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2014年5月 5日 (月)

今戸神社

山谷堀を今戸橋まで行く途中、左側に折れて、今戸神社へ。

この神社が他の神社と違うのは、ソフト路線というか、お嬢さん趣味と言うか、"女性路線"だと言うことでしょう。

勿論、由緒正しい神社なんですが、鳥居の脇の看板を見ても分かるように、招き猫と沖田総司が前面に出ています。

縁結びと有名な歴史上の人物というのだって、他の神社にもあるのですが、とにかくターゲットは、婚活をする人をはじめとする(だけではないでしょうが)女性なんですね。

それでも一応、柏手を打ち、祈願をしました。

ほら、御守りやおみくじや招き猫グッズが並んでいる社務所には、女性が群がっていて、とてもオジサンの入る隙間がありません。

信仰や祈願というよりも、ファッションや遊びと言う感覚に近いと思います。
それぞれ自由ではありますが、それて良いのかなぁとも思います。

今戸神社は、康平年6(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれているそうですから、沖田総司なんて目じゃないんです。
また永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれています。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災や太平洋戦争でなど数々の戦乱や火災に見舞われましたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものだそうです。
1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていたのが今戸神社と呼ばれるようになりました。
また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っています。

近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげました。
伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。
これが招き猫の発祥ともいわれていますが、当時の記録では具体的に招き猫と今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものは確認されていないそうです。
近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになりました。
本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治の今戸焼の招き猫とは形状の全く異なるものなので、考証的には伝統的なものとの関わりのない平成の創作として見る必要があるというコメントもあります。

また、焼物として使うこの土地の粘土が良質のものだったことから、今戸焼が栄えたこともあります。
また、沖田総司の終焉の地ともいわれていますが、これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が、当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきているそうです。
さらに、戦前合祀された白山神社の祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにもゆかりがあるとアピールされています。
絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザインで、これは縁と円の語呂を掛け合わせたものだそうです。


かなり後付け的な部分も多いようですが・・・、まぁ結構なことで。
それにとしも女性のパワーは物凄い・・・。

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