« 次回の「深川三流亭」 | トップページ | トウモロコシ »

2014年6月22日 (日)

郷里の文化財

shadow両親が親しくお付き合いさせていただいていた方の一周忌法要に参列しました。
私の両親が色々お世話になっていたご夫婦の奥さんが、昨年急逝されました。
3月に逝った父を追うように・・・。
この方の菩提寺というのが、「臨済宗妙心寺派・福士山最恩寺」。
我が町で一番古いと言われているお寺で、仏殿が重要文化財に指定されています。
富士川街道(みのぶ道)を、鰍沢から静岡県境の福士まで南下。
福士川の手前を右折してそのまま川沿いの道を川上に向かう。
下皐月橋を渡らず西へ進むと左手、 対岸に最恩寺が見える。
この地域は温暖多湿なところから雪を見ることはほとんどなく、また、大きな竹やぶがいたるところにあって、タケノコの産地として有名だ。

Fukus2
長久年間(1040~43)、天台宗の寺として開創されたという。
時代が下り室町のころ、立翁和尚が中興開山となり、臨済宗に改め、京都妙心寺末となった。
応永年間(1394~1428)に武田氏の寄進によって仏殿、方丈、庫裏など禅宗寺院の伽藍が整備されたが、貞享2年(1685)の火災で仏殿を残して焼失してしまい、いまは塀を巡らせた小さな敷地内に、仏殿と青瓦の本堂が建っている。
仏殿は重要文化財で、中国・宋時代の仏殿建築の手法をそのまま移築した典型的な唐様式のもの。
優美な二層の屋根に質素な板壁の方一間の建物で、内部は土間に須弥壇が設けられている。
内陣の厨子も重要文化財。
天正17年(1589)、穴山梅雪夫人の見性尼が16歳の若さで早世した子息・勝千代の菩提寺として中興開基した。
勝千代の母は信玄の娘である。
勝千代の死によって穴山氏は滅んだが、母の見性尼は在りし日の面影をしのぶため画像を描かせ、自分の部屋に掛けていた。
のちにこれを南部の円蔵院に寄進し、さらに下山の南松院に移され、明治のころ菩提寺である最恩寺に譲られたという。

図らずも、古い時代にタイムスリップすることが出来ました。
また、このお寺のご住職と法要の膳で近くに座ることが出来たので、色々有難い話を聞くことが出来ました。
禅宗と言うのは、あまり気取らない、自然な雰囲気がします。
この住職、普段は吃音なんだそうですが、お経を唱える時は全く違います。
般若心経なども、時と場合によって、唱え方を変えるんだそうです。
77歳だそうですが、大変お元気です。
自然体で生きることの素晴らしさを目の当たりにしました。
これも、今は亡き父がくれた縁なのかもしれません。
・・・頭の片隅に、「蒟蒻問答」が横切りました・・・。

« 次回の「深川三流亭」 | トップページ | トウモロコシ »

徒然」カテゴリの記事