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2014年9月27日 (土)

蒟蒻問答の意味

やろうかどうしようか迷っている「蒟蒻問答」について。
この噺は、禅僧から噺家になったという二代目林家(屋)正蔵が、幕末の嘉永年間に作った噺だそうです。
683a8ec9越前永平寺の僧で、諸国行をする「托善」(沙弥は出家し立ての少年僧のこと)は、この正蔵の坊主時代の名で、実在のものなんです。
そして、「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」とあるのは、その寺が禅寺であると言うこと。葷酒(ネギやニラのようににおいの強い野菜や酒は不浄なもの)は、心を乱し修行の妨げになるので、寺の門内に持ち込むことは許さないという意味で、禅寺の山門の脇の戒壇石に刻まれる定番の言葉です。
まず、「法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の鰭骨を保つ。大和尚、この義はいかに」という、托善からの問いかけがあります。
「法界に魚あり・・・・」は、魚という字から頭と尾(上下)を取れば、残るのは「田」となる。
そこから、鰭骨(きこつ=中骨)、つまり「|」の部分を取り除けば、「日」の字になります。
つまらない、単なる言葉遊びで、托善のハッタリかもしれません。
そして、無言の仕草で禅問答が始まります。
まず、托善が両手で小さな輪を作り差し出します。
それを見た蒟蒻屋は、両手で大きな輪を作ります。
托善は、たじろぎます。
次に、托善は両手を開いて十を示します。
蒟蒻屋は片手を開いて、五を出します。
またたじろぐ托善。
それではと、片手で三を示します。
蒟蒻屋は、いきなり目の下に手をやりアカンベーをします。
驚いた托善は、慌てて逃げ出します。
何が起きたかわからないので、托善を捕まえて、訳を尋ねます。
すると托善はいいます。
最初に、小さな輪を作り「大和尚のご胸中は」と問うと、両手で大きな輪を作り「大海の如し」と返答された。
次に指を十本出し、「十方世界は」と尋ねたら、指を五本出して「五戒で保つ」と答えた。
それではと、指を三本立て、親指と小指で丸をつくり「三尊の弥陀は」と問うたら、目の下を指し「目の下」にあり、と答えた。
あまりに見事な返答に驚き、自分の敵うところでないと知らされ、逃げ出したと。
さて、今度は蒟蒻屋に尋ねます。
蒟蒻屋は答えます。
最初に「お前んとこの蒟蒻はこんなに小さい」と馬鹿にするので、大きく手を広
げ「こんなにデカイ」と返してやった。
次に、「十丁でいくらだ」と聞いてきたので、「五百だ」と返答した。
そしたら、「三百にまけろ」ときたので、「アカンベー」をしてやった。
噺は、「仕草オチ」となります。
さて、少し薀蓄をと。
まず「十方世界」です。
これは、東・西・南・北・東南・西南・東北・西北の八方に、上・下を加えたもの。
この十方にそれぞれ衆生の住むところがあり、それを十方世界といいます。
この十方世界には、それぞれ諸仏の浄土があるとされています。
それを、十方浄土といいます。
ここでの問答では単に、「この世の生き方を問う」くらいの意味で良いという説があります。これに対して「五戒で保つ」です。
「五戒」とは、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒戒の五つの戒です。 
世の中は、この五戒を戒めれば平和だとでも言うのでしょうか?
次に「三尊の弥陀」です。
阿弥陀三尊のことだと思われます。
寺方では、仏像を祀るとき、如来を中心にして、左右に菩薩を配置するそうです。
この三点セットが三尊形式。
釈迦如来は、文殊と普賢菩薩。
薬師如来は、日光と月光菩薩。
阿弥陀如来は観音と勢至菩薩と決まっているそうです。
ですから、「三尊の弥陀」とはこれだけのことになります。
これでは何のことかわかりません。
恐らく、仏の所在を問うたものと説明されています。
「阿弥陀佛(ほとけ)は何処にいるか」。
それに対して「目の前にいる(足下にあり)」と答えられたので、托善は、蒟蒻屋がよほどの 
修行を積んだ名僧だと勘違いしたのでしょう。
・・・なるほど、分かったような、分からないような・・・。

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