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2014年7月 3日 (木)

故郷・・・田舎・・・

foot我が故郷は、静岡県静岡市と富士宮市に接する山梨県最南端の過疎の町。
実質的に静岡経済圏に属し、町の9割近くが山林で、町の中心部の地区は、古くからの宿場町の形態を今もわずかながらに残しています。
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ここは、戦国期にはすでに甲斐と駿河を結ぶ武田氏の道「甲駿街道」の宿場町として発達していた歴史の古い町です。
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さらに甲斐と駿河の国境に位置してた事から口留番所が設けられていました。
ここは一般の口番所とは違い、村役ではなく、専任の番役が置かれた、関所的な存在あったことから「御関所(御番所)」とも称されていました。
江戸期になると富士川舟運の開通によって宿の繁栄は続きましたが、大正9年に開通した富士身延鉄道(現JR身延線)によって終焉を迎えます。
領主万沢氏は、穴山梅雪の家老でした。
駿河と甲斐の国境を良く守り、武田家によく尽くしたのですが、穴山梅雪が武田勝頼から離反したとき、行動を共にしました。
穴山梅雪が本能寺の変で、関西から逃げ切れず殺されたとき、万沢家当主も一緒に殺されました。
しかし、当主以外の家族は当地にいて難を逃れ、徳川家の庇護のもと家は存続し、現在に至っているそうです。
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口留番所は甲斐の国24関の一つで、駿河と甲斐を結ぶ重要な関所でした。
天正10年、織田・徳川の連合軍が武田勝頼を攻めたとき、徳川家康はこの関所を通過したそうです。
代々吉田家が関守を勤めていたそうで、番所跡の案内板があるお家が、つまり吉田家です。
番所の見取り図など貴重な書類も残っているようです。
今は、ガソリンスタンドになっていますが・・・。
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ところで、この国道をさらに静岡県境まで南下した場所があります。16527847
ここは、武田信玄が父親の信虎を駿河に追放した場所として、以前大河ドラマでも紹介された場所なんです。
天文10(1541)年、武田信虎は信濃小県郡(ちいさがたぐん、上田市を中心とする一帯)に侵攻し、勝ち戦をおさめて帰国した。
その余韻にひたりながら考えたのは、駿府訪問だった。
今川義元には娘(信玄の姉)を嫁がせていた。
久しぶりに義元とも会い、同盟を強化しようとしたのだろう。
6月14日、信虎が甲斐を出国したとたん、信玄は手勢を送り、駿河との国境を封鎖した。わずかな供しか連れていなかった信虎は抵抗できず、駿府にとどまるしかなかった。

・・・・とあります。
高齢化と人口減少に、何とか歯止めをかける方法はありませんか・・・・?

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