着陸してクレーターを見るよりも、ボロの見えない(手の届かない)遠い場所から、想像力を逞しくして眺めるのが一番だと言うことなのでしょうか?
故郷(古里)も月も、遠くにあって思うバーチャルな存在だというのは、美的な感覚はともかく、ちょっと寂しい気がするのも人情?
同じ古今和歌集の大江千里は、もっと寂しげです。
  moon1月みれば ちゞにものこそ かなしけれ
                 わが身ひとつの秋にはあらねど weep

月を見ると限りもなく悲しくなってまいります。
私だけの秋というわけではないのですが。

有名な歌です。
自分だけが秋の中にいて悲しい訳ではありませんが、それでも秋と言うのは物悲しい。
ところで、壬生忠岑と言えば、百人一首のこの歌が有名です。
  moon3有明の つれなく見えし 別れより
                暁ばかり 憂きものはなし crying

有明の月は冷ややかでそっけなく見えた。
相手の女にも冷たく帰りをせかされた。
それからの私は、暁(夜明け前)ほど憂鬱で辛く感じる時はない。

「暁ばかり憂きものはなし」・・、暁は嫌われたものです。
(久方の)満月[望月]と暁は、悲しく寂しい秋の夕暮れです。

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