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2014年10月 1日 (水)

神田連雀亭

event二ツ目専門の寄席「神田連雀亭」が、神田須田町にオープンするそうです。
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仕掛け人は古今亭志ん輔師匠。
二ツ目の専門館は、全国で初めてではないかということです。
「神田連雀亭」は35席で、神田須田町のビルのワンフロア。
入場料は500~1000円。
ビルのオーナーさんが、志ん輔師匠に町おこし対策として、空きフロアの活用を相談したことがきっかけで、「寄席で出番が少ない二ツ目の活躍の場を」と、志ん輔師匠が提案したとのこと。
落語協会、落語芸術協会、講談協会、日本講談協会などに呼びかけ、総勢約80人の「二ツ目」の皆さんが賛同したそうです。
志ん輔師匠のこんなツイートがありました。
江戸川橋は還國寺へ墓参に向かう。
あっ、今日は祥月命日だ。
あれから丸13年か・・師匠の志ん朝が落語協会分裂に加わったのは二ッ目の高座がないことも一つの理由だった。
その年に自分は二ッ目専門館「連雀亭」を立ち上げようとしている。
そして今日15時から記者会見がある。
これはただの偶然か?

・・・なるほど、そんな背景もあるんですね。
その記者会見で。
落語協会分裂騒動のとき、二ツ目の高座の機会が増えるというのも理由のひとつだった私の師匠である志ん朝。
奇しくも今日、師匠の祥月命日にこの会見を開く縁を感じる。
連雀町の町おこしに一役かった地元の篤志家がやらないかと声をかけてくれました。

地元も歓迎だそうです。
「連雀亭」は千代田区神田須田町1―17の加藤ビル2階。
あの「かんだやぶそば」の蓮向かいのビルですね。
毎月20日までの平日昼は午後0時半~1時半、夜は午後7時~8時半。
土日祝日は午後1時~2時半。
21日~月末は貸席となるそうです。
ところで、、今日は「志ん朝忌」ですね。
2001年に63歳の若さで亡くなって、13年が経つんですね。
ところで、神田連雀町について。
http://edo.pro.tok2.com/edo/renjyaku66.html
神田川に架かる筋違橋は、中山道に通じており、行き交う人馬も多く、江戸時代のはじめごろより筋違御門が設けられていました。
門の内側、のちに八ツ小路(やつこうじ)と呼ばれた地に、連尺(物を背負うときに用いる荷縄、またはそれを取り付けた背負い子)をつくる職人が多く住んでいたことから、「連尺町」の名前が付けられました。
連尺町はやがて連雀町の字があてられ、広く用いられるようになりました。
明暦3年(1657)の大火「振袖火事」の後、連雀町は延焼防止の火除地として土地を召し上げられ、筋違橋の南方へ移転させられました。
その際、連尺を商う二十五世帯は、遠く武蔵野に代地を与えられ移住させられました。
現在の三鷹市上連雀・下連雀の地名はこの故事に由来します。
明治45年(1912)、甲武鉄道(のちの中央線)万世橋駅が開業。
駅前広場には明治の軍人広瀬中佐の銅像がそびえ、多くの市電の発着地として、東京でも屈指の交通の要衝として栄えました。
また、寄席の白梅亭をはじめ、旭楼など二十軒もの旅館が立ち並び、樋口一葉がその著「別れ霜」で、「神田連雀町とかや、友囀(ともさえず)りの喧しきならで客足しげき……」と、その賑わいを記しています。
大正13年(1923)の関東大震災後、区画整理がなされ、連雀町は、須田町一丁目と淡路町に改称されました。

「かんだやぶそば」が再開されるって、本当でしょうか?

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