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2014年5月 5日 (月)

見返り柳

「吉原大門」と交差点の表示。

ここが、吉原大門の交差点。

そして、都営バスの停留所「吉原大門」。

でも、大門どころか、門などどこにも見当たりません。

今来た道を振り返ると、道が蛇行しているのが分かります。
日本堤から唯一の出入口である大門までは五十間道(約100メートル)と言われていました。
五十間道は、わざと道が三曲りに曲げられて作られていましたが、それは将軍が鷹狩に御成のとき、日本堤から大門が見えては畏れ多いとあっての配慮だと伝えられています。
衣紋坂(えもんざか)は遊客の衣紋を直す所、見返り柳は逆に吉原から帰る客が、名残り惜しさに ここまで来て見返る所だと言われているのです。

これが見返り柳です。
観音様の裏手にあるご利益のあるお稲荷様の”ご神木”です。

根本に、「志ん吉原衣紋坂・見返り柳」の碑がありました。

日本橋田所町三丁目の日向屋半兵衛という商家のせがれ、時次郎はたいそう堅い男で、大人の付き合いを知ってほしいと嘆く親父は、町内の札付きの源兵衛と太助に「お稲荷さまにおこもり」に行く、とだまして時次郎を吉原遊郭へ連れて行くように頼む。
さすがの時次郎も吉原に上がって花魁を目にしたところで、そこがお稲荷様ではないことに気づく。
Nihonntutumi
泣いてだだをこねるのを二人が「このまま帰れば、大門の番所で怪しまれて、三月でも四月でも帰してもらえない」と脅かし、やっと部屋に納まらせる。
帰りたいと散々ぐずったが、とうとう年が十八、名が浦里という絶世の美女の花魁と一夜を過ごすことになった。
翌朝、源兵衛と多助はどちらも相方の女に振られて詰まらぬ朝を迎え、ぶつくさいいながら時次郎を迎えに行く。
戸口に立った二人が出くわしたのは、花魁の魅力にすっかり骨抜きにされた時次郎。
一方の花魁も、惚れ込んで離さない。時次郎が布団から出てこないので、クサって「帰りましょうや」と言う源兵衛と多助に、時次郎は「さきに帰れるものなら帰ってごらんなさい。大門で留められます。」

大門はありませんが、遠くに高い塔が見えました。
どうやら、雨は上がってくれたようです。
「明烏」のネタ下ろしの直前になったら、また裏を返すことにしましょう。

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