二十世紀梨
鳥取名産の二十世紀梨。
出雲の女婿の実家から送ってくれたものです。
粒ぞろいで美味しそうな二十世紀です。
・・と言っても、果糖が豊富な果物は、ダイエットの身にはご法度なんですが。
ん?待てよ・・・。
考えてみると、二十世紀梨のルーツは松戸ですよ。
市内に二十世紀ヶ丘なんていう地名があるぐらいですから。
市内や隣の市川や船橋には、梨園(歌舞伎ではなく・なしえん)がたくさんありますよ。
あの「ふなっしー」も、"なっしー"は"梨"から来ているはずです。
・・・お里帰りという訳です。
松戸で二十世紀梨が生まれた逸話というのがあるそうです。
明治21年、松戸の大橋に松戸覚之助(1875年~1934年)という好奇心旺盛な少年がいました。
覚之助の父は2年前から梨園を経営していて、覚之助は父を手伝い家計を切り盛りしていたようです。
ある日覚之助は、分家の石井宅のゴミ捨て場に捨ててあった、普通とはちょっと変わった苗を見つけました。
覚之助の父は虚弱な苗として、捨ててしまったようですが、覚之助はとても興味をもって、じっくり育ててみようと思ったようです。
育ててみると、たいへん苦労したようで、黒はん病という病気には弱く、10年後の明治31年にようやく成熟しました。
苦労してできた成果を恐る恐る味わってみると、これが素晴らしい。これまでの梨に比べて芯が小さく、果肉が多く、色は乳白色で、口のなかにジュワと広がる心地良い甘味と水分があり、文句なく素晴らしい梨でした。
青梨新太白と名付けられたのですが、明治37年に東京興農園主の渡瀬寅二郎と東大助教授の池田伴親氏により、「これぞ20世紀最高傑作」ということで、「二十世紀梨」と命名されました。
そして全国に知れ渡り、絶大なる人気をもちました。
覚之助の経営する綿果園に苗木の注文が殺到し、現在二十世紀梨の産地として有名な鳥取県には、同年に苗木が送られたようです。
二十世紀梨の原樹は昭和10年に、国から天然記念物の指定をうけましたが、昭和19年に本土空襲をうけ、焼夷弾によって被害、昭和22年に残念ながら枯れてしまいました。
区画整理により、記念碑は東寄りの公園に建てられています。
松戸もなしの産地ですが、確か富士市も梨が有名でしたよ。
明治初期に、富士市で植え始められた梨のことを「富士梨」と呼んでいます。
糖度が高く、みずみずしい富士梨は7月下旬から9月下旬までに収穫されますから、まさに旬ですね。