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2014年8月24日 (日)

富士川舟運

pouchその昔、今は亡き義母の実家は、甲州鰍沢の富士川舟運で栄えていたそうです。
富士川舟運
その義母の弟(叔父)が、今は取り壊されてしまった実家跡の近くにある「富士水碑」の訓読を小冊子にまとめて、贈ってくれました。
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この「富士水碑」は、京の豪商であった角倉了以の富士川開削の功を称え、これによって甲信駿の人々が大いに便益を得たことを顕彰し、通船から190年経った寛政9年(1797年)12月に建てられたものだそうです。
000033153碑の撰文は市川代官所役人・黒川好祖、書は武蔵の人・藤原知赫、刻は神慶雲によるもので、碑文は富士川が笛吹・釜無・荒川の三川よりなることに始まり、その開削が至難であったこと、その便益は計り知れないものがあることや、角倉家の家系、了以の人となりをあげています。
要旨は以下のようなものだそうです。
富士川は急流で小さな丸木船でも通れなかったのを、信州・甲州の住民に荷物運搬の苦労が多いことを思い、徳川家康が京都の角倉了以に命じ、頭脳と機械を駆使して完成した。
このため下りにⅠ日、上りは3~4日で通行できるようになった。
開通後間もなく洪水のために水路が塞がったので、了以の息子・玄之(つねのぶ)が復旧した。
角倉了以は、鴨川、大井川、天竜川の改修工事も行った人で、この偉業と受けた恵みに感謝し、子々孫々に伝えるように鰍沢の船着場に碑を建てた。

富士川舟運の歴史
1598 (慶長3) (8.18秀吉没)
1600 (慶長5) (9.15関が原の戦い。家康天下をとる)
1601 (慶長6) (東海道整備さる。伝馬制布く)
1603 (慶長8) (家康征夷大将軍。江戸に幕府)
1604 (慶長9) 富士川改修始まる
1607 (慶長12) 角倉了以による改修工事完了。
通船開始
1632 (寛永9) 御廻米の開始
1765 (明和2) 甲府・石和に続く、市川代官所設置
1875 (明治8) 富士川運輸会社設立
1889 (明治22) 東海道線開通
1903 (明治36) 中央線(甲府-八王子)開通
1915 (大正4) 富士身延鉄道(富士-芝川)開通
1920 (大正9)

富士身延鉄道(身延-富士)開通
~この区間の舟運終わる

1923 (大正12) 身延乗合自動車(鰍沢-身延)運行
開始
富士川運輸会社解散
1928 (昭和3) 富士身延鉄道(鰍沢-身延)開通
~舟運の終焉
参考文献:
 新津健「発掘事例からみた舟運」
   富士川舟運まちづくりフォーラム資料1999ほか 

私が家内と結婚した頃は、この船着場の跡と古い家が建っていて、いくらか往時を偲ばせていましたから、この富士川舟運には、感慨深いものがあります。
叔父などは、まさにこの家で生まれて育った訳ですから、自分のルーツを見つめるような作業だったのかもしれません。
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活発な叔父ですから、昨年は、ラフティングボートで、この鰍沢から下流(富士川河口)の岩淵まで下ったそうです。
早速、「趣味の落語の名作「鰍沢」を演る時の参考にさせていただきます」と、お礼状を書きました。

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