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2014年8月15日 (金)

南部の火祭り

shine今日は故郷の「南部の火祭り」です。Himatsurihp260815_2
火祭りは文字通り火を焚く祭りで、毎年8月16日の盆の送り火や川施餓鬼(川で溺れた人の霊を供養したり、川でとれた魚介類の霊を祭る行事)として行われてきた荘厳な儀式です。Him_indp_2
同時に稲作を病虫害から守るための虫送り行事を兼ねたものであると伝えられています。
祭りの起源は定かではありませんが、富士川舟運がさかんになった江戸中期の元禄時代頃からであろうと推定され、かつては富士川下流域の各地で行われていた行事でした。
ところが、今では殆ど影をひそめ、今は伝統行事として大規模に伝承されているのはこの「南部の火祭り」だけです。
オープニングを飾る「投松明(なげたいまつ)」、「大松明(おおたいまつ)」の炎が仏様の道明かりとなり「灯篭流し」が厳かに行われます。
一斉に点火される「百八たい」が富士川の両岸で燃え上がると、祭りはクライマックスを迎えます。
■投げ松明
「蜂の巣」と呼ばれる麦わらであんだ籠を載せた、高さ10数mもする竿を川原に立てる。
夕方日没になると、手に手に松明をもって集まった子供達が、投げ入れの合図とともに、点火した松明を片手でクルクルと回しながら、頭上の蜂の巣目がけて投げ合うのが投松明。
松明が命中すると、蜂の巣が天空で火の塊となって燃え上がる。

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燃えつきたあと、竿を揺さぶると、あたかもクス玉を割ったように火の粉が折からの風にのって飛び散っていく様は壮観です。
投松明や百八たいの焔は、仏さまが迷わないための道明かりを意味すると言われています。
■燈籠流し
僧侶の読経に合わせて百八つの燈籠が流される。
燈籠流しはお盆の間に家に戻っていた古い先祖の御霊や新しい仏さまの魂を送る荘厳な儀式です。
■大松明
大松明は町内各寺院から古くなった塔婆を集め、積み重ねて山となし、大松明に仕上げたもの。
僧侶による読経のなか、点火され、煌々と照らす塔婆の炎と低く流れる読経が闇の川辺に幽玄な響きをもたらしていきます。

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■百八たい
百八たいはもともと仏教の「百八煩悩を絶つ」ということに由来しているといわれ、富士川の両岸約2kmに百八つ、円錐形のたき木の山を作ります。
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夜8時、富士川原に静寂が戻ると、一斉に点火され、百八つのかがり火は一度に燃え上がり、川原は勿論のこと、近くの山や空も真赤に染めて、焔は川面に映り、2倍の焔となって辺りを火の海の饗宴に包んでいきます。152975_e152975_2
折から打ち上げ花火の連発と相まって、天と地も絢爛豪華に彩られていきます。
・・・と言う。
なかなか見物に行くこともないのですが、投げ松明と百八たいは、以前は富士川流域の多くの場所で行われていて、そのお手伝いをしたこともありましたので、とても懐かしい思い出です。
今夜、どうやら雨の心配はなさそうです。
先週の台風の時に通りかかったのですが、富士川の川原も増水していたので、ちょっと心配でしたが・・・。

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