富士川舟運
その昔、今は亡き義母の実家は、甲州鰍沢の富士川舟運で栄えていたそうです。
その義母の弟(叔父)が、今は取り壊されてしまった実家跡の近くにある「富士水碑」の訓読を小冊子にまとめて、贈ってくれました。
この「富士水碑」は、京の豪商であった角倉了以の富士川開削の功を称え、これによって甲信駿の人々が大いに便益を得たことを顕彰し、通船から190年経った寛政9年(1797年)12月に建てられたものだそうです。碑の撰文は市川代官所役人・黒川好祖、書は武蔵の人・藤原知赫、刻は神慶雲によるもので、碑文は富士川が笛吹・釜無・荒川の三川よりなることに始まり、その開削が至難であったこと、その便益は計り知れないものがあることや、角倉家の家系、了以の人となりをあげています。
要旨は以下のようなものだそうです。
富士川は急流で小さな丸木船でも通れなかったのを、信州・甲州の住民に荷物運搬の苦労が多いことを思い、徳川家康が京都の角倉了以に命じ、頭脳と機械を駆使して完成した。
このため下りにⅠ日、上りは3~4日で通行できるようになった。
開通後間もなく洪水のために水路が塞がったので、了以の息子・玄之(つねのぶ)が復旧した。
角倉了以は、鴨川、大井川、天竜川の改修工事も行った人で、この偉業と受けた恵みに感謝し、子々孫々に伝えるように鰍沢の船着場に碑を建てた。
1598 | (慶長3) | (8.18秀吉没) |
1600 | (慶長5) | (9.15関が原の戦い。家康天下をとる) |
1601 | (慶長6) | (東海道整備さる。伝馬制布く) |
1603 | (慶長8) | (家康征夷大将軍。江戸に幕府) |
1604 | (慶長9) | 富士川改修始まる |
1607 | (慶長12) | 角倉了以による改修工事完了。 通船開始 |
1632 | (寛永9) | 御廻米の開始 |
1765 | (明和2) | 甲府・石和に続く、市川代官所設置 |
1875 | (明治8) | 富士川運輸会社設立 |
1889 | (明治22) | 東海道線開通 |
1903 | (明治36) | 中央線(甲府-八王子)開通 |
1915 | (大正4) | 富士身延鉄道(富士-芝川)開通 |
1920 | (大正9) | 富士身延鉄道(身延-富士)開通 |
1923 | (大正12) | 身延乗合自動車(鰍沢-身延)運行 開始 富士川運輸会社解散 |
1928 | (昭和3) | 富士身延鉄道(鰍沢-身延)開通 ~舟運の終焉 |
参考文献: 新津健「発掘事例からみた舟運」 富士川舟運まちづくりフォーラム資料1999ほか |
私が家内と結婚した頃は、この船着場の跡と古い家が建っていて、いくらか往時を偲ばせていましたから、この富士川舟運には、感慨深いものがあります。
叔父などは、まさにこの家で生まれて育った訳ですから、自分のルーツを見つめるような作業だったのかもしれません。
活発な叔父ですから、昨年は、ラフティングボートで、この鰍沢から下流(富士川河口)の岩淵まで下ったそうです。
早速、「趣味の落語の名作「鰍沢」を演る時の参考にさせていただきます」と、お礼状を書きました。
「書籍・CD・DVD」カテゴリの記事
- 新曲発売日(2020.07.22)
- 上方落語四天王の本(2020.06.15)
- 落語暦(2020.05.23)
- 「緊急事態宣言」の歌(2020.05.19)
- からぬけ落語用語事典(2020.05.15)