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2014年10月27日 (月)

三遊雪どけの会

snow今から約35年前の「落語協会分裂騒動」の渦中で、文字通り翻弄され、分裂した「三遊派」の関係回復を目指してスタートした「三遊雪どけの会」。
11月1日から15日までは、「お江戸両国亭」の定席興行として行われます。
圓窓師匠も、3日にご出演される予定です。
【落語協会分裂騒動】
1978年(昭和53年)5月9日の落語協会理事会で、同協会前会長(当時顧問)六代目三遊亭圓生は、才能が無くても二つ目昇進から10年以上経過したら誰でも昇進出来る大量真打昇進制度を憂えて、同制度を推し進めていた常任理事五代目春風亭柳朝、四代目三遊亭金馬、三代目三遊亭圓歌を更迭し、代わりに自分と同調する三遊亭圓楽、立川談志、古今亭志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を提出。
しかし、賛成は圓生・志ん朝、棄権は圓楽・談志、その他全幹部は反対したため圧倒的大差で否決された。
これにより、圓生・圓楽は新協会設立へと本格的に動き始める。
当初計画では半数もの落語協会員が新協会側に移る胸算用で、既存の落語協会、落語芸術協会と並ぶ第三勢力の誕生を予期させたが、5月24日に赤坂プリンスホテルで行われた新協会(=落語三遊協会)の設立記者会見時では、かなり規模が縮小されて、圓生一門・志ん朝一門・圓蔵一門のみとなり、行動を共にすると見られていた志ん朝の実兄馬生一門(小さんによる慰留と年齢のため)・小さん一門の談志一門(狙っていた新協会次期会長の座を志ん朝に奪われたため)・圓蔵一門の三平一門(師匠圓蔵に誘われたが圓生とは不仲のため)は落語協会側に留まってしまった。
翌5月25日、都内各寄席の席亭会議で、それまで新協会設立に一定の理解を見せていた席亭達も、当初と違って小規模となった落語三遊協会に、落語協会と分裂されては困るので落語協会と一本化しなければ寄席を使わせない旨を通告。
これにより、志ん朝・圓蔵・圓蔵門下の圓鏡は降参し、5月31日にそれぞれ落語協会からの脱退を撤回した。
しかし、圓生だけは慰留を固辞して、一門は翌6月1日正式に落語協会を脱退し、6月14日に新協会を上野本牧亭で旗揚げした。
結局、「落語三遊協会」は、圓生と弟子(既にさん生、好生は5月17日に破門)・孫弟子(圓楽・圓窓の弟子)の三遊一門だけの小所帯となる。
寄席に出る機会が無い彼らは、小ホールなどを利用した首都圏での自主興行や地方公演での余興に活路を求めた。
だが、翌1979年(昭和54年)9月3日に圓生が急死。
その後、圓楽を除く弟子は落語協会に協会預かりの身分で1980年(昭和55年)2月1日に復帰して落語三遊協会は解散、落語協会に復帰した。
しかし、圓楽一門のみはついに復帰すること無く、大日本すみれ会(現:円楽一門会)を立ち上げた。
以降、圓楽一門は未だに落語協会に復帰していない。

この騒動の真っ最中の1978年(昭和53年)5月20日、「東北大学落語研究部創部20周年記念・三遊亭圓生独演会」を開催していました。

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