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2014年5月 6日 (火)

岩本町のお玉ヶ池

柳原通りを東へ歩いて行くと、昭和通りを横断します。

岩本町の交差点です。

この辺りは、あまり来たことはありませんが、岩本町や馬喰町は、昔からの繊維街です。
今日は休日でしたから、人もまばらでしたが、普段は賑やかになのでしょう。
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何気なく通り過ぎようとすると、「お玉ヶ池」と言う文字に目が止まりました。
そうだ、「佃祭」の小間物屋の甚兵衛さんが住んでいたのが神田お玉ヶ池でしたよ。
伝承によると、江戸期にあった池の近隣の茶屋にいた看板娘の名前「お玉」からとされるそうなんです。
「江戸名所図会」によると、あるとき「人がらも品形(しなかたち)もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じ、亡骸(なきがら)は池の畔(ほとり)に葬られたと・・。
そして、人々が彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていたこの池をお玉ヶ池と呼ぶようになり、またお玉稲荷を建立して彼女の霊を慰めたそうです。

お玉稲荷は、路地を少し入ったところに、こじんまりとありました。

ところで、この池。
江戸期の古地図では景勝地として現在の不忍池程度の面積を有していたらしいのですが、江戸後期頃から徐々に、神田山(駿河台)を削って埋め立てて宅地化され、弘化2年(1845年)の時点では池自体も存在していないそうです。
弘化2年と言うと・・、あの三遊亭圓朝が、小圓太の名前でデビューした年ですよ、確か・・・。
また、このあたりは、 北辰一刀流の道場「玄武館」があった場所として有名で、千葉周作は「お玉ヶ池の先生」と呼ばれたそうです。
この界隈には、儒者、漢学者などが多数住んでおり、江戸の学問の中心地でもあったのです。
佐久間象山の象山書院、東条一堂の瑶池堂など・・・。

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