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2014年5月

2014年5月31日 (土)

演読の大切さ(師匠から)

memo噺を完成させて行く稽古の最初のプロセスは、声に出してネタ本(高座本)を読むことからスタートします。
通常は、音読とか朗読と言うのでしょう。
師匠は、単に文字(活字)を読むのではなく、場面設定や感情移入もして、出来る限り仕草も入れて読む稽古を「演読」と名づけられました。
先日の稽古会は、まだ全員が読み稽古の段階ですが、メンバー全員が、この「演読」に心がけてやりました。

MLに師匠からコメントをいただきました。
この連(註:落語っ子連)は、演読を理解してくれているようなので、楽しみです。
覚えているつもり満々の意識から、台本を手離してとろとろと思い出しながらつっかえつっかえ演る稽古は自宅で出来ます。(笑)
芝居の役者がこれをやってたら、仲間から顰蹙を買うでしょう、きっと。
演読は恥ずかしい行為ではありません。役者もやってます、、。
演じるように読める人は上達は早いです。

師匠のブログで、私の稽古は「いつもしっかり演読していて嬉しくなる」というコメントをくださったのも、このような思いからだと思います。

皐月の落語徘徊

ear光陰矢のごとし・・・、光陰は矢のようだと・・・。
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今月は、何と言っても「お江戸あおば亭」です。
満を持して臨むはずだった「鰍沢」だったのですが・・・。
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とにかく驚いたのは、立ち見のお客さまが出たことです。
120部用意したプログラムが、ほとんど底をついてしまいました。

皆さま、本当にご来場ありがとうございました。
このブログのアクセス累計は、5日に62万件、28日に63万件に到達しました。
今週、2~3日間更新が遅れた際は、「乱志さん何かあったの?」「鰍沢の稽古をやりすぎて身延山を彷徨ってるの?」とか、大変ご心配をおかけしました。Trk_enmoku201405
東京落語会で、桂米丸師匠のお元気な姿を拝見しました。
いつまでもお元気でいていただきたいものです。
世の中はあっと言う間に、今年も半ばを迎えてしまいます。

噺のここんとこ

bottle師匠のブログの熱いところ・・・。
落語っ子連の稽古で越児の[芝浜]を聞いてて、主人公が河岸へ行って、女房に一刻早く起こされてことに気が付き、「帰って女房をひっぱたいてやろうかな」という言葉にちょいと引っ掛かった。

越児に「主人公の酒の飲みぷりはどうなの?」と問うと、「酒乱ではありません」と言う。
「だったら、暴力の影を窺がわせるような語彙は危険」と伝える。
この噺の既成の落ちを保持するのなら、言葉の選択をすべきだ。
しっかりした利口な女房だったら、主人公に依存症の気があるとすると、酒は勧めないはずだ。

・・・舞台設定、感情移入の最たるところだと思います。
こういう何気ない台詞に潜む不整合をチェックして、会話を作り上げないと、登場人物のキャラクターが多重人格になってしまうと言うことなんです。

「第7回お江戸あおば亭」アンコール

camera何度も写真を眺めては、溢れて来る余韻が忘れられません。
写真でアンコールです。
古狂師匠撮影の写真を拝借いたします。
■ 杜の家くるみ「小言念仏」
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■ 破れ家笑児「紙屑屋」
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■ 杜の家とん平「天災」
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■ 喰亭寝蔵「酢豆腐」

■ 談亭志ん志「いかけ屋」
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■ 恋し家古狂「二十四孝」
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■ 南亭蕪生「親子酒」
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■ 金願亭乱志「鰍沢」
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本当に素晴らしい落語会になりました。
これからもずっと続けて行きたいと思います。
ご来場ありがとうございました。

2014年5月30日 (金)

鰍沢

「鰍沢」のハードルは高いというのを思い知らされました。
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出来は散々でした。
言葉に詰まったところもあったし・・・。
でも、いくらかの救いは、わざわざ新潟から来てくれた「井の線亭ぽんぽこ」さんが言ってくれたこと。
今まで多くの噺家さんの「鰍沢」を聴いたが、旅人(新助)が身延参りをする背景や思いが描かれているのは初めてで、とても臨場感があった。
オチの演出も初めてのパターンで、勉強になった。
・・・これは、師匠のオリジナルの部分で、私が考えた訳ではありませんが、確かに、何故、どんな思いで旅をしているのかに触れているのはないかもしれません。
それから、元花魁のお熊を悪者で終わらせないというのは、私がこの噺にチャレンジしようと思った最大のポイントです。
それでないと、お熊という女が救われないし、信心が空しくなるし、何よりも悪者がいないという落語国の魅力が削がれてしまう。
「お材木(題目)」の地口は、古今の落語評論家の先生方からも稚拙なものだと言われ続けていますから、何か考える必要はありますが、この演出は物凄いものだと思っています。
もう一つ嬉しかったこと。
会社の若手の感想の中。
落語のことはほとんど知らないのですが、「演技力は、落語の本筋ではないとおっしゃってましたが、芝居を観ているようでした。」と言ってくれたこと。
これは、ある程度、舞台設定・場面設定が出来ていて、お客さまにイメージしていただけたということなのでしょう。
このコメントは本当に嬉しかった。
考えてみれば、この噺、先代の林家正蔵(彦六)師匠は、芝居仕立てで「鰍沢雪の夜噺」を演っておられました。
「鰍沢」・・・、まだまだ未完成ですが、今回のお客さまにはご満足いただけなかったかもしれませんが、もっともっと練り上げて行きたいと思います。

林家あずみさん情報

note林家あずみさんの寄席出演情報です。
http://www.rakugo.or.jp/2014-6kami-yoru.html
東京かわら版で見つけました。
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鈴本演芸場の6月上席(夜)の、仲入り後(くいつき)に、あずみさんの名前がありました。
今までは、代演ということでしたが、上席の芝居を通しての出演です。
この芝居のトリは柳家三三さんですが、他の出演者も比較的若手が多く、明るい芝居になると思います。
あずみさん、おめでとう!
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私は嬉しくて涙が止まりません。

嬉しくなる

pc師匠が久しぶりにブログを更新されていました。

先日の、落語っ子連の稽古会のコメントがアップされています。
その中で、私のところはこんなふうに・・・。
 流三(りゅうざ)演読[一人酒盛]。
     常にしっかりした演読、嬉しくなる。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201405/article_7.html
そんなことを言っていただくと、私の方が嬉しくなる。
せっかく師匠に見ていただくのですから、覚えていなくても、出来る限りやってご指導をいただこうと・・・。
演読は、高座で通しで演るのと同様に、体力を消耗します。
いつも汗だくになります。
私の稽古ぶりをご覧になって、そのやり方を「演読」と名づけてくださったと聞いていますので、しっかりやらなくっちゃあいけません。

2014年5月29日 (木)

東京かわら版

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今月も終わり、もう6月。
6月号は林家正蔵さんが登場。
九代目を襲名した時は、落語ブームが始まった頃だったでしょうか?
あれから何年になるのでしょう。
先代の三平師匠が亡くなったのは、確か55歳だったと思います。
正蔵さんも、もう"アラフィフ"です。
偉大な父親がいると、大変ですね。
それにしても、相変わらず多くの落語会が開催されています。
あそこに行きたい、この噺家さんを聴きたい・・・・。
ページをめくる度に、落ち着きがなくなって、焦りすら感じてしまいます。
暫くの間、土日には落語を聴きに行けなくなりそうなので、なおさら気持ちが落ち着かなくなります。

金願亭乱志

scissors少しやつれたみたいですね。
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そうなんです。
この2ヶ月で約5キロ減量しました。
ですから、帯を締めるのも今までとはちょっと違う感覚でした。
「季節はずれの噺を・・・」なんて、客席から聞こえて来ましたが、こちらにも色々都合と言うのがあります。
冬のシーズンに仕込んで(稽古して)、やっと夏に何とか出来るようになったんです。
とは言え、お客さまの前で演るのは三度目です。
それなら、ずっと良くなっているのでは・・ということはありません。
聴きに来てくれた、会社の若手の感想です。
今回は、前情報がない状態でしたので、これからどうなるんだろう?と実は幽霊?恐い噺なのかなぁーとか、考えを巡らせながら、楽しんでみることができました。
矢張り上手だなぁーと感じました。
演技力は、落語の本筋ではないとおっしゃってましたが、芝居をみているようでした。
でも、落ちがよくわからんかった。
(≧∇≦)
ちょっと言葉にも詰まった所があり、実に悪い出来でした。
ある方からは、「この噺は難しいね」と言われました。
やはり、出来は良くなかったと言うことか・・・。
確かに、若い人には、お祖師様とかお題目だとかいうのは、分かりづらかったでしょうし、専門家も言う稚拙なオチという面は、これから考える必要があるでしょう。
郷里のご当地噺です。
これまたずっと大切にして行きたい噺です。

橘ノ圓師匠の訃報

落語芸術協会の橘ノ圓師匠がご逝去されたそうです。
享年78歳。
残念ながら、私は、師匠の高座は1〜2度ぐらいしか記憶がありません。

2014年5月28日 (水)

63万件

本日、アクセス累計63万件になりました。
ありがとうございます。

南亭蕪生師匠

bottle親子酒・・には、ちょっとした思い入れがあります。
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落研の創始者、初代「麻雀亭駄楽」師匠(故人)と約束をした「駄楽乱志二人会」で、最初に駄楽師匠がやろうとされていたのが「親子酒」でした。

蕪生師匠の「親子酒」も気になりました。
と言うのも、今稽古をしている「一人酒盛」と同様、酒を飲むシーン・仕草が重要な噺だからです。

下戸の私とは違って、実に美味しそうに酒を飲んでいるんです。
夫婦のやり取りもとても温かい・・・。

声の張り、落ち着いた高座姿は、是非こつを教えていただきたいものです。

2014年5月27日 (火)

恋し家古狂師匠

event浴衣が合う季節になりました。

恋し家古狂師匠の「二十四孝」。
「あぁぁ、前半のとん平師匠の天災とついてしまうなぁぁ」と、真っ先に思いましたが・・・。
それにしても、古狂師匠の、タイムリーなテーマでマクラをふる工夫には感服してしまいます。
普段から、物事というか森羅万象に対する眼のつけどころが違うのかもしれません。L_78aac351be2cb68d978bf888787d7c3b1
そして、この寄席踊りも、実に男らしい踊りなんです。
楽しそうに踊る姿には、単なるサービス精神以外のものを感じます。

今回も、写真を撮ってくださったり、相変わらず精力的でした。
写真の数枚は、古狂師匠撮影のものを使わせていただきました。

シャッター通り?

fuji静岡県富士宮市。
シャッター通り?
富士山の南西麓の街。
幼い頃の私には、買いたい物が何でも揃う、夢のような街でした。
両親と妹の家族4人で、買い物をしたり、食事をしたり。
今は、富士山世界文化遺産と富士宮焼きそばが有名な街。
シャッター通り?
そんな夢の街も、他の地方都市と同様、商店街などすっかりさびれてしまいました。
シャッターの閉まった商店街を歩くと、幼い頃にもあった懐かしい店も残っていました。
このおもちゃ屋さんでは・・・、そうだ叔父に電池でレールの上を走る新幹線のおもちゃを買ってもらいました。
そう、欲しいものばかりで、買ってはもらえなくても、店の中を歩き回ったものでした。
そうだ、貯めた小遣いで、ゴム動力で潜水しながら動く、「鉄人28号」のプラモデルを買いました。
生まれて初めて自分で組み立てたプラモデルでした。
こんなにこじんまりしていたんですね・・・。
昼食を、通りの和食の店で食べました。
初老のご夫婦がやっているようですが、時間をかけて手作りしてくれた和食膳がとても美味しかった。
「このあたりも随分寂しくなってしまいましたね」と、ご主人に勘定を支払いながら話しかけると、「ねぇ、すっかりと・・・」と、ちょっと寂しげな笑顔が返って来ました。
あの頃は、もう二度と戻らないんですね。

談亭志ん志師匠

eye志ん志師匠は関西生まれだった!

前回の落語会の後、某長老から「我が落研は上方落語はないのか」という声に応えたのが志ん志師匠。
何でも、中学生ぐらいまで大阪で暮らしておられたとのこと。
それなら、ネイティブではありませんか。
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「いかけ屋」と言えば桂小南師匠。
それにしても実に見事なものです。

志ん志師匠にはファンが多く、特に今回は全く違ったイメージで、新たな魅力を見ていただけたことでしょう。

2014年5月26日 (月)

喰亭寝蔵師匠

drama名人喰亭寝蔵見参!

それにしても、多数のお客さまに感謝、感謝。

寝蔵師匠も、今回の「酢豆腐」は再演で、これまたいつもの名人芸。
打上げの時のご贔屓からも絶賛された出来栄えはさすがです。L_3e803d5ad63e4364a66b311c4fbb73669
そして、客席でビデオカメラを操作しながら高座を見る眼の鋭さ。
この双眸の先では、誰が演じているのでしょう・・・。

杜の家とん平師匠

rockとん平師匠にもお詫びです。
初代の「杜の家頓平」は持って来たのですが、肝心の「杜の家とん平」を持って来ませんでした。

今回は、3月に落語っ子連「深川三流亭」で演った「天災」の再演。
もう、慣れたものです。
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驚くのは、会場に90歳を超えたお父上と、お子さんを連れた娘さんが来てくださって、何と親子4代が落語で結ばれているのです。

明るい芸風は、現役時代から変わりません。
次回は、「道具屋」にチャレンジすると仰っていました。

2014年5月25日 (日)

落語っ子連稽古会

とても良い天気です。
タイにいる百梅さんが心配ですが、今日は5人参加です。
落語っ子連稽古会
百梅さんと、マンションの理事会に出席の新参さんは欠席。
師匠は、久しぶりに池袋演芸場の中席にご出演されてお疲れだったと思いますが、9時前から稽古をつけてくださいました。
落語っ子連稽古会
  ◇ 船徳             三流亭窓口
  ◇ 寿限無          三流亭千公
  ◇ 一人酒盛         三流亭流三
  ◇ 芝浜            三流亭越児
  ◇ 小言幸兵衛       三流亭仙三
落語っ子連稽古会
窓口さん。
船徳は仕草と流れのある噺ですから、体力が要りそうですね。
落語っ子連稽古会
千公さんは、教え子たちに聴かせるために、というより教え子と競うために「寿限無」に挑戦。
この噺は、一般の人がイメージしている"早口言葉"で笑わせるというような薄っぺらな噺ではありません。
落語っ子連稽古会
そうそう、師匠のコメントやご指導は、しっかりと書き留めて。
師匠の「寿限無」に対するこだわりは、半端ではありませんよ。
落語っ子連稽古会
師匠創作の「揺れるとき」の中で、盲目の元噺家が寿限無を演るシーンがあり、私もチャレンジしましたが、場面設定・感情移入をしっかりしないと、「生麦・生米・生卵」と同じになってしまいます。
落語っ子連稽古会
私の稽古。
まだ全員が読み稽古ですが、師匠の仰る演読に心がけてやっています。
師匠は、池袋で「一人酒盛」をお演りになったばかりで、最後の方の場面で、留さんが徳利を投げつけるところは、もっと酔っぱらった風にした方が良いとコメントされました。
越児さんは、大作「芝浜」の読み稽古。
落語っ子連稽古会
前日の、喰亭寝蔵「酢豆腐」で熱演の直後ですから、少しお疲れだったかもしれません。
落語っ子連稽古会
芝浜も、しっかりした舞台設定をしておかないと、聴く側が分からなくなってしまいます。
落語っ子連稽古会
師匠から、おかみさんのちょっとした台詞にも、夫婦の思いや気持ちとの整合性を言われました。
こういう場面を色々考えたり想定したりするのは、実に楽しいものです。 落語っ子連稽古会
チューチュー たこ かいな・・・・、50両もある。
この後、仙三さんの「小言幸兵衛」なのですが、急用が出来たので、途中で失礼しました。

破れ家笑児さん

scissorsとにかく今回はお詫びやら感謝やら・・・。

まずは、私が彼のめくりを持ってくるのを忘れたこと。
出囃子を全部おまかせしてしまったこと。L_4cbc319cea55717f454c4657169d1dcb4
私には到底真似の出来ない、何とも軽妙洒脱な芸風。
「紙屑屋」は、そんな笑児さんにぴったり。
落語以外に稽古をしている三味線や俗曲の技が生きています。
かっぽれを踊る仕草などは、もう半端ではありません。

いつか「笑児乱志二人会」をやろうという野望は、さらに熱くなりますね。

杜の家くるみさん

scissorsこの瞬間が緊張なんです。

さぁ、最初からエースが登場!
今日は、「小言念仏」でご機嫌をお伺いです。

杜の家くるみさんは、横浜市職員の方々の落語グループの主要メンバーで、にぎわい座での公演をはじめ、市内での出前落語会などで、何と年間20~30回もの高座をこなし、持ちネタは30~50ぐらい持っているというセミプロです。Dsc08786
今回も、公演の雰囲気を決定的にするポジションで、見事に満員のお客さまを解きほぐしてくれました。

上手いとか下手いという次元でなく、場数をこなしている余裕と安定感は抜群です。
是非、トリで一席お願いしたいものだと思います。

落語DEデート

今朝は上方落語でした。
  ◇軽業講釈      五代目桂文枝
上方落語の大きな特色である下座囃子(拍子木、鳴り物)が、もともと客の気を引くアイテムであったとの講釈から始まる陽気な噺です。
喜六と清八の二人が、伊勢参りの帰り道にある村へ立ち寄った。
妙に賑やかなので村人を捕まえて訊ねてみると、どうやら氏神様のお祭りらしかった。様々な見世物小屋が立ち並ぶ中、二人が入ったのは軽業興行の高物小屋。
その隣には講釈小屋が立っている。
やがて、講釈小屋の舞台に講釈師が上がってきて一席話し始めた。
「頃は慶長の十九年も相改まり、明くれば元和元年五月七日の儀に候や…」
『難波戦記』を話し始めるが、数分も経たないうちに隣の軽業小屋からお囃子が大音響で聞こえてきて講釈師の声がかき消されてしまった。
「辰の一点より城中めがけて押し寄せたりしが…軽業!! 軽業!!」
あわてて飛んできた軽業小屋の若い衆に、少し音量を下げるよう頼んでまた講釈読みを再開。
…また数分でお囃子の音にかき消されてしまう。
「東西、とーざい!!」
軽業小屋では、乗りに乗ったお囃子に合わせて太夫が登場し、様々な軽業曲芸を披露。熱気は最高潮に達していた。
「やぁやぁ遠からん者は音にも聞け…軽業!! 軽業!!」
やたらと『軽業』を連発する講釈師を不思議に思った軽業小屋の若い衆が、さっき講釈小屋に呼ばれて行った仲間を捕まえて話を聞く。
「あっちが白扇一本? こっちは命懸けの商売やっとるんじゃ!」
頭にきた若い衆は、講釈小屋に乗り込んでいくと「貝杓子、オタマジャクシ!」と暴言を連発。
ついに堪忍袋の緒が切れた講釈師が刀を抜いて襲いかかってきたため、小屋中を逃げ回った挙句這う這うの体で逃げ出した。
講釈師の先生、門のところで立ち止まるとなぜか舞台の上に戻ってくる。
「さっきの若い衆、足が速かったですなー」
お客の言葉に、講釈師は「悪事千里を走ると申しますからな」。
じゃあ、なぜ先生は外まで追いかけて行かなかったかと聞かれて。
「好事門を出ず」

・・・上方落語には、まだ知らない噺が多いです。

2014年5月24日 (土)

打上げ

beer落語会に続いて、打上げの会も大盛況。14009212125911_2
落研OBだけでなく、ご贔屓くださっている同窓の大先輩の方々も多数ご参加いただくのは、これまたいつものとおりです。
今回は・・・、めくりも噺もしくじってしまいましたので、実は、やや心重い気分で参加したのですが。
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こうやって、落語を愛し、母校を愛し、落研を愛してくださる方々に囲まれる幸せを感じました。
二次会は、ご贔屓のご長老お二人と志ん志師匠と4人で、カラオケ・・・。

客席の様子

paperとにかく、開演時からほとんど満席の状態。

最初のくるみさんの時・・・空席が見えません。

仲入り前には立ち見の方も出て、急遽膝送り・・ではなくて、椅子を増やしました。

仲入り後でも、前から見ても満席です。

そして、皆さま食い入るように高座をご覧いただいています。
・・・と言うことで、大盛況のうちにお開きになりました。
何と、120部用意していたプログラムが、ほんの数部しか残りませんでした。
多くの皆さまのご来場、まことにありがとうございました。

第七回 お江戸あおば亭

dramaとんだ大呆けの失態をして、動揺しましたが、いよいよ開演時刻となりました。
前回は、出囃子のCD操作で失敗していたので、これも笑児さんに代わってもらうことにしました。

ご覧のとおり、開演の時点で席がほとんど埋まりました。
プログラムを120部+α準備しておいて良かった・・・。
本当にご来場ありがとうございます。
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さぁ、いよいよ、ギッチョンの出囃子に乗って、トップバッターの杜の家くるみさんが高座に上がります。

待ってました!くるみちゃん!

大失態!

event東京堂に行って、早速落語会の準備。

すずらん通りの入口に、ポスターを掲出しました。
笑児さんに、めくりのセットをお願いしました。

ところが、ところが、ところが・・・・。
「杜の家とん平」と「破れ家笑児」のめくりがないと言われました。
「えっ?そんなはずは・・・。」
前回までの出演者のめくりは全てあるはずだと思い込んでいたので、「第七回お江戸あおば亭」だけ、新しく書いていただいたのです。
杜の家とん平師匠は、落語っ子連で「三流亭新参」として「深川三流亭」に出演されていたのを、勘違いしていました。
破れ家笑児さんは、前回休演だったのですが、その前までは、めくりを持ち帰っていたので・・・、これも大きな勘違い。
バタバタしていたので事前に確認を怠っていた私の責任です。
!!(゚ロ゚屮)屮   !!(゚ロ゚屮)屮   !!(゚ロ゚屮)屮   !!(゚ロ゚屮)屮   !!(゚ロ゚屮)屮
そこで、出演者の皆さんに平身低頭、今回は「第七回お江戸あおば亭」のめくりだけを使わせていただき、出演者個人のめくりはなしということで、お許しをいただきました。
ズボラ、杜撰な性格がとうとう露呈してしまいました。

腹拵え

restaurant腹が減っては・・と、神保町すずらん通りのファミレス系の「ガ○○」へ・・・。

これ、一応ステーキです。
硬いし、肉汁など全くない、昔の洗濯機に付いていた絞り機を通った肉のよう・・。
不味い!
添えられていたキャベツと一緒に、力一杯噛んで飲み込みました。
小ライスにしましたが、勿論半分残しました。

間違えた…

神田神保町に行くんだから、北千住で半蔵門線に乗り換えれば良いものを…。
気がついたら南千住…やれやれ(-_-;)
間違えた…
仕方がないので、上野から銀座線に乗って三越前。
コレド室町なんて言うビルも出来て、雰囲気が変わりました。
間違えた…
半蔵門線で神保町、東京堂書店に着きました。

「第7回お江戸あおば亭」のご案内

本日、「第7回お江戸あおば亭」を開催します。20140402192802_00002

神田神保町の東京堂ホールで、午後1時に開演です。
勿論、木戸銭は無料です。
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皆さま、是非ともご来場ください。

2014年5月23日 (金)

迷い稽古の原因

昨日、道を間違えて遠回りした原因を確認することにしました。
迷い稽古の原因
まず、通りを真っ直ぐ歩けば、新橋駅まで迷うはずがないのです。
日比谷通りを渡ったところにあるコンビニが、すべての間違いの元でした。
日比谷通りに面した入口から店内に入りました。
迷い稽古の原因
ところがこの店、路地側にも出入口があるのです。
写真の右側から入ったんです。
ところが、「鰍沢」をブツブツ言いながら、前方の出口から出たのに気がつかなかったんです。
それで、何故か、日比谷通りに沿って歩き始めたという訳です。
冷静に考えれば、いつもと景色が違うのですぐ分かるはずなんですが…。
今日は、正しい道を歩きました。
迷い稽古の原因
週末で、新橋駅前の飲食街は普段より一段と賑やかでした。

タイ情勢

airplaneタイに出張中の百梅さんからのメール・・・。R
タイヘンなタイが、さらにクーデターが起きて大変なことになってしまいました。
交通麻痺で空港に辿りつけなかったため、とりあえずもう一泊宿をとりました。
今日帰れることを祈るばかりです。。。
おいおい、そりゃ大変です。

歩き稽古

ringどうもお熊と新助のキャラが上手く表現出来ません。
歩き稽古
二重橋で下車してお濠端を歩き、日比谷濠の正面から公園へ。
見附跡も綺麗に花が咲いています。
歩き稽古
池の周りに・・・、三毛猫と黒猫がいました。
棲みついているのかもしれません。
歩き稽古
部分・部分では何度かさらうことが出来ていますが、全体を通していないのが不安。
それに、いつものことながら、どういう訳か、覚えられない、克服できない何ヶ所か苦手な部分があります。
明日のお客さまは、特に落語通が多いので、とても緊張します。
歩き稽古
公園を霞門のところから出て、虎ノ門方向へ歩きます。

高座の手拭い

色々迷いましたが、あまり抹香臭いものも嫌ですから、明るい色調のものにしようと思います。
高座の手拭い
昨秋の神無月に、六十年遷宮が行われている出雲大社に行った時の記念の手拭いを使おうか。
高座の手拭い
仏教に関わる噺で、神道にまつわる柄の手拭いというのもご趣向でしょう。

タイのクーデター?

chairタイのプラユット陸軍司令官は22日、クーデターで全権を掌握したと発表したそうです。
全土に午後10時から翌午前5時までの夜間外出禁止令を発令。
ますます混迷を極めているようです。
そんな中で、落語っ子連の稽古会の連絡をしたところ、「三流亭百梅」さんから、こんな返信がありました。
今いろいろと大変なことになってるタイからメールしております。
バンコクの街は所々渋滞で大変です…。
何とか帰国できるよう頑張ります。
えぇぇぇ、百梅さん、今タイにいるの?
落語っ子連もグローバルになって来ましたねぇぇ。
大丈夫でしょうか?
今、百梅さんは「火焔太鼓」の稽古をしています。
高座本を、現地まで持って行って稽古しているようです。
とにかく、身の安全には十分気をつけて欲しいものです。
怪我でもして、おじゃんになるといけませんから。

2014年5月22日 (木)

ナマモノ?

宅配便が届きました。
ナマモノ?
「ナマモノ」と表示されています。
開けると、牛乳の紙パックの中に、丸めて筒状の紙が。
ナマモノ?
そうなんです。
「第七回お江戸あおば亭」のめくりです。
ナマモノ?
いつも通り、「H先生」にお願いして書いていただきました。
いつもありがとうございます。
多くの方々からご支援いただいて、本当にありがたいものです。

反則勝ち( 負け)?

「ただいまの協議についてご説明いたします」…。
反則勝ち(<br />
 負け)?
大相撲の結びの一番で、関脇豪栄道が横綱鶴竜をはたき込んだかにみえたが、マゲをつかんだのではないかと勝ち残りの控えにいた白鵬が物言い。
反則勝ち(<br />
 負け)?
協議の結果、マゲをつかんでいたと判断され鶴竜の反則勝ち。
横綱の反則勝ちは史上初めての珍事だそうです。

迷い稽古

sprinkleやっと雨が上がったようなので、一応傘を持って家路に。
新橋まで歩き稽古をしようと、マクラの部分を考えながらブツブツ…。14007583823681
そのうちに、何となく通りの雰囲気が違うことに気がつきました。
それに、妙に東京タワーが近くに見えている…あれっ?
地下鉄の入口がありました。
「御成門」(;_;)/~~~。
東に向かって歩いているつもりが、南に向かっていたのです。
私の体内ナビはどうなってしまったんでしょう。゜(゜´Д`゜)゜。
でも、よく考えてみると、ここを東に行けば、浜野矩随が住んでいたという露月町のはず。
そこから新橋へ行こうと、またブツブツ…。
新橋駅に着いたら、9時近くになってしまいました。
迷い道くねくねぇ♪でした(*_*;

急な村雨?

raintyphoon帰宅時間直撃!?まだまだ雨と雷に警戒を】
東京都心~埼玉県南部にかけて、帰宅時間は激しい雨と雷に見舞われるところも。
無理をせず、雨宿りをしてからのご帰宅をおすすめします。Boo2_nficaapdlq_2
・・・こんな情報が入っています。
港区虎ノ門界隈は、19時15分現在、風雨が激しくなっています。
雨が一段落してから帰ったほうが良さそうです。
突然の村雨に、道灌にならないようにしないと。
あっ、thunder雷も鳴っているようです。

歩き稽古

run気がつけば明後日が本番になってしまいました。
めくりをお願いしていた「H先生」から、宅配便で送ってくださったとメールをいただきました。

日比谷公園の花も刻々変わります。
ビールか何か、フェスティバルも開催されているようです。14007087276041_2
私には全く興味ないことです。
「鰍沢」の元花魁のお熊と身延詣りの旅人の新助のキャラクターに悩んでいます。
二人の年齢関係、道楽の末に真面目になった新助、雪の中を迷った恐怖と辛さの残像、毒を飲んだ亭主伝三郎にの後を追って死のうという心の動き・・・。
全体が暗い、ある意味で抹香臭い噺でもありますから、登場人物はなるべく明るく描いた方が良いかもしれない・・・。
オチの直前は師匠のオリジナルの展開になりますから、この噺をよくご存知の方の違和感も想定しておく必要があります。
以前演った、「藪入り」や「抜け雀」と同様です。
・・それにしても難しい噺です。

2014年5月21日 (水)

凍り豆腐

ear健康ならば命も要らない私にとって、耳寄りなニュース。
0170000000012_2凍り豆腐(高野豆腐)を毎日食べ続けると、善玉コレステロール値が増え、動脈硬化指数が低下するそうです。
凍り豆腐生産全国一の長野県の業界団体が発表したそうです。
業界団体というのがちょっと気になりますが・・・。
これまでは、凍り豆腐のたんぱく質成分が、血中の中性脂肪の濃度を下げ、「悪玉コレステロール」のLDLの値を下げる効果があることは分かっていましたが、健康な男女40人に凍り豆腐を1か月間毎日食べてもらったところ、「善玉コレステロール」と呼ばれるHDLの値も平均して100ミリリットル当たり3ミリグラム上昇し、動脈硬化指数も下がったということです。
・・・毎日食べる・・というのがトウフ、じゃなくてミソですね。
実は、私が小学生の頃、学校の給食の献立で大の苦手だったのが、この凍り豆腐とひじきでした。
スポンジを食べているような食感が嫌で嫌で・・・。
今日から暫く、スーパーで凍り豆腐が売り切れるかもしれません。
凍り豆腐(高野豆腐)は、豆腐を凍結乾燥させた保存食です。
乾燥状態では軽く締まったスポンジ状で、これを水で戻し、だし汁で煮込むなどして味を付けて食べます。
冬期に豆腐を屋外に放置してしまったことから、偶然に製法が発見されたと言われているそうです。
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俗に高野山で製造される凍り豆腐が、精進料理の1つとして全国に広まったものと言われていますが、東北地方にも凍み豆腐(しみどうふ)と呼ばれる同じ製法の保存食があります。
伊達政宗が、兵糧研究の末に開発したという伝説もあるとか。
また、中国にも同様の食品があるので中国から伝来した可能性も高いそうです。
寒さの厳しい地方では、場所に限らず偶然の産物として発見され、普遍的に生産されてきた食品なんですね。
高野豆腐と呼ばれるに至ったのは、江戸時代に高野山の土産物として珍重されたからとも言われているそうです。
高野豆腐の名称は現在では全国に広まっていますが、もとは関西圏で広く用いられていた名称で、甲信越地方・東北地方・北海道では凍み豆腐・凍り豆腐と呼ばれていました。
日本農林規格では、凍り豆腐が正式な名称となっているそうです。
現在では長野県が日本最大の生産地で、高野山近辺では製造されていないということです。
落語には、豆腐や豆腐屋さんがよく出て来ますが、あまり凍り豆腐というのは見ません。
寒冷地ではないし、保存食などは要らなかったのでしょう。

雨の歩き稽古

rain天気予報が当たり、朝からかなり激しい雨。
雨の歩き稽古
雨降りだけに、やむなく(止む無く)、今朝の歩き稽古は中止。
その代わり、高座本を改めて読み返してみました。
・・・すると、とにかく多くの場所で、全然違う表現をしたり、言葉が抜けていたりして、愕然としました。
しかし、「活字で覚えちゃいけないよ」という師匠の言葉の趣旨から見れば、これは当然のことで、自分の言葉で表現出来ているのなら、それで良いのでしょう。
ただし、元の師匠の表現の方がフィットする部分も多く、微調整は必要だと思います。
それにしても、なかなか出て来ない単語があるんです。
「揺れるとき」でも「抜け雀」でも「帯久」でもそうでした。
自分の、言葉の引き出しの少なさ(薄さ)を痛感します。

自動車税

car今月上旬に、自動車税の納付通知書が来ていました。
すっかり忘れていて、昨日コンビニで納付しました。
本当にコンビニは便利です。
1
何でも、クレジットカードでも納付出来るようになったとかで、来年は試してみようと思います。
今年からでも良かったのですが、クレジットカードだと、領収書が出ないとか・・・そんな風な説明があったようでした。
この領収書は、車検の時に必要になります。
今年、間もなく車検なので、今年は今までどおり、紙ベースの現金納付にしました。
ところで、私が一番行く場所、一番利用するものは・・、恐らくコンビニだと思います。
ダイエットしているので、昼食も定食屋さんには行かず、コンビニでサラダや特保食品や飲料を買っていますし・・・。
セブンイレブン、ファミリーマート、ローソン、サンクス、デイリーヤマザキ・・・・、一番頻度の高いのは、やはりセブンでしょうか。
会社の隣にあるファミマ、ダイエット食品が充実しているローソン。
陳列されている商品は似てはいますが、それぞれ個性は感じます。
日本でコンビニが誕生して40年ぐらいだと思いますが、すっかり"文化"として定着した気がします。

2014年5月20日 (火)

出演者一言紹介

長老の但馬家四分椿師匠が、同期の大先輩(ご贔屓)の皆さまに、「お江戸あおば亭」の宣伝をしてくださっています。
その中で、今回の番組と出演者の紹介を添えられています。
◇出演者:(出演順)
・杜の家くるみ(横浜にぎわい座の天狗連・女流、『小言念仏』)
・破れ家笑児(端唄や三味線も演る、音曲噺の『紙屑屋』)
・杜の家とん平(初代、『天災』)
・喰亭寝蔵(今回は中トリで『酢豆腐』)
・談亭志ん志(上方落語『いかけ屋』に初挑戦)
・恋し家古狂(『二十四孝』とかっぽれを演る)
・南亭蕪生(麻雀亭駄楽ができなかった『親子酒』を演る)
・金願亭乱志(三遊亭圓窓に師事すること8年、今回は大ネタ
        『鰍沢』に挑戦、噺の舞台は本人の出身地に近い)
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いつも厳しい眼で見ていただいて、本当に有難いと思います。
もっともっとバラエティに富んだ演目に挑戦したいものです。
・・・ところで、師匠に師事して8年・・・?
正確には7年2ヶ月になるんですね・・・。
噺家さんなら、二つ目の中堅ぐらいの年季になるのでしょうか。

お江戸あおば亭の準備

当日、会場の入口などに貼るポスターを印刷しました。
ポスターと言っても、プログラムの表紙やチラシをA3サイズに拡大しただけですが。20140402192802_00002
これは、すずらん通りに出す立て看板に貼りましょう。
エレベーターホールにも必要かもしれない・・・。20140228155712_00001
大判チラシは、受付と客席入口あたりが良いかもしれません。
そろそろ、当日使う手拭いも決めないといけません。
お願いしているめくりもそろそろ届くことでしょう。

新真打披露興行大楽日

落語協会春の新真打披露興行は本日が大楽日。
真打昇進披露
柳家東三楼、柳家三語楼、三遊亭究斗、古今亭志ん好、桂やまとさんの5人。
噺家さんは個人の仕事ですが、切磋琢磨する仲間の存在がとても重要だと思います。
いわゆる同期というやつでしょうか?
真打昇進披露
勿論、入門同期と言うのあると思いますが、50日間一緒に披露興行をやるということは、特別な思いにもなるでしょう。
お疲れさまでした。

真犯人

shadow何を考えているのか分からない・・という感じの人。
申し訳ありませんが、この人への率直なイメージです。
パソコンの遠隔操作事件で、これまで無罪を主張してきた元会社員が一転して「私が真犯人で、一連の事件はすべて自分の犯行だ」と認めたそうです。
物凄く卑怯で、許されざる犯行だと思います。
多くの人に迷惑をかけたり、警察の誤認逮捕もあって、世間も騒がせました。
分別盛りの社会人の行動だとは思えません。
この事件では、威力業務妨害などの罪に問われていて、裁判では一貫して無罪を主張していました。
今回は、なぜか自ら墓穴を掘ったようにも思えます。
でも、無罪主張を続けたことに「途中で引き返せなくなった」と話しているようです。
また電話で母親と話して、「真犯人でも受け入れる」などと言われると涙ぐんだということです。
・・・・他人からかまってもらえなくて、本当は寂しかったんですね。
罪は憎みますが・・、可哀想な人です。

三越落語会プレオーダー

7月11日(金)開催の「第580回三越落語会」チケットのプレオーダーの申し込みをしました。
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出演者は、桂歌丸/三遊亭圓窓/金原亭馬生/林家正雀/三遊亭窓輝。
当たると良いのですが・・・。
ただし、当たってもあまり良い席にはならないでしょうが。

2014年5月19日 (月)

出張帰り

先日の出張の時も買って食べて、なかなか良かったのでリピートしました。
出張帰り
食事制限していますので、派手な幕ノ内やご飯や芋やフライの衣などは避けたいので。
出張帰り
以前なら物足りなくて買うこともなかったでしょう。
何とかダイエットの形をつけたくて。
おかずは食べて、ご飯は・・・、半分残しました。

定宿の跡

この建物は、大阪中津の某ホテルです。
定宿の跡
もう10年以上も昔ですが、大阪に出張した時には、泊まるホテルはここに決めていました。
あれから幾星霜、何年か前に経営が変わった後、とうとう昨年クローズしてしまいました。
このホテルでは、単に宿泊しただけでなく、友人の結婚披露宴の司会も、確か2組ほどやったことがあります。
ちょうど出張で近くに行ったので…。
まだ建物は取り壊されずに残っていましたが…。
当然、地下鉄駅から直接繋がっていた通路は閉じられていました。
近くには超高層のマンションやビルが建っています。

出る杭は…

大阪の阪急電車のガード下で見つけた、実に説得力のある言葉。
出る杭は…
「出る杭は打たれる」ではなく「出る杭は打たれ強い」……。
出る杭は…
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなくて「二兎追う者だけが二兎を得る」……。
至言ではありませんか。
「宝くじも買わなきゃ当たらない」精神ですね。
大阪です。

大阪駅

trainちょっと前に、大阪梅田の北側が再開発で大きく変わりました。
大阪駅
特に、玄関口のJR大阪駅の北口は、昔を知っている訳ではありませんが、劇的な変化を遂げました。
大阪駅
良くも悪くも大阪らしくないエリアになりました。
鉄道を挟んで建っている、ノースゲートビルからサウスゲートビルへの連絡通路からは、駅のホームを見下ろすことが出来ます。
ここが大阪?

青葉まつり

青葉まつり
この週末、仙台では「仙台・青葉まつり」が行われたそうです。
本まつりの18日は、仙台市中心部を舞台に華麗な歴史絵巻を繰り広げたと、河北新報が伝えています。
東日本大震災からの復興に寄せる仙台市民の気概を示した祭りは、2日間を通して天候に恵まれ、沿道には大勢の観客が詰め掛け、東二番丁通と定禅寺通を練り歩く時代絵巻巡行には、過去最多となる総勢4500人が参加。
11基の山鉾を先頭に、伊達文化の礎を築いた伊達政宗らの時代行列、すずめ踊りの大流しが続いたそうです。
私が住んでいた頃はなかったお祭りですが、今年で30回目だったそうです。

吉原研究?

吉原研究?
昨日、ふらっと立ち寄った古本屋で、「吉原遊郭」をビジュアルに解説している本を見つけ、衝動買いしてしまいました。
元は1600円のところ、ちょうど半額の値段でした。
Suicaが使えるのでと、センサーに当てたところ、残高不足・・。
何ともみっともない、トホホな醜態。
改めて現金で支払い、Suicaは帰り道、駅でチャージしました。D2_1305741_sip
そんなことはどうでもよくて、今度「明烏」をやりますので、しっかりイメージしておこうと、今日の日帰り出張の鞄に入れてきました。 O0370046810966942017
それは良いのですが、どのページにも「吉原」とデカデカと書かれ、多色刷りの鮮やかな絵やCGで、目立つのなんの。
隣に座った人が寝ているのを確認しながら、こっそり読む羽目になりました。
落語に出て来る言葉や場所、慣習などが改めて確認することが出来ます。

東京駅点描

大阪出張で東京駅へ。
新幹線の発車時刻まで余裕があるので、東京駅をブラブラしてみました。

山手線や京浜東北線などの電車が到着する度に、多くの利用客が下りて来ます。

それでも、まだ朝早いせいか、波が引くと静かになります。

お土産屋さんはもう本格的に開店しています。

新幹線の乗り場に向かう短いエスカレーターも、大きな荷物を持った人が後から後から続きます。

新幹線の改札口前のきっぷうりばも、これから長蛇の列が出来ることでしょう。

改札口を通る人たちは、電光掲示板で自分の乗る便の確認をしながら、中に入って行きます。

改札を入ってからある待合室。
ほどほどゆったりしているので、いつも利用しています。

今朝はそれほど混雑していませんでしたが、お年寄りのご夫婦らしきペアが目立ちました。
今日の出張は日帰りです。

元大関の訃報

大相撲の元大関魁傑で、日本相撲協会の第11代理事長も務めた元放駒親方が急逝されたそうです。
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都内のゴルフ練習場で体調が急変し、運ばれた病院で亡くなったということで。
享年は何と66歳という若さでした。
非常にクリーンなイメージの大関でした。
とにかく、最初の頃は名前が読めませんでした。

三越落語会

土曜日に、一緒に実家に帰った妹が教えてくれました。
「三越落語会」に圓窓師匠が出演する・・・。

イープラスからも、プレオーダーのメルマガが送られて来ました。
  ◇日時   7月11日(金) 18時 開演 
  ◇場所   三越劇場
  ◇出演   桂歌丸/三遊亭圓窓/金原亭馬生/林家正雀
          /三遊亭窓輝
とても良いメンバーですね。
是非とも入手したいものです。
ただし、開演時刻が早くて、仲入りの時間が長いのが、この落語会のネックなんですが・・。

2014年5月18日 (日)

江戸川歩き稽古?

「お江戸あおば亭」まで1週間。
今日は天気も良かったので、江戸川の河川敷の公園で歩き稽古をしようと出かけました。
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堤防に「海から20キロ」という道標があります。
通い慣れた?河川敷の公園です。
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昨年のちょうど今頃も、6月に「第5回お江戸あおば亭」があり、「揺れるとき」を演ることになっていましたので、ここに来ました。
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河川敷から堤防の上を見上げると、自転車に乗る人、釣りをする人、散歩をする人が通り過ぎています。
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真っ青な空の下では、鳥たちも群れて飛んでいます。
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暫く歩くと、ポピーが咲き乱れています。14003858956671
この花畑の中を歩きながら「鰍沢」を演ってみました。
14003859915411_2コンビニで、サンドイッチとお~いお茶を買って、ブツブツ言ってみましたが、なかなか身が入りませんでした。
紫外線も強いので、今夜は顔がゴワゴワすることでしょう。
あまり、稽古にはなりませんでしたが、ゲン担ぎとダイエットということでお許しいただきましょう。
自宅から江戸川河川敷、街をブラブラして、ちょうど1万歩の稽古でした。

上方落語の定席

上方落語協会の桂文枝師匠。
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3月に1年8カ月に及ぶ襲名披露公演を終え、「これからやるべきことを考え、若い人が育たないと落語の未来はないと思った。僕らが若い時は“(先代の文枝ら)四天王”が僕たちを支えてくれた。今度は僕の番」と思いを説明。上方落語協会の会長も務めており、「落語を知って好きになっていただきたい」と、東京での上方落語ファンの獲得にも意欲を燃やしているそうです。
・・・ということで、東京(神田神保町)に上方落語の定席を作るということです。
神田神保町は、吉本興業が1922年に東京に進出し、寄席「神田花月」を開場したゆかりの地なんだそうです。
45年に空襲で焼失し、07年に同じ地区に神保町花月をオープン。
普段は演劇公演が中心ですが、今後は月1回落語会を開催し、上方落語の拠点としていく方針。
月1回とはいえ、69年ぶりに東京に上方落語の“定席”ができることになる訳です。
落語家 桂文枝が、若手落語家育成の一環として、戦前、落語や講談を主体とする寄席小屋だったよしもとの劇場「神田花月」があった街“神保町”にて、
「神保町花月~桂文枝 プロデュース~戀(こい)する落語会」を開催することとなりました。
この落語会は、「落語を聴けばきっと人生が楽しくなる。きっと人間が好きになる。そして誰かを好きになる。だから落語を聴けば必ず戀が芽生えます❤」をコンセプトに毎回一人の若手落語家に焦点を当てていきます。

五代目の十三回忌

16日が五代目柳家小さん師匠の十三回忌だったそうです。
新聞などでは、五代目の息子の六代目小さん師匠、孫の花緑さん、高弟で落語協会会長の柳家小三治師匠、最高顧問の鈴々舎馬風師匠が、乗泉寺世田谷別院の墓前にお参りしている写真が載っていました。
寄席などに行って、お弟子さんが「うちの師匠が・・・」と、亡き師匠を語るのを聴きますが、林家彦六(八代目林家正蔵)師匠と、この小さん師匠が双璧でしょう。
お弟子さんが多いということもあると思いますが。
彦六師匠は、一門の壁を越えて、様々な噺家さんがネタにしています。
新宿末廣亭では、「十三回忌追善“小さんまつり”興行」が行われています。

2014年5月17日 (土)

どこかで見た顔?

大相撲5月場所は、新横綱や遠藤で盛り上がっています。
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特に、ちょんまげが結えるようになり、新横綱の鶴竜を破って金星を挙げた遠藤関からは、目が離せません。
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何気なくテレビを観ていると、東方の砂かぶりに、どこかで見たことのある顔に気づきました。
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古今亭菊丸師匠に似ているんです。
写真左端の和服姿の男性です。
このあたりは、よく市馬さんや米助師匠などの噺家さんが座っていますので・・・。

静かさや

里山散歩を、昼食後にも続けました。
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奥山に源を発する清流の音が、心地よく感じられます。14003026195241
昭和42年に架け代えられた橋も、随分古くなりました。
この橋、どういう謂れかは知りませんが「記念橋」と言います。
小学生の頃、近所の友だちと遊んだ時に、我が集落の真ん中にある「両国橋(甲斐と駿河の両国)」のスタート・ゴールにして、駆けっこをしたものでした。
こんなに小さな橋だったんですね。
最近は物凄く嫌われているのが、杉や檜の林です。
こんな場所がいたる所にあります。
川の音、鳥や虫が鳴く声しか聞こえない林の中は、鋭い陽射しも遮られ、杉と檜の匂い(香り)が強く漂っています。
あぁぁ、そうだった、こんな匂いだった。
思わず、大きく息を吸い込みました。
こういうのを「森林浴」って言うのでしょうか?
・・・とすると、随分贅沢をしているんですね。
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裏山から下る道は、右側が杉(檜)林、左側は竹林。
竹も独特の香りがあると思います。
タケノコの旬が終わったばかり。
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喧騒が一段落したようです。
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家の周りには、近所の人が植えて育てた花々が、競うように咲いています。
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5月の陽光を身体中に浴びて、咲き誇っていました。
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よく見ると、花から花へと渡りながら蜜を吸う蜂や蝶が、元気よく飛び回っていました。
少しは寿命が延びたでしょうか・・・・。

里山散歩

実家の庭にシャクナゲが咲いていました。

今までは、実家に行ってもダラーッとばかりしていましたが、一念発起、ダイエットのために散歩することにしました。

山坂道を歩いて、さらに奥の集落まで行きました。
四方八方、山また山・・・・。

山にへばりつくように、地味な鳥居があって社がありました。

道端に、何かはわかりませんが、石仏が建てられています。

お茶畑は、しっかり手が加えられていて、緑が本当に美しい・・・。

家の軒先からは富士山の頭が見えます。

棚田には水が引かれ、竹林(竹藪)越しにも富士山が見えます。
あぁぁ、こんな暮らしもあるんです。
これが、私の原風景なんです・・・。

富士山

実家に帰省。
富士山
晴れ渡った空に、富士山がくっきり見えています。
富士山

2014年5月16日 (金)

東京落語会

3ヶ月ぶりの東京落語会です。
虎ノ門ヒルズの下を通るマッカーサー道路を横断して、会場のニッショーホールに向かいました。
東京落語会
既に開演していて、立川生志さんが「幇間腹」をやっているところ。
中に入らずに、ロビーで待つことにしました。
東京落語会
さすがに閑散としています。
東京落語会
  ◇ タラチネ      三遊亭天どん
  ◇ 幇間腹       立川生志
  ◇ 水屋の富      桂南なん
  ◇ 杖          桂米丸
  ◇ 一眼国       入船亭扇辰
  ◇ 猫忠         古今亭志ん輔
東京落語会
米丸師匠、齢89歳ですが、とてもお元気です。
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ただ、今回は、足の調子が悪く、正座が出来ないため、ちょうど浪曲のようなテーブルに布を被せたようにして、立った姿勢での一席でした。

シネマ落語「昭和の名人・七」

movie恒例のシネマ落語「落語研究会 昭和の名人 七」。
今回は、「古今亭志ん朝独演会」です。10350633_298435583654591_5871628135
 <上映期間>
   平成26年6月7日(土)~6月27日(金)
 <上映時間>
   11:00/13:30/16:00/18:30
 <劇場>
   東劇(東銀座駅6番出口すぐ)
 <料金>
   2,000円均一・入替なし
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・・・なかなか行く暇がなくて・・・。
演目は、「居残り佐平次」・「宋珉の滝」・「愛宕山」のようです。

摩利支天

アメ横散歩の途中に、下谷摩利支天(徳大寺)があります。
アメ横散歩
日蓮宗の寺院で山号は妙宣山。本尊は大曼荼羅。
開運摩利支天を祀ることから摩利支天山とも称される。
旧本山は大本山中山法華経寺。
アメ横散歩
「二木二木二木二木二木の菓子」など、周囲を商店に囲まれた環境の中で立体構造型の特異な寺院様式です。
正午や夕暮れ時の商店街に響きわたる鐘の音は、ここの鐘楼堂によるものです。
アメ横散歩
この寺の創建年代等については不詳だそうですが、江戸時代前期の1653年(承応2年)に示寂した日遣によって開山されたと伝えらているそうです。
京都本法寺の日達が下総国中山の法華経寺へ赴く際に感得した聖徳太子作と伝えられる摩利支天像が1708年(宝永5年)この寺に安置され、その後江戸における流行仏のひとつとして庶民の信仰を集めたということです。

摩利支天(梵語 Marici)は、威光・陽炎を意味するそうです。

急な石段を上り、手を合わせました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・。

アメ横散歩

bullettrain来週月曜日に大阪に日帰り出張するので、行きののぞみの席を指定しておこうと、上野駅の緑の窓口へ。
アメ横散歩
まだ朝早いので、中央改札口前は閑散としています。
あと30分もしないうちに、通勤の人々で溢れますが。
アメ横散歩
久しぶりに、上野駅の不忍口から、地下鉄銀座線の末広町まで歩くことにしました。
アメ横散歩今日は良い天気です。
やはり、日中から夜の賑わいからは想像出来ない静けさ。
アメ横散歩
それでも、魚の生臭い臭いが漂っています。
アメ横散歩アメ横散歩
JR御徒町駅前に、新しく建て替えられた吉池ビル。
以前は、何とも言えない、垢抜けない魅力のあるゴチャゴチャした店と、上層階は飲み屋さんがありましたが・・・、立派になってしまいました。

御徒町駅のガード下に、まだありました。
このラーメン屋さん、味噌ラーメンが美味くて、よく行きました。
何の変哲もないラーメンですが、素朴な味です。

最近のラーメン屋さんは、作る側の独り善がりが強くて、やたら手をかけたり、素材にこだわったり、何でもかんでもトッピングしたり、コテコテになったりしていますが、ごく普通に作ったラーメンが一番だと思います。
あっ、歩き稽古を忘れてしまいました。

萩友会の会章

Tokuten_3大学の同窓会「萩友会」から、突然バッジが送られて来ました。
創立100周年を迎えた2007年に、次の100年の大学づくりの礎として東北大学校友会として発足し、2009年6月に「東北大学萩友会」が正式名称になった、全学統一の同窓会です。
昔は、企業でも社章があって、スーツの襟に着けていたものでしたが、最近は少なくなりました。
きっと、リタイアされると、肩書きや名刺もなくなるので、こういうバッジが必要になるのかもしれません。
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川内キャンパスも、薫風清々しいことでしょう・・・。

2014年5月15日 (木)

歩き稽古

「お江戸あおば亭」のプログラムの印刷をしました。
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とりあえず100枚は最低必要でしょう。
今回の紙質はいつもよりちょっと厚手で、色はアイボリーにしてみました。
 歩き稽古
帰りもブツブツ言いながら。
上野駅の中央改札前では、青森県の物産が販売されていました。

緑茶の効能

japanesetea緑茶を飲む頻度が高い高齢者ほど、認知機能が低下する割合が低いという調査結果が発表されたそうです。
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緑茶に多く含まれるカテキンなどの成分に、認知症を予防する効果がある可能性があるとか。
先日、認知症のため身元が分からずに7年間、群馬県内の施設で暮らしていた女性が、テレビ放送がきっかけで東京の67歳の女性と確認され、家族と再会出来たというニュースがありました。
この女性は、まだ60歳の頃に既に認知症が進行していたということですね。
せいぜいお茶を飲まなくっ茶。

あと10日

event何だかんだ言っているうちにあと10日足らずになりました。
来週の24日(土)午後1時より、神田神保町「東京堂ホール」で。
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こっそり、番組も紹介してしまいます。
(全然、"こっそり"ではありませんが・・・・)
20140515075041_00001
勿論、入場無料ですから、是非ともご来場ください。

金星2つ

fullmoon大相撲の遠藤が、とうとう金星を上げました。
金星
また、ヤンキースのマー君が、メッツ戦でメジャー初完封。
若い人が頑張っているのを見るのはいいですね。

2014年5月14日 (水)

夜の散歩?

ちょっと強めではありましたが、夜風が心地良いので、夜の上野公園を歩きました。
夜の散歩?
噴水がライトアップされてきれいです。
あんまり大きな声で稽古をすると、お巡りさんに呼び止められたりしますので、静かに静かに…。
夜の散歩?
明日は雨だそうですから、なおさら気持ちがいい。

病院

hospital今日は薬剤師さんのレクチャーです。
病院
つくづく、あぁ病人なんだなぁと痛感します。
お医者さんに言われたとおり、しっかり節制しないといけません。

落語の仕草

先日の稽古会の時の、師匠の落語仕草の実演のハイライトです。
落語の仕草
まずは、お辞儀から。
礼に始まり礼に終わりますから、とても大切な仕草です。
落語の仕草
釣竿を上げて、釣り糸を伸ばしているところ。
落語の仕草
提灯を持って、暗い所を照らしているところ。
落語の仕草
算盤をはじいて帳面をつけているところ。
落語の仕草
大杯でお酒を飲んでいるところ。
落語の仕草
扇子で音を出して、戸を叩いているところ。
落語の仕草
言わずと知れた、煙管で煙草を吸っているところ。
ほかにも、色々やってくださいましたが、この映像は宝ですね。

工場火災

sweat01町田市の金属加工会社で爆発火災発生しています。
ところが、消火活動をしようにも、建物内にあったマグネシウムが水による消火活動を阻んでしまっているようです。
005
というのも、マグネシウムは、水をかけると爆発の危険があり、消防隊は直接放水ができない状態ということなんです。
燃焼中のマグネシウムに水が触れると、水が分解され水素と酸素が発生し、爆発を起こしたり、マグネシウムの燃焼を加速させたりすることがあるため、水による消火は厳禁だという・・・。
私は文科系ですから、この手の話はからっきし苦手です。
それでも、大学入試の時は、生物と化学を選択していたのですが。
「水平リーベ僕の船・・・」でしたっけ?
原子記号の有名な覚え方ですね。
「水平リーベー僕の船、七曲シップスクラークか」。
原子周期表のはじめからH、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Ar、K、Caの20番目までのことです。
ということで、マグネシウムは原子番号12の金属元素。
元素記号は Mg。
熱水や塩水、薄い酸に容易に溶解し水素を発生する・・。
  2 H2O + Mg → Mg(OH)2 + H2
今朝のニュース続報です。
東京・町田市にあるマグネシウム合金などを扱う金属加工会社の工場が全焼し、従業員1人が重体、7人が重軽傷を負った爆発火災で東京消防庁は、14日朝から消火活動を再開することにしていましたが、工場内部の温度が下がっていないことから消火は再開しておらず、鎮火には時間がかかる見通しです。shock

歩き稽古

久しぶりに日比谷公園を歩く気がします。
歩き稽古
この1週間で、また咲いてくる花が変わりました。
歩き稽古
こちらは相変わらず「鰍沢」をブツブツと。
明日は天気が悪そうですから。

歌丸師匠

hospital先月28日に退院し、今月1日に復帰した桂歌丸師匠。
ところが、7日に再入院されてしまいました。gawk
annoyおかみさんは、何とか仕事を休ませようとしますが、歌丸師匠は「お客さんを裏切りたくない」と、夫婦喧嘩になったそうです。bomb
最終的に、事情を分かっているお医者さんが師匠を説得して入院することになったとか。
体調、体力が身体が弱っていますから、それでなくても患ったことのある肺炎にでもなったら大変ですから、じっくり静養していただきたいものです。
それこそ命にかかわりますからね。

からあげクン

からあげクン
お医者さんに勧められて、私も時々買って食べるようになったのですが、某コンビニで売っている唐揚げです。
この「からあげクン」の衣に、キャラの焼印が付いている“レアからあげクン”が存在するそうなんです。
何でも、1000個に1個ぐらいの確率だとか。
と言うことは、ワンパックに5個入っていますから、200分の1の確率ということですね。
毎日買っていれば、半年ちょっとで巡り会える…。
先生のお勧めは、これを低糖パンに挟んで食べるようにと。
ところで、先日この「からあげクン」をコンビニで買おうとして、「かりあげ君ください」と言ってしまいました。
昔、そんなキャラクターの漫画がありましたから。

ビル崩壊?

ビル崩壊?某国のニュース。
建設中の7階建てビルが突然傾いたそうです。
杜撰な地盤工事が原因で沈み込んだ可能性があるとのこと。
旅客船の沈没事故や地下鉄の衝突事故などで安全対策が問われている中、また杜撰な管理が発覚したと、某国メディアは怒りを込めて報道しているそうです。
ビルは完成間近だったが中に人はおらず、け が人はなかったのが幸いでした。
ビルは約20度傾き、亀裂が入って崩壊の恐れがあるそうで、現場は水田や水路を埋め立てた地域で地盤が緩いということです。
…それにしてもコリア(こりゃあ)ひどい…。
心ない2チャンネルでは、世界遺産にしたらというコメントがあったそうです。
とても洒落にはなりませんが、少なくとも、日本では考えられないことですから。

2014年5月13日 (火)

東京へ

贅沢は言えませんが、2泊の大阪出張は疲れます。
東京へ
特に今回は、初めての場所でのイベントに参加しましたので。
梅田の地下街で迷ったりもしました。
東京へ
実は、初めて新大阪駅まで、大阪駅からJR京都線(東海道線)に乗りました。
いつもは地下鉄御堂筋線を利用するのですが。
JRだと1駅なんですね。
東京へ
ホームでは、私が乗る「のぞみ」のクルーが、打ち合わせをしている様子。
ところで、東京では、今朝地震があったそうです。
甲府では最高気温が30℃を超えて、日本一暑かったようです。

ランチ

大阪のリッツカールトンの前の地下街。
大阪駅前
ランチタイムに散歩してみました。
ランチ
地上から採光して、緑が綺麗です。
ランチ
ランチは、リッツカールトン近くのファミレスのランチ。
ハンバーグとチキンとスープとご飯の小盛り。
これで500円。
このギャップがいいですね。

W杯代表決定

昨日、サッカーのワールドカップの日本代表選手が発表されたそうです。
かなり大きなニュースになっているようです。
そんなに騒ぐほどのことですか?
私は全く興味がありません。
選手の名前を聞いても、何人も知りませんから。
テレビでも各局が、いつものように節操なく競って、選手発表の様子を中継していたようですが、唯一テレビ東京だけは、通常の番組を淡々と流したそうです。
これですよ。
これが本当の普段の袴…じゃなくてテレビです。
天晴れ!天晴れ!

御堂筋

朝の御堂筋を散歩。
御堂筋
市役所前から北浜、今橋、高麗橋あたりまでですから、ほんの僅かな距離ですが。
地下鉄の淀屋橋駅周辺です。
昨日は午後から雨でしたが、今日は晴れて暑くなるそうです。
まだオフィス街も静かです。

2014年5月12日 (月)

山火事の原因

昨日、兵庫県赤穂市で出火した山林火災は、大阪では大きく報道されていました。
山火事の原因
今朝、約14時間半 ぶりにほぼ消し止めら れましたが、麓の民家でバーベキューをした後の炭火の不始末から、火を山に燃え移らせた疑いがあるとし て、森林法違反容疑(森林失火)で40歳の会社員の男が逮捕されたそうです。
男は、山林に近い自宅の庭で家族らとバーベキューをしていて、消火を確認しないまま炭を森林に捨て、山林に燃え移らせたという。
男は炭火が消えたと思っていたため「炭に水をかけずに捨てた」とし、容疑を認めているそうです。
呆れて物も言えませんが、放火や失火は、とても罪が重いですから、たっぷりとお灸をすえて欲しいものです。
八百屋お七は、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されました。
えっ?今回は八百屋(野菜)ではなく、肉(バーベキュー)だから違うって?
いやいや、肉だけでなく、野菜も焼くでしょう・・・。
とにかくバカ火事親父です。

大阪駅前

随分雰囲気が変わりました。
大阪駅前
 新しい高層ビルが林立している感じです。
超高級ホテルも幾つかあるようです。
大阪駅前
以前から思っていますが、この梅田界隈の地下街と言うには物凄いですね。
東京には、こんなに賑やかで大きな地下街はありません。
大阪駅前
阪急側から、地下鉄・大阪駅を通り、阪神側から西に歩きましたが、見事に迷いました。

初カツオ

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
・・・江戸中期の俳人・山口素堂(1642~1716)の作です。
Thumb300x200471目にも鮮やかな「青葉」、美しい鳴き声の「ほととぎす」、食べておいしい「初鰹」と、春から夏にかけ、江戸の人々が最も好んだものを俳句に詠んでいます。
この句が一躍有名となり、江戸っ子の間では、初夏に出回る「初鰹」を食べるのが粋の証となりました。
ところが、西日本の太平洋沿岸部で漁のシーズンを迎えた初ガツオが、記録的な不漁に見舞われているそうです。
1thumb300x200473例年より海水温が低いことなどが影響しているとみられ、品薄のため値段は高騰し食卓にも上りにくい状況だとか。
専門家からは「産卵域にあたる赤道付近で外国の巻き網漁船による漁獲が増え生息数が減っている恐れがある」と、国際的な漁規制の強化を求める声も上がっているようです。
不漁のために、4月中旬に開く予定だった恒例のかつお祭りを中止したり、初ガツオ売り出しの折り込みチラシをやめたり・・・、大きな影響が出ています。
江戸っ子が泣いてしまいますね。
そう言えば、駿河湾のサクラエビも不漁だそうです。

2014年5月11日 (日)

大阪で

いつもは高麗橋のホテルが定宿なのですが、今回は、梅田で仕事なので、梅田駅前のホテルに泊まることにしました。
大阪で
何ヶ月か前の、食材偽装騒ぎの発端になったホテルです。
あの時一番可哀想だったのはバナエイエビちゃんよね。
梅田の地理はほとんど知りませんが、夕食を買いにコンビニを探しました。
大阪で
途中で、網敷天満宮がありました。
と言っても、これまた知りませんでしたが。
やっとコンビニを見つけました。

大阪へ

fujiさま、右側をご覧ください。
富士山の美しい全景が見えております。
大阪へ
…座席に座ってウトウトしていると、こんな車内アナウンス。
稽古が終わったその足で、新大阪行きの新幹線に乗っています。
あぁぁ、本当に富士山が綺麗に見えます。
(写真の富士山は、車窓からの景色ではなく、同じ頃の富士宮市からのライブ映像です。)
大阪へ
しかし、天邪鬼な私は、席も反対側だったので、このすぐ後に渡る富士川鉄橋から、富士川河口方向を眺めることにしました。
鰍沢から流れて来て、この右岸が岩淵です。
そう、東海道岩淵へ注ぐ鰍沢の流れ、まさにその場所です。
一本のお材木で助かりました。

仙台六大学野球

レベルはかなり違うと思いますが、東京六大学の東大が連敗記録を更新している一方で、我が母校はどうなんだろう?
仙台六大学野球 仙台六大学野球。
第5節第1日は10日、仙台市の東北福祉大球場で東北福祉大−仙台大、東北工大−東北大の各1回戦が行われ、福祉大、東北大が先勝した。
東北大は六回に2点を先取すると、右腕時光晋平が要所を締めて2−0で工大を下した。
…全くご縁はありませんが、状況は把握していませんが、母校が連敗を続けているということはないようです。

落語っ子連稽古会

落語っ子連の稽古会です。
稽古会(5−3)報告
朝9時からの稽古会は、休日だけにちょっと慌ただしいですが、師匠は10分以上前からいらっしゃいました。
今日は5人参加です。
稽古会(5−3)報告
また、紅巣亭の小まど君のお父さんが、師匠が扇子を使った落語の様々な仕草を実演してくださるのを撮影することになっていましたので、これまた楽しみでした。
稽古会(5−3)報告
百梅さんは、「火焔太鼓」にチャレンジです。
稽古会(5−3)報告
 ◇ 船徳       三流亭窓口
 ◇ 明烏       三流亭流三
 ◇ 火焔太鼓    三流亭百梅
…と、ここまで読み稽古をやっていただいた後、いよいよ師匠の実演の撮影です。
稽古会(5−3)報告
なかなか見ることの出来ない場面です。
稽古会(5−3)報告
こんな感じて撮影が進みます。
稽古会(5−3)報告
師匠は、お辞儀(礼)から始めれ、橋や筆や箸や釣り竿や煙管や刀や提灯やら、扇子で様々な品物を表現されました。
大変勉強になりました。
稽古会(5−3)報告
 ◇ 小言幸兵衛    三流亭仙三
 ◇ 芝浜        三流亭越児
稽古会(5−3)報告
それにしても贅沢な稽古会ではありませんか。
稽古会(5−3)報告
越児さんの「芝浜」は、「ちゅう・ちゅう・たこ・かい・な」です。
稽古会(5−3)報告
私の「明烏」、この噺も難しいです。
汗だくになって、くたくたになってしまいました。
師匠は、この中席は、池袋の昼に萬窓さんと交互でトリでご出演です。

落語DEデート

今朝は聴きたいと思う内容でした。
   ◇ 寝床     三遊亭圓生
圓生師匠は、元は豊竹豆仮名太夫で、義太夫でデビューされているそうですから、実演も出来る訳で。
昭和51年の音源だそうですから、76歳のはずですが、お元気です。
習志野で急逝される3年前です。

久しぶりの寄席出演

今日から師匠が久しぶりに寄席の中席にご出演です。
池袋の昼の部です。
Img_touka1405_naka
萬窓さんと交互出演でトリを取る日は、ネタ出しされています。
◇圓窓師匠
12日(月)[一人酒盛]・13日(火)[鬼の涙]・15日(木)[不孝者]
18日(日)[武助馬]・20日(火)[明日ありと]
◇萬窓さん
11日(日)[ねずみ]・14日(水)[らくだ]・16日(金)[百年目]
17日(土)[寝床]・ 19日(月)[小間物屋政談]
12日の「一人酒盛」を聴くことが出来ないのが残念です。

昭和元禄落語心中

News_thumb_2014_kumota1book 「第38回講談社漫画賞」の受賞作が発表され、一般部門には雲田はるこ「昭和元禄落語心中」、少女部門にはタアモ「たいようのいえ」、少年部門には勝木光「ベイビーステップ」、児童部門には小西紀行「妖怪ウォッチ」がそれぞれ輝いたそうです。
「第17回文化庁メディア芸術祭」では、マンガ部門の優秀賞に選ばれているそうですから、評価が高く、売れているんですね。
それで、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞記念展が、6月6日より米沢嘉博記念図書館1階展示コーナーにて開催されるそうです。
■文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞記念展「昭和元禄落語心中」と雲田はるこ 
~落語に行こうぜ!~
  期間:2014年6月6日(金)~9月28日(日)
  時間:月金14:00~20:00、土日祝12:00~18:00
  会場:米沢嘉博記念図書館1階展示コーナー
            東京都千代田区猿楽町1-7-1
  入場料:無料
  休館日:火、水、木曜(祝日の場合は開館)
【関連イベント】
◆展示担当者によるギャラリートーク&新宿末廣亭寄席鑑賞「寄席に行こうぜ!」
  日時:2014年6月14日(土)11:00~16:30(お昼の部を鑑賞)
  寄席見学入場料:3000円
  ※事前申込制。定員15名まで。
◆雲田マンガの話をしよう
  日時:2014年7月27日(日)16:00~17:30
  場所:米沢嘉博記念図書館2階閲覧室
  入場料:無料
  出演:福田里香、金田淳子、横井周子
◆落語聴こうぜ!
  日時:2014年9月23日(火・祝)16:00~17:30
  場所:明治大学グローバルフロント多目的室
  入場:無料
  出演:桂まん我
  ※事前申込制。9月3日10:30より申込開始。

これも落語徘徊の範疇に入れても良いでしょう。
でも、落語は徒党を組んで聴くものではなく、独りで聴くに限ります。

2014年5月10日 (土)

皇居外苑

shoe今日は土曜日ですが出勤日。

少し寒いですが、好天ですから、二重橋前で下車して、皇居外苑を歩いて出勤することにしました。
勿論、時々「鰍沢」をブツブツ喋りながら・・・。

遠くに見えるのは、桜田門です。

お堀の向こうに見えるビル群は、日比谷・内幸町から新橋・汐留のあたりです。

熊の膏薬売りの伝三郎に毒を飲ませて七転八倒させながら、祝田橋の交差点を直進して、日比谷公園の西側を通って霞ヶ関・虎ノ門へ。

日比谷公園と霞ヶ関官庁街の間から見える虎ノ門ヒルズは、意外と目立ちません。
かえって左手前のイイノビルが目立ちます。
そういえば、なかなかイイノホールに落語を聴きに行けていません。
こんなに近くにあるのに・・・。
その左のクレーンは、元長銀本店ビルの解体工事のためのもの。
バブルの象徴だったこのビルの命も短かったですね。

という訳で、朝の約3,000歩の旅でした。

ひとぃ・・ふたぃ・・みっちょい・・・

tvテレビを何気なく見ていたら、立川談春さんがスリーピースを着て出ていました。
細かい内容は分かりませんが、昔お世話になった人が築地かどこかにいて、その人を訪ねたという設定でした。Photo
若い頃、師匠の談志師匠から「築地へ行け」と言われたそうですが、その理由が分かったとか・・・。
「芝浜」で、拾った革財布の中の金を数える時のあれですよ。
「ひとぃひとぃひとぃ、ふたぃふたぃふたぃ、みっちょいみっちょい・・・・・」というやつ。
あれは、「築地の数え歌」だということで、それを全部歌える唯一人の人が、談春さんが訪ねた人だったとか・・・。
シュウマイを3つずつつかんで、蒸篭から移すときに、この歌?を歌いながらやっていましたが・・・。
先月の落語っ子連の稽古の時、この噺のお金の数え方が話題になりました。
あの「ひとぃ・・ふたぃ・・みっちょい・・・」って何だろうって。
これで、分かったような、分からないような・・・。
「ちゅう・ちゅう・たこ・かい・な」という数え歌もあります。
これは、2個単位で数える数え歌であり、「ちゅう・ちゅう・たこ・かい・な」が「2・4・6・8・10」に相当します。
初出は不明だそうですが、江戸時代には使用されていたことが確認されているそうです。
ところで、お金の勘定と言えば、銀行の札読み(札勘)ですよ。
20110412124254
こうやって1枚ずつ数えるのが立て読みと言うそうです。Yjimage
扇のように開いて数えるのが横読みと言うそうです。
広げた札を何枚ずつかに分けて数えます。
写真では3枚ずつ数えているようですが、銀行によって、4枚ずつ、5枚ずつというように、違ってはいるようです。
Yjimage1
こうして「ひとぃひとぃひとぃ・・・・」ってやったら、分からなくなってしまうかもしれません。

自治体消滅?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140508-00000117-mai-soci
全国1800市区町村(政令市の行政区を含む)の49.8%に当たる896自治体で、子どもを産む人の大多数を占める「20~39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減ってしまう・・・sign02
896自治体を「消滅可能性都市」と位置付け、有効な手を打たなければ将来消える可能性があるという、大変なことです。
また896自治体のうち、40年の人口が1万人を割る523自治体(全体の29.1%)については「消滅の可能性が高い」とし、より衰退の恐れが大きいとされました。
96958a9c93819481e2eae2e09d8de2eae2e
中でも青森、岩手、秋田、山形、島根の5県は「消滅可能性都市」が8割以上にもなるそうです。
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24道県では5割以上を占め、トップの秋田は県内25市町村のうち24市町村が該当するという・・・。
全国で最も減少率が高かったのは群馬県南牧村(89.9%)。
ところが、そんなことはないと思う東京23区でさえも、豊島区は唯一消滅の可能性があるということです。
年増区だから高齢者も多いのかもしれません・・・shock
島根県の2035年の人口ピラミッド推計では、完全に逆三角形になっています。
それにしても、85歳以上の女性が最も多いというのが凄いsweat01Image12
他県のことなど言っている場合ではありません。
我が山梨県とて、否、わが町とて、否、我が集落など、ほとんど消滅状態ですから・・・。
・・・しかし、楽しむ世代として高齢者が比較的多いということを考えると、落語の未来は、相対的に明るいかもしれない、というのは妄想でしょうか?

ボランティアツアー

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落研の現役の皆さんのブログ「落研の独り言」から。
http://tohokuochiken.blog56.fc2.com/
積極的にボランティア活動をやっているようで、連休期間中もボランティアツアーに参加したそうです。
「海亭ぺんぎん」さんの熱いコメントがありました。2aab30ab
ボランティアツアーでは、現地の方々の震災当時の貴重なお話を聞かせていただくことに加えて、仮設住宅での足湯・手芸活動を行って心理的交流をしていくものです。
来る方はお年寄りの世代が多いということだったので、前回に引き続き、たまたま私が落語ができるということでやらせていただきました。
■福島ボランティアツアー(4月26日~27日)
 4月27日 泉玉露仮設住宅
       「寿限無」「狸賽」  海亭ぺんぎん
■陸前高田ボランティアツアー(5月4日~6日)
 5月5日 高田高校仮設住宅
       「猫の災難」「寿限無」  海亭ぺんぎん
 5月6日 大船渡中学校仮設住宅
       「動物園」  海亭ぺんぎんO0640048012431909221
仮設住宅での雰囲気は温かく気持ちよくさせていただきました。
当然のことですが、仮設住宅だからといって特別な感じですることはしていません。
落語は「してあげる」のではなく「しに行く」ということだと思います。
上から目線でおこなっても相手側は嬉しくないから・・・(もちろん他の出前でも同じです。)。
また機会があれば参加したいと思います。
PS
スタッフの方から聞いたのですが、足湯・手芸活動には毎回決まった人しか来ないそうですが、活動前に行う戸別訪問で落語の宣伝をした結果、今までに来たことのない人が聞きに来たとのことでした。
もしかしたらそれがきっかけで近隣の人との仲が良くなる可能性があるかもしれないと思いました。
落語の新たな力を再発見できたツアーでした。
(よく考えたらGWのほとんどがこのツアー・・。
基本的に暇なときに参加するようにしていますが・・・・。
どんだけ暇だったんだwww)ではまた。
とても大切なことがコメントされていました。
「してあげる」のではないということ。
震災直後に、タレントやアスリートの多くが「勇気や感動を与える」という、僭越で弁えのない表現をしたことに、とても違和感があったことを覚えていますが、勇気や感動は第三者が与え(られ)るものでは絶対にありません。
受けた本人が感じるものです。
「しに行く」・・・、そう、共有するということだと思います。
勿論、憐れむものでもありません。
海亭ぺんぎんさん、素晴らしい社会勉強をしましたね。
ところで、ぺんぎんさんという名前だけに、ネタに動物の噺が多い?

ちはやふる

「千早ぶる」は在原業平が詠んだ短歌、「千早ふる」は知ったかぶりが出て来る噺、そして「ちはやふる」は・・・・?
末次由紀さんという人の、小倉百人一首競技かるたを題材にした少女漫画なんだそうです。
小学校6年生の綾瀬千早は、福井からやってきた転校生・綿谷新から、小倉百人一首競技かるたの魅力を教えられ、衝撃を受ける。
しかし、そんな新を釘付けにしたのは千早のずば抜けた「才能」だった。
その後、千早の幼馴染である真島太一と共に3人で小学生最後のかるた大会優勝を目指し、ずっと一緒にかるたを続けることを、お互い誓いあう。
日本一のかるたクイーンを目指す千早達の、まぶしすぎるほど一途な思いが交差する青春ストーリー。・・・だそうで。
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ストーリーの軸である、かるたでつながる仲間と友情、少年マンガ顔負けの迫力ある試合の描写で、連載当初から各所で高い評価を得る。
2009年の「マンガ大賞2009」大賞、「このマンガがすごい!2010オンナ編」第1位、2011年第35回講談社漫画賞少女部門などを受賞。
レディースコミックながら、恋愛要素よりも競技カルタや家族、友情、仲間を重点的に描いている。
主要人物は美男美女ばかりではないが、それぞれとても個性的魅力的に描かれており、彼らとともに主人公がカルタを通じて成長していく様を追うのが物語のメインとなっている。
第六首(話)までが物語のプロローグ的小学生編(単行本では2巻の途中)で、第七首から高校生編となる。
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とにかく、漫画本・アニメ本は、ごちゃごちゃしていて、あまり読みたくありません。
しかし、何と言っても私は「千早亭永久」ですからねぇ・・・。

2014年5月 9日 (金)

虎ノ門−新橋−銀座

6時半近くなっても、まだ明るい季節です。
虎ノ門ヒルズの向こうに上弦の月が見えます。
今月は15日が満月です。
今日も、マッカーサー道路を歩いて新橋方面に向かいました。
虎ノ門−新橋−銀座
ひたすらまっすぐ歩いて行くと、新橋駅南側のガードの手前、第一京浜に面して、朱塗りの鳥居が見えて来ました。
「あれっ?こんな所に神社があったっけ?」と、鳥居の前に行くと「日比谷神社」と。
虎ノ門−新橋−銀座
日比谷神社の創建年代は不詳ですが、往古は日比谷に鎮座して日比谷稲荷明神・旅泊稲荷明神と称していたそうです。
慶長年間、江戸城日比谷御門御造営により、港区新橋へ遷座。
江戸時代には、鯖稲荷と呼ばれ、虫歯虫封じに崇敬されていたといいます。
平成21年に、環状2号線(マッカーサー道路)工事着工に伴い当地へ移転しました。Access_map
なるほど、そういうことですか・・・。
帰宅を急ぐサラリーマンの波の中で、一人だけボーッと立ち止まっていると、人々が怪訝そうな視線を向けるのが分かります。
ところで、このあたりは確か、古くは「露月町」と言っていたのではないでしょうか?
日比谷にあった老月村が移転し、その後に老月を露月としたと言われています。
そう、「浜野矩随」の矩随が住んでいた所です。
ここから、芝神明で骨董屋を営む若狭屋甚兵衛の所に通います。
近くには遠山金四郎の屋敷(遠山の金さん)があったそうです。
第一京浜沿いに北から露月町、柴井町、宇田川町、神明町、浜松町と続いていたんです。
虎ノ門−新橋−銀座
第一京浜を北上し、ゆりかもめの新橋駅の下を通り、ヤクルトホールの前を通ってまっすぐ行くと、いよいよ銀座です。
高速道路のガードの近くに博品館があります。
銀座通り(中央通り)をブラブラ歩いていると、和服の女性が急ぎ足で歩いていました。
虎ノ門−新橋−銀座
いかにも銀座という風情もしますが、振り向かないでと祈りました。
13996293673921_2銀座4丁目の交差点に着いたのが、ちょうど7時でした。
時々立ち寄る「鳩居堂」の閉店時刻です。
店内は相変わらず女性を中心に混雑していました。
外国人観光客も多くいました。
大きな声で話さないでくれるといいんですが・・・。
ここから銀座線に乗って上野に向かいました。
世の中は週末で解放感に溢れていますが、私は明日は出勤日なので、帰って寝ようと思います。
本日の歩数は、約14,000歩でした。

藤から菖蒲へ

いつもの日比谷公園。
藤から菖蒲へ
麗らかな陽光に、噴水の鶴も気持ちが良さそうです。
藤から菖蒲へ
池の周りの花も変わり、桜、チューリップから藤、そして菖蒲へ。
真冬が舞台の「鰍沢」の稽古は、さらにやりづらくなりました。

3Dプリンター

flair「どうしてプリンターで、殺傷能力のある拳銃が作れるの?」と、3Dプリンターで拳銃を作った男が逮捕されたというニュースを見て尋ねたところ・・・・、笑われました。
そもそも「3Dプリンター」というものを知りませんから。
「3Dプリンター」というのは、通常の紙に平面的に印刷するプリンターに対して、3DCAD、3DCGデータを元に立体(3次元のオブジェクト)を造形するデバイスなんですって。
F03887e38340e96d6172de4f4afcd632オブジェクトって言うのは、「物体」ということ?
デバイスって言うのは、「装置」とか「ハード」ということ?
こんな解説がありました。
何がスゴイのかというと、これまで多額の費用のかかる金型や大型装置ナシではできなかったモノの製造を、小型の3Dプリンター1つで実現できること。
これがあれば、資金力に乏しい中小企業や個人でもほしい形状のモノが手軽につくれるようになる。
しかも、コンピュータのデータを変えるだけで、いくつものパターンで製造することが可能なのだ。
たとえば、これまで外注していた試作品づくりも、金型ナシで精巧なモノをつくることができる3Dプリンターを導入すれば、自社製造が可能。
製作時間もコストも大幅に縮小できるはずだ。
この3Dプリンターは、スポーツカーのように大きなモノからネジのように小さなモノまで、さまざまなモノづくりに利用できる。図面さえあれば、拳銃などの武器も製造できてしまう。すでに「3Dプリンター制拳銃」を組み立てられる無料ファイルがネット上で公開され、日本からのダウンロード数が6万件にも上っているという。言うまでもなく、日本で製造すれば犯罪になるのだが…。
モノづくり革命が期待される一方、低価格の普及版(家庭用機種)も発売されるようになり、こうした危険物が自宅で製造できてしまうという問題も出てきた。
ただし「何でも作れる」というのは大げさで、現状では材質が限られるため強度の問題があり、すべて実用になるとは限らない。

深刻な肥満・・・・

shadow某国のトップは、私と同じ1月8日が誕生日です。
だからと言って、特別親しみを感じている訳ではありませんが、報道によると、深刻な肥満状態となり、元々100キロ前後だった体重が、今年に入り120キロにまで増加したと報じられています。
Imagepreview30業務に伴うストレスのほか、最側近の処刑などによる心理的な不安から暴飲暴食をしているらしいのです。
肥満に伴い、まだ30歳だというのに、心臓疾患や脳梗塞などが疑われる症状が出ていて、週2回、治療を受けているとのこと。
一方の私は、医者の指示を忠実に守り、ダイエットに励んだおかげで、この1ヶ月で約4~5キロの減量が出来ました。
1ヶ月ぶりに会う人には、こちらから何も言わなくても、「痩せたねぇ」と言われるようになりました。
とにかく、健康のためなら命を捨てても頑張ろうと思います。
痩せても枯れても(痩せたいのですが)、某若手噺家さんのように「趣味がダイエット、特技がリバウンド」と言われないようにしないといけませんね・・・。

万両

知人から、先日桂文珍師匠の独演会に行って「万両」と言う噺を聴いたと聞きました。
私は、「小間物屋政談」を別名「万両婿」と呼ぶのでと・・・。
Yjimage_3知人が、確かに「万両」で検索すると「万両婿」が出て来るが、全く違う噺だと言います。
そこで、「上方落語、万両」で検索してみました。
上方落語で「お文さん」という。
「万両」という別名もある。
本願寺八世蓮如上人は、本願寺中興の祖と仰がれる業績を残したが、遺業の中で最も有名なものの一つに文書伝道がある。
蓮如の真宗興隆への方法はいろいろあったが、文書による教化法は最大の効果を発揮した。
蓮如が道俗のために認めた法義上の消息を孫の円如はよく集めた。
これを浄土真宗本願寺派(西本願寺派)では「御文章」と呼び、真宗大谷派(東本願寺派)では「御文(おふみ)」という。そのほかに「宝章」とか「勧章」とか「五帖消息」とかいう異称もある。
一応まとめられたものには五帖を通じて八十通あるが、実際にはまだまだ多くの文を蓮如は書いた。
真宗の門徒(本願寺派)の間では、これを朝夕の勤行に一通づつ読誦する習慣がある。

・・・って、何のことか分かりません。
「お文さん」と言う噺を、「千字寄席」で調べました。
日本橋辺の酒屋のだんな、愛人のいることがおかみさんにばれ、今後、決して女の家には近寄らないと誓わされた。
ある日、赤ん坊を懐に抱いた男が、店に酒を買いにくる。
ついでに祝い物を届けたいから、先方に誰か一緒について来てほしいと言うので、店では小僧の定吉をお供につけた。
ある路地裏まで来ると、男は定吉に、
少し用事ができたから、しばらく赤ん坊を預かってほしいと頼み、小遣いに二十銭くれたので、子供好きの定吉は大喜び。
懸命にあやしながら待っていたが、待てど暮らせど男は現れない。
定吉が困ってベソになったところへ、番頭がなぜかおあつらえ向きに路地裏へ現れて、
定吉と赤ん坊を店に連れて帰る。
さては捨て子だというので、店では大騒ぎ。
案の定、男が買った樽に、「どうか育ててほしい」という置き手紙がはさんであった。
おかみさんは、もう子供はできないだろうと諦めかけていた折なのですっかり喜び、家の子にすると言って聞かない。
だんなも承知し、育てるからには乳母を置かなくてはならないと、早速、蔵前の桂庵(就職斡旋所)まで出かけて行った。
ところが、だんなが足を向けたのは、何と切れたはずの例の女の家。
所は柳橋同朋町。
実は、これはだんなの大掛かりな狂言で、愛人のおふみに子供ができてしまったので始末に困り、おふみの伯父さんを使って捨て子に見せ掛け、おかみさんをだまして合法的に(?)赤ん坊を家に入れてしまおうという魂胆。
その上、おふみを乳母に化けさせて住み込ませよう、という図々しさ。
もちろん、番頭もグル。
こうして、うまうまと母子とも家に引き取ってしまう。
奥方はすっかりだまされ、毎日赤ん坊に夢中。
そのせいか、日ごろの焼き餅焼きも忘れて「乳母」のおふみまで気に入ってしまう。
一方、だんなはその間、最後の工作。
問題は定吉で、これも、ふだん、だんなに買収され、愛人工作にかかわっていたため、
妾宅にも出入りし、もちろんおふみの顔を知っている。
で、魚心あれば水心。
口をつぐめば小遣いをやると、約束して、これもOK。
だが、定吉はふだんからおふみに慣れているから、ついおふみを様付けで呼んでしまうので、危険極まりない。
「いいか、乳母に様なんぞつける奴はねえ。うっかり口をすべらして様付けなんぞしてみろ、ハダカで追いだすからそう思え」
数日は無事に過ぎたが、ある日、おかみさんがひょうと気づくと、だんながいない。
「ちょいと、定吉や。だんなはどこにおいでだね」
「ちょいとその、おふみさ、もとい、おふみを土蔵によんでいらっしゃいます」
昼日中から乳母と二人で土蔵とは怪しいと、おかみさん、忘れていた嫉妬が急によみがえり、鬼のような形相(ぎょうそう)で土蔵へ駆け込む。
ガラリと戸を開けると、早くも気配を察しただんな、「我先や人や先、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、今日とも知らず明日とも知らず、遅れ先立つ人は本の雫」
おかみさんは面食らって
「ちょいと定吉、どういうことだい。おふみじゃないじゃあないか。だんなさまが読んでいるのは、一向宗のお文(ふみ)様だよ」
「でも、様をつけると、ハダカで追いだされます」・・・。
・・・なるほど。
シチュエーションは「権助魚」、発想は「山﨑屋」というところでしょうか。

新しい橋

rvcar「隅田川」「マッカーサー道路」「オリンピック」の三題噺?20140311194255
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの選手村と都心を結ぶ「環状2号線」の建設工事で、隅田川にまた一つ橋がかかったそうです。Image4
地図の赤い線の部分です。
これが、新橋駅を越えるとマッカーサー道路ということになります。
T02200165_0800060012934188044長さ120メートル、重さ2600トンの鉄製橋げたが、大型クレーン船で一気に設置されました。凄い力ですね。
よく引っくり返らないものだと感心してしまいます。

2014年5月 8日 (木)

やきとん

beer会社の若手同僚と行く、新橋グルメ散歩。
やきとん
久しぶりです。
13995465280791いつものように、行き当たりばったりで偶然入ったのが、「やきとんユカちゃん」という店。
あまり混んでいなかったし、ユカちゃんとやきとんのミスマッチも面白かったので。
中で店を仕切っている、若い女性の名前がユカちゃんだそうで。
でも、なかなか美味しいし、雰囲気も悪くないし、値段も手頃だし、リピーターになりそうです。
炭水化物・糖質は駄目でも、肉・魚・脂はOKな私ですから、やきとんや焼き鳥、ステーキだってバッチリですから、この手の店はウェルカムですね。。

会費支払い

私は、学士会の会員になっています。
13994499722061_2気になっていました。
というのは、昨年は、会報に同封されている会費の納付書(振込票)に気づかず、後で督促を受けてしまいました。
会員でなくなると、自動的に学士会落語会の会員資格もなくなってしまいます。
今年は、メルマガでも案内がありましたので忘れることなく、会報に同封されていた振込票で会費を納めました。
それにしても、コンビニは便利ですね。
振込票も兼ねていますが、コンビニの方がずっと早くていいです。
銀行の窓口に行ったら、大仰だし、やたらと時間もかかるし、色々余計なことも聴かれるし・・・。
銀行の決済機能も、だんだん揺らいで来ましたね。250pxgakushikaikan_1
ところで、学士会の年会費は4,000円です。
55歳を超えると、50,000円で終身会員になれるそうです。
年会費の12.5年分です。
仮にすぐに終身会員になれば、68歳で元(?)が取れる・・・。
それぐらいまでは生きられるでしょうが、なかなか・・・。
学士会というのは、旧帝国大学系大学の出身者等を主な会員とする、大学の枠を超えた同窓会組織です。

マッカーサー道路

昨夜帰りと、今朝の出勤時に「マッカーサー道路」を歩きました。
東京都の東京都市計画道路幹線街路環状第2号線の異名で、このうち、戦後約60年間に渡って工事着工が凍結されていたものの、2003年(平成15年)に事業化され、今年の3月29日に開通したばかりの、虎ノ門から新橋に至る全長 1.4kmの区間です。Hmap2320x320
日本の敗戦後、占領軍(アメリカ軍)が、赤坂にある駐日アメリカ合衆国大使館から竹芝桟橋に至る幅100mの大道路を計画しているとの誤解がなされ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの名前から「(幻の)マッカーサー道路」としばしば俗称されてきたのですが、どうやらこれは歴史的な事実に照らして全くの誤解だったようです。
マッカーサー道路
そんなことはともかく、都心にこんなに広大な道路が現れたのが不思議に思います。
朝晩のウオーキングコースとしてはちょうど良いかもしれません。
開通した区間は、霞が関の官庁街にほど近く、地上52階の虎ノ門ヒルズが新しいランドマークとなっています。
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開通したトンネルは「築地虎ノ門トンネル」というのが正式名称で、1年後には地上部分も「新虎通り」の愛称で整備されることになっています。
そして、車道両側にそれぞれ幅約13メートルの広い歩道が整備され、オープンカフェなどが立ち並ぶ予定だそうです。
2020年の東京五輪では競技場が集まる湾岸地区と、メーンスタジアムの新国立競技場を結ぶ「オリンピック道路」としての用途も期待されるとのこと。
マッカーサー道路
今朝は、日比谷で下車をして、日比谷公園には入らず、日比谷通りを南に歩き、内幸町・西新橋の交差点を過ぎると、真新しい道が日比谷通りと交わります。
まだ交通量は多くありませんが、そのうち賑やかになるでしょう。
このあたりは、忠臣蔵(赤穂事件)に縁のある場所も多くあり、芝公園から高輪・品川まで、徘徊の有力候補です。
実は、連休の最終日は、このコースにしようかとも思いました。

師匠から

pc師匠からメールをいただきました。
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今度の稽古日に、師匠の落語しぐさ(扇子と手拭いを使った部分)の撮影をさせてもらいたいという依頼でした。
何でも、留学生のための、落語を通しての日本語授業の教材にするというのが目的だそうで・・・。
勿論、二つ返事で「是非」。
我々も見学出来れば、とても参考になるはずですから。
次の稽古が楽しみになりました。

センターライン?

虎ノ門ヒルズのオープンを間近に控えて、周辺エリアでも色々動きがあります。

写真は、虎ノ門ヒルズから虎ノ門駅に向かう道路です。
交差点の中の「+」の位置がおかしいと思いませんか?
本来ならば、道幅の中央部分になくてはいけませんが、右側に片寄っています。
な~んでか。
それはね、右側の歩道を拡幅して、車道が狭くなったからです。
尤も、この道路は一方通行ですから、対向車同士がぶつかる心配はありません。
Ph_top
この道路、虎ノ門ヒルズと虎ノ門駅を結ぶ最短距離の道ですから、朝・昼・晩と大混雑するのではと、勝手に心配しています。
虎ノ門駅の階段や通路やホーム、ついでに電車も狭いですし・・・。
Bsd1312100502008n1新駅構想もあり?

猫定

cat「猫塚」由来の噺と言われている噺です。
八丁堀玉子屋新道   の魚屋定吉は本業が博打打ち。
朝湯の帰り三河屋で酒を飲んでいたが、悪さをして困るという黒猫を殺されるところをもらって帰る。猫と一人話をしながら丁半博打を話して聞かせる。
「壺の中が分かるなら教えてみな」と試すと、「にゃご」と一回鳴くと”半”、「にゃご、にゃご」と二回鳴くと”長”、の目が出ている。
猫も恩を感じて教えてくれるのだと思い、賭場に行くときはいつも   黒猫”クマ”を懐に入れて行く。当然いつも勝つ様になって、羽振りも良くなり回りも兄ぃとか親分と呼ぶ様になったが、あだ名を猫好きの定吉で「猫定」と呼ぶ様になった。

ある時江戸をふた月ばかり離
れなくてはいけなくなり、女房に猫を託して旅に出る。
”旅の留守家にもゴマの灰が付き”で、若い男を連れ込んで女房”お滝”は楽しんでいた。旅から戻った定吉はある日、愛宕下の藪加藤へ猫を連れて遊びに出かける。
留守宅では女房が男を引き入れ、亭主を殺して一緒になろうとそそのかす。
その晩は猫が鳴かないので早めに切り上げ、雨の中愛宕下から新橋に抜けて近道をしようと真っ暗な采女が原を抜けるとき、小用を足していたら、後ろから竹槍で有無を言わさず刺され、鯵切り包丁でとどめを刺され殺されてしまう。
その時胸元から黒いものが飛び出した。雨は激しさを増してきた。

留守宅で女房は事のいきさつを心配していたが、引き窓が開いて黒いものが落ちてきた。「ぎゃ~」と悲鳴を上げた。
その声を聞いた長屋の者が台所で死んでいる女房を発見。
朝には定吉の死を知らされる。
采女が原に見に行くと隣に間男が首を食いちぎられ死んでいた。
定吉の死骸を引き取って、女房と二人のお通夜をする。
長屋の連中が居眠りを始めると、棺の蓋が開いて、二人の死骸がすさまじい形相で立ち上がった。
恐れをなしてみんな逃げ出したが、按摩の三味の市だけは見えないので平然と線香を上げている。
そこに長屋住まいの浪人が帰ってきて、事の様子をうかがい棺の向こうの壁を刀で突くと「ぎゃ~」。
隣の空き部屋を覗くと黒猫が息絶えていた。
手には間男の喉元を持っていたので、主人のあだを討った忠義な猫だと評判になった。御上から25両の褒美が出て、両国回向院に猫塚を建てた。
猫塚の由来という一席。
・・・・やや陰惨な噺ではありますが。
「愛宕下の藪加藤」と言うのが出て来ますが、現在の愛宕下通りに面したあたりに、近江水口二万五千石、加藤越中守の上屋敷があり、その北側に「藪小路」という通りがあったので藪加藤と呼ばれ、その中間部屋で賭場が立っていたそうです。
まさに、虎ノ門ヒルズの近くだと思います。
これは、安藤広重「愛宕下藪小路」という絵です。
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赤い門は愛宕神社の門(あるいは真福寺の山門)、竹は加藤越中守上屋敷の北東の角にある竹やぶの竹だと思います。
Cameraroll1301995530_993131thumbnai現在の愛宕下通りの同じ場所?
前方の歩道橋の向こうが虎ノ門ヒルズ、その先が愛宕神社です。E6849be5ae95e4b88be897aae5b08fe8b7a
当時の地図で見ると、真ん中やや左下に愛宕山が見えます。
その前の南北に走る道、その道沿いに流れる川が桜川。
桜川を愛宕山から北上すると、ちょうど紙が折れたようになっている所が加藤越中守上屋敷のようです。
この北東の角から、愛宕山方面を眺めた絵だということです。
「藪小路」は、加藤家屋敷の北端を東西に走る道のようです。
・・・地元なんですね。

2014年5月 7日 (水)

歌丸師匠また・・・

桂歌丸師匠が、また横浜市内の病院に入院し、15日までの寄席の出演を取りやめることになったそうです。
腰から左足に掛けて帯状疱疹が発症。
新宿末廣亭で高座を務めましたが、昨日は痛みが引かず、国立演芸場と新宿末廣亭の出演を見送ったということです。
体力が落ちているところに無理をしたといい、医師から再入院をすすめられたそうですが、もう無理をしないで、ゆったり高座を勤めさせてあげて欲しいです。
痛々しくて・・・。

災害に備えて

sign04連休中に大きな地震があって驚きましたが、全国の公的な施設でも、大地震等に備えて様々な動きがあるようです。
まず、富山県氷見市では、45年前に建てられた市庁舎が、震度6強クラスの地震で倒壊する危険が指摘されたため、廃校になった高校の体育館や校舎に移転したそうです。
また、全国の警察署の中で庁舎が最も古い京都市南警察署では、大地震で57年前に建てられた建物が使えなくなった場合に備え、機能を世界遺産の東寺に移転する訓練が行われたそうです。
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要するに、大地震で建物が使えなくなったと東寺(同時)に、世界遺産の東寺の境内に機能を移転するということなのだそうです。
コンクリートの建物は、堅牢とは言っても、築後45年や57年も経てば、倒壊する危険性が大きくなるんですね。
それに比べて、世界遺産はさすがですね。
尤も、建物を使用する訳ではないでしょうが・・・。
新幹線からも見えましたよね。あのお寺ですよね。東寺って。F0140720_2381173
東寺は、8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2寺院の建立が計画されたのが始まりのようです。
これらの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であったと。
南北朝時代に成立した、東寺の記録書「東宝記」によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したということになっています。
平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えます。
中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、現在も京都の代表的な名所です。
昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
当時(東寺)の嵯峨天皇も、大震災の時に警察署の機能を移転させるなんて、思いもよらなかったでしょう。
しかし、災害に備えるなら、東寺よりも西寺の方が相応しかったのかもしれません。
「災時(西寺)」と言うくらいですから・・・。sweat01

徘徊して思うこと

art暇にまかせて徘徊して、色々な場所を訪れますが、最近は、国民性の違う外国人が増えたことも一因だとも思いますが、行く先々でマナーの悪い人や空気の読めない人が多いのに辟易します。
中でも一番腹が立つのは、幼児を連れて美術館や図書館や書店を訪れる人々です。
大きな声を出して走り回る子どもを"放牧"状態にしている親、静寂を破って遠くから「○○!」とキラキラネームを呼ぶ親・・・。
ほかにも、大きな声で知ったかぶり(あるいは無知)な会話をしたり嬌声を上げるオバタリアン(古い)や、鑑賞の列の流れを遮るようにジッとして動かないオタクのような暗い人・・・。
とにかく、子ども連れは、第一、子どもが興味を示すはずもない施設や展覧会や講演会に連れて来ること自体が疑問だと思います。
また、訳も分からずに連れられて来る子どもたちもかわいそうです。
確かに、親にすればどうしても鑑賞したいものがあるのでしょうが、そこは周囲に気を遣ってもらいたいものです。
こういうものは、ルールというのではなく、マナー・常識・品性・品格の領域だと思いますが、親たち自身が、そもそもそういう教育を受けていない輩も多いようですから、本人たちだけを責める訳にもいかないかもしれません。

昨日、吉良邸跡の本所松坂公園に行きましたが、30坪ほどの仕切られた中に入ると、4~5歳と思しき女児が、大声を出しながら歩き回っていました。

公園の中には、吉良上野介に関わる案内をする人の説明を聞く人、掲示された説明文を読んだり、カメラを構えたり、祀ってある稲荷に手を合わせる人が数人いましたが、女児はお構いなし。

さすがに、腹が立ったので、母親らしき女性に眼を合わせた瞬間に「静かにさせて!」と、ややきつい口調で言いました。
この母親とて、この中を見物しているという感じではなく、子どもが入りたいと言ったから、連れて入っただけのようでしたから。
さすがに「まずい」と思ったのでしょう、慌てて子どもを連れて外に出ようとしましたが、私に対して、了解あるいは詫びの言葉は一切ありませんでした。
きっとこのお嬢ちゃんも、大きくなったら、何の疑問も持たず、自然にこの母親のようになってしまうのでしょう。
寄席や落語会で、「未就学児童の入場はお断り」としているケースがありますが、私はそれで良いと思います。

お江戸あおば亭のめくり

penいつもめくりを書いてくださっている「H先生」からメールをいただきました。
Photo5月24日は「お江戸あおば亭」ですね。
第何回になりますか?
めくりの表書きが必要なら遠慮なく言ってください。

ありがとうございます。
実は、すっかり忘れていました。
早速、「第7回です」と言うことで、ご無理をお願いすることになりました。

ちょっと稽古をサボってしまいましたが、考えてみると、あと2週間あまりで本番なんです。
実は、連休に入った時に、OB会のMLで、独り言を言っていました。
「お江戸あおは亭は3週間後ですが、何か・・・準備など忘れていることがあるような・・・。
何とも、アイドルな感じが気になる今日この頃です。」
・・やはりもう一度チェックしておかないといけません。

2014年5月 6日 (火)

これにて千穐楽ぅ~

さすがに相撲の街、通りに土俵入りをする横綱の像。

しかも、雲竜型と不知火型の両方の像が。

4連休続けたダイエットウオーキングも、このブログ一文にて、打ち止めぇぇ。
これにて千穐楽にございまするぅ・・。
今日の徘徊は、約14,000歩でした。
4日間通算で、約73,000歩になりました。

相撲部屋

吉良邸跡を後にして、両国駅に向かう途中。

この辺りに数多くある相撲部屋の前を通りました。
時津風部屋です。

双葉山相撲道場という額が架かっていました。
元大関豊山関(元時津風親方)なんて好きでしたね。

来週から、いよいよ本場所が始まります。
新横綱も誕生し、遠藤もちょんまげが結えるようになったようで。

本所松坂吉良邸跡

元禄赤穂事件で有名な吉良義央の邸宅があったところで、赤穂浪士によって討ち入りを決行された現場であることで有名です。

一般にある児童公園の類と違い、遊具などありません。

約98平方メートル(29.5坪)の敷地に稲荷社や井戸、桜の木などがある程度で、むしろ記念広場に近いものです。

以前来た時よりも、さらに整備されて来た感じがします。

元禄時代の当時は付近の一帯が吉良義央の邸宅であり、その広さは約8400平方メートル(2550坪)と推算されていますから、その広さをうかがうことができます。

邸宅は、赤穂浪士による討ち入りの後は江戸幕府に没収され、その後住宅などが立ち並び、往時の吉良邸を偲ばせるものはなにもなくなってしまいましたが、昭和9年(1934年)地元の有志が旧邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入して東京市に寄贈し、翌年に公園として開かれたのが始まりだそうです。

街角に、こんな道標がありました。
もしかすると、ここでは吉良上野介は、良いお殿様だったのかもしれません。
・・・今日の徘徊はこんなところでしょうか・・。

回向院

ここにも何度か来ています。

諸宗山無縁寺回向院・・・。

今からおよそ340年前の明暦3年(1657)振り袖火事で江戸の市街の6割以上が焦土と化し、十万人以上の焼死者を出しました。
身よりのない大半の人々の亡骸を集めて供養したのがこの寺の始まりです。
正式名称を「諸宗山無縁寺回向院」と言います。

その後、火災、風水災、震災等で横死した無縁仏を葬る習わしが生まれ、日本一の無縁寺へと発展しました。

境内には様々な動物の慰霊碑、供養塔があります。
文化13年(1816)一番古い「猫塚」から始まり、「唐犬八之塚」、「膃肭臍(オットセイ)供養塔」、義大夫協会の「犬猫供養塔」、同じく邦楽器商組合からも同名の供養塔が建てられています。
これは太鼓、三味線などの皮を使うためでしょう。

寺の言い伝えによると、「文化年間、日本橋に住んでいた時田半治郎が貧乏で困っている時に、飼い猫が小判をくわえて来た。
以来、時田家の家運は隆盛に向かい、これを徳とした時田家の者が猫の死後に建てたのがこの猫塚」
、と言われ  、落語の舞台と異なっています。

鼠小僧次郎吉の墓の右側に小さい三つの墓(塚)が縦に並んでいます。
石の表面に彫られた文字がはげ落ちて判読は出来ず、どこにも猫塚の表記はありませんが、これが猫塚です。
過去には「価善畜子」と彫られていたという。
塚の台座に「木?由之助」とだけ読めます。

やはり一番有名なのは、鼠小僧次郎吉の墓でしょう。

未だに、お参りをする人が絶えないようです。

また、江戸勧進相撲が境内で開かれ、明治43年国技館が出来るまで、興行の中心地であったため、相撲協会が建てた「力塚」があります。

両国橋河岸

両国橋の西詰から大川を眺めます。

下流は、首都高速から、さらに新大橋方面です。

浜町河岸通りから、両国橋を望む先に東京スカイツリー。

大川を渡った東詰には、大きな石碑が建っています。

山くじら「もゝんじや」は、相変わらずの看板です。

さぁ、昔の下総の国です。

とりあえず、あそこに行きましょう。

薬研堀不動尊

東日本橋の案内地図板に、「やげん堀縁日講談の会」というチラシが貼ってありましたので。

川崎大師の東京別院・薬研堀不動院は、古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られ、「江戸名所図会」をはじめ多くの文献に紹介されています。

正式には、大本山川崎大師平間寺東京別院薬研堀不動院といいます。
本尊の不動明王童子像は、都指定文化財です。

天正13年に紀州根来寺が兵火に遭った際東国に下り、隅田川畔のこの地に堂宇を建立したのが始まりと伝えられます。
その後、明治25年(1892)に川崎大師の別院となって現在に至っています。

それにしても急な石段で、建物の幅も狭い”ペンシル寺”でした。
無計画に歩いて来ましたが、色々なものに出会えるものです。
それでは、両国橋を渡って、向こう両国に足を伸ばしますか・・。

柳橋

両国広小路からちょっと左に入ると、緑色の堅牢な橋が見えます。

これこそが、かの柳橋です。

柳橋は1630年の江戸時代に徳川幕府が設置した米蔵「浅草御蔵」として指定されており、現在の柳橋二丁目には三河岡崎藩邸や信濃上田藩邸などの武家屋敷が置かれており官有地となっていたそうです。

そして、柳橋一丁目は浅草旅籠町などが中心に江戸前の料亭が軒を連ね、特に柳橋芸妓で知られたのは、良く知られています。

柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁。

その起源は江戸中期、当事は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往来していたものの不便な為、元禄10年(1697年)に架橋を願い出て許可され翌11年に完成。

明治20年(1887年)に鋼鉄橋になり、その後の関東大震災にて焼失したため、震災復興事業として昭和4年(1929年)に現在の橋が完成。
永代橋のデザインを取り入れたといわれています。

江戸時代は、隅田川の船遊び客の船宿が多く、花街として新橋と共に東京を代表する場所になりました。

柳橋芸者は遊女と違い、唄や踊りで立つ事を誇りとし、プライドが高かったと言われています。

こんな船宿がたくさんあり、花街としても賑やかだったことでしょう。

それにしても、柳橋という言葉のイメージと実際の橋とのギャップがすごいですね。

思いつきで、とりあえず柳橋まで来ました。
おっと、両国広小路の南側に立ち寄る場所がありました。

両国広小路

とうとう、大川河岸に着きました。
両国橋の西詰、両国広小路。
江戸の三大広小路のひとつなんだそうです。
あとの2つは、上野(下谷)広小路と浅草広小路だそうです。

大相撲のメッカ「両国国技館」、江戸と東京の都市史展示を中心とした江戸東京博物館。両国は江戸のイメージに近いところにありようです。かつて両国は江戸最大の盛り場でした。
Hirokouji
本来、両国というは、隅田川西側の武蔵国側の名称で、元禄時代(1688年)からの本所深川開発以降、現在の両国である旧下総国側(墨田区側)を東両国(向う両国とも)と呼ぶようになりました。
Ikuyomoti「幾代餅」もここで繁盛しました。
今は、何の変哲もない、確かにかなり広い交差点です。

日本橋から2キロの距離です。

両国橋は、今より少し下流に架かっていたんですね。
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両国橋の西詰からも、東京スカイツリーが見えます。


・・・橋を渡る前に、ちょっと行く所があります。

浅草橋へ

柳原通りの柳の並木。

浅草橋までやって来ました。
神田川が大川に合流するまで、あともう少しです。

屋形船や船宿も多くなって来て、いよいよ雰囲気満点です。

交差点の案内板に、講釈の会のチラシが貼ってありましたが、いいのかなぁぁ。
神田では早い者勝ちと言うことか・・・。
何と言っても「神田勝利(松鯉)」と名乗っていますから・・・。

神田川に沿って、さらに進みます。

岩本町のお玉ヶ池

柳原通りを東へ歩いて行くと、昭和通りを横断します。

岩本町の交差点です。

この辺りは、あまり来たことはありませんが、岩本町や馬喰町は、昔からの繊維街です。
今日は休日でしたから、人もまばらでしたが、普段は賑やかになのでしょう。
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何気なく通り過ぎようとすると、「お玉ヶ池」と言う文字に目が止まりました。
そうだ、「佃祭」の小間物屋の甚兵衛さんが住んでいたのが神田お玉ヶ池でしたよ。
伝承によると、江戸期にあった池の近隣の茶屋にいた看板娘の名前「お玉」からとされるそうなんです。
「江戸名所図会」によると、あるとき「人がらも品形(しなかたち)もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じ、亡骸(なきがら)は池の畔(ほとり)に葬られたと・・。
そして、人々が彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていたこの池をお玉ヶ池と呼ぶようになり、またお玉稲荷を建立して彼女の霊を慰めたそうです。

お玉稲荷は、路地を少し入ったところに、こじんまりとありました。

ところで、この池。
江戸期の古地図では景勝地として現在の不忍池程度の面積を有していたらしいのですが、江戸後期頃から徐々に、神田山(駿河台)を削って埋め立てて宅地化され、弘化2年(1845年)の時点では池自体も存在していないそうです。
弘化2年と言うと・・、あの三遊亭圓朝が、小圓太の名前でデビューした年ですよ、確か・・・。
また、このあたりは、 北辰一刀流の道場「玄武館」があった場所として有名で、千葉周作は「お玉ヶ池の先生」と呼ばれたそうです。
この界隈には、儒者、漢学者などが多数住んでおり、江戸の学問の中心地でもあったのです。
佐久間象山の象山書院、東条一堂の瑶池堂など・・・。

柳森神社

万世橋から柳原通りに入ってすぐ左に、柳森神社があります。

室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社なんだそうです。
ここにも、道灌公が出て来るんですね。
七重八重・・・だけじゃないんですね。
 
万治2年(1659年)に神田川堀割の際に現在地に移り、柳の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。
境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。

境内の13個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています。

そんなに有名ではないかもしれませんが、なかなか・・・。

万世橋から柳原通り

「車屋さん、万世から上野まで、急いでやってくんな」って、「反対車」で出て来ますよね。

でも、それに乗ったら、上野に戻ってしまいます・・・。
そうだ!
今朝、柳原で三両入れた財布を落としてしまったんだ。
悔しいけれども、焼いた塩鰯を肴に厄落としで飲んでいたら、拾って届けてくれたお節介がいたんだ。
「三方一両損」で、大工吉五郎と左官金太郎の喧嘩を、大岡越前守が見事に裁いてくれた。

今は、やや寂れた雰囲気ですが、神田川沿いに下って行けば、柳橋で大川に合流する。
数年前のウォーキングイベントで、柳橋から神田川沿いに、水源の井の頭公園まで歩いたことがありましたよ。
今日は、そんなに距離は歩きませんが、吉五郎の了見で歩いてみましょうか・・・。

神田須田町

地下鉄神田駅の地上に出ると、須田町の交差点です。

地下鉄出口のすぐ前に、こんな看板が立っています。

かつては市電の一大ターミナルであり、万世橋駅(1912年-1943年)との乗換え地点として繁華な場所だったそうです。
第二次世界大戦直後には、在日アメリカ合衆国軍から流れた真空管を始めとする電気部品を販売する露天商が軒を連ねており、現在の秋葉原のルーツとでもいえます。

そして、この交差点には、「千両みかん」に出て来る「万惣」があった場所です。
写真左端の解体工事中のビルこそが、万惣なんです。
この噺で、みかん1個を千両で売った問屋を柳家では「万惣」としています。
林家彦六師匠は「万屋惣右衛門」としていました。
創業150余年、老舗の高級果物店で、この須田町交差点角に8階建てのビルが建っていたのですが・・・。
残念ながら廃業してしまいました。

ビルの前には、かわいい「華ごろも」という像が建っています。
・・・で、これからどうしましょうか?

突然下車

どこに行こうか決まらないまま、上野で銀座線に乗り換えました。
最後尾の車両に座って、暫くボーっとしていました。

ふと気がつくと、「神田ぁ、神田ぁ~」。
何も考えずに立ち上がって下車しました。
そうだっ!神田だ!江戸っ子だ。
今日は、それて行こうということにしました。
神田駅の北側改札を出て、古い、天井の低い通路を通って地上に上がります。

ダイエットウオーキング

どこの世界に、貴重なGWの全日を独りぼっちで徘徊する愚者がいるでしょうか?
ダイエットウオーキング
こうなると意地みたいなものも手伝って、今日も今日とて、とりあえず家を飛び出しました。
飛び出したと言っても、家出をした訳ではありません。
市役所の風見鶏は、昨日と反対側を向いています。
連休初日は…、あれっ?何処へ行ったんだっけ?
これじゃ、本当に徘徊になってしまいます(;_;)
そうそう、思い出しました。
初日は花を求めて亀戸天神から根津神社まで、四つの神社にお参りをしました。
二日目は、途中道草をしながら、青梅街道を堀之内のお祖師様へお参り。
昨日は、吉原・向島・浅草という、落語のメインストリートを徘徊した一日でした。
・・そして今日は、電車に乗りましたが、まだ決まっていません。
寒いしなぁ、明日は仕事で、気持ちはブルーになりつつあるし。

2014年5月 5日 (月)

浅草から帰途

shoe連休も明日1日を残すのみ。
仲見世の方へ行くのは混んでいやですから、奥山方面から、つくばエキスプレスで帰ろうと思います。

木馬亭は、浪曲と大衆演劇の小屋ですが、賑やかに興行を行っているようです。

六区通りに出ると、浅草演芸ホールの前は、かなりの人だかりです。

田原町からずっと観音様の周りを一周して来たことになります。
帰りのつくばエキスプレスは・・・、ガラガラでした。

19,000歩の徘徊でした・・・。

再び浅草へ

見番通りから交わる言問通りに右折して、再び浅草へ。

大川では、水難救助の訓練でもしているのでしよう。
元気な掛け声が聞こえます。

言問橋を渡り切って振り返ると、東京スカイツリー。
見返り柳ならず、見返りツリー・・?

花川戸から、東参道を入って、二天門から浅草寺へ向かいます。

人力車の客待ちスポットのひとつなんでしょう。

二天門も立派な建物です。

入ってすぐ右手が浅草神社です。

とにかく外国人観光客が多い・・・。
でもしっかり参拝しましたよ。

境内では、猿回しの芸が終わった後でしょう、観客がざるにお金を入れて、散って行くところでした。
浅草寺は・・・もう、大混雑。

ちょっと暗いですが、観音堂・五重塔・東京スカイツリーに躑躅と鯉のぼり、なかなか良いアングルだと思います。

三囲神社の境内

三囲神社の境内は、色々な動物がいます。

極め付きは、閉店した三越池袋店にあったライオンでしょう。
三井家と縁のある神社ですから。

ところで、菊田一夫「水神」という噺。
昔、三囲(みめぐり)神社の縁日の晩、三十格好の男が2ヶ月ぐらいの乳飲み児を抱いて、おろおろとしていた。
空腹とみえて、激しく泣き続ける児をあやしきれずにいた。
黒っぽい着物姿で、露天商いをしている二十五・六の人格の良い美しい娘が、みかねて声を掛けてきた。
娘のお乳を含ませると、がつがつと飲んで安心したように眠りこけてしまった。
女房は私の働きが悪いので、この子を置いて何処かに行ってしまった。
お乳をほしがるので心当たりを探していたので、お礼にお名前を教えて欲しいと言うと、「こう」だと言う。
「お幸さん、ですか。良い名前ですね。一生涯忘れません。私は屋根職人の”杢蔵”(もくぞう)と言います」。
これからもお乳が必要でしょうからと、女は店をたたみ、児を抱いて、男を「水神の森」にある我が家へと案内した。これが縁で女と男は一緒に住むことになった。
お幸はを連れて縁日に出かけて商いをし、家ではかいがいしく杢蔵の世話をした。
杢蔵は家族の幸せを感じ、生まれ変わったように屋根職人として真面目に働いた。
知らず知らずの内に小金も貯まって、幸せな日々が4年間続いた。
5年目のある早朝のこと、杢蔵が目を覚ますと、お幸がまだ寝床で眠ったままでいた。
初めて見るお幸の寝姿であった。布団を掛け直してあげようと、その姿を見て驚いた。
お幸は、顔は人間だが、体はカラスだった。
杢蔵は化け物を蹴飛ばそうとしたが、これまで世話してもらった恩を考えるとそんな事は出来なかった。
気を取り直し、見なかったことにして、布団を掛け直した。
とその時、普段と変わらぬ姿で起きてきたお幸が、「見たでしょ」と言った。
「ん、チョイとだけ」と言った。
が、お幸は座り直して身の上を語り始めた。
お幸は、水神さまのお使い姫の牝ガラスであった。
神様から頼まれて霞ヶ浦まで行ったが、若かったので途中で遊びほうけて、使いの事は忘れてしまった。
神様が怒って、野ガラスにするところを、5年間人間の女にしておくから、それが無事済んだら元の使い姫に戻すことになっていた。
人間になったがどの様に生活すればいいのか分からなかったので、カラスになって山に入って果実や玉子などを採って、縁日で売って生活をしていた。
貴方の事も小梅の空から見て知っていました。
我が子を置いて居なくなった人間は何て非情なんでしょう。
ですから、この児を私が育てる決心をしたのです。
貴方の事も嫌いではなかったので夫婦になったのです。
貴方に私の正体を見られたので、5年にならないので、野ガラスになるでしょう。
どうか今のままでいてくれと、杢蔵は懇願した。
俺はお前が好きだからと頼んだら、この黒羽織の様な物を着れば一緒に行けるとお幸は言った。
子供の事を考えるとカラスになる勇気のない杢蔵は人間にとどまった。
お幸は一陣の風とともに去っていき、家もたちまち消え、カラスの群が舞っていた。
隣で寝ている子供を起こすと、水神に遊びに来ただけで、小梅の家に帰ろうという。
子供に聞きながら帰ると小綺麗になった家だった。
お幸はみんなには見えなかったが、充分すぎる程家族を守っていたのだと、杢蔵は思った。
勝手なもので、元の女房が尋ねて復縁をせがんだが、追い返してしまった。
それから男手ひとつで、一生懸命育て、十二の時浅草の呉服屋に奉公に出した。
二十三になった時、実力を認められ、お店の嫁に入った。
杢蔵は独りになって、思い起こされるのはお幸のことばかり、水神に来てみるとカラスが群がって飛んでいた。
「枯れ枝に カラスの止まりけり 秋の暮れ」、よっぽど寂しくなったのか、お幸に逢いたさに黒い羽織を脇に抱えて、大屋根に昇った。
お幸の事を考えて、羽織に袖を通すと羽根になって、ふわりと大空に舞い上がった。
おお、飛べる!飛べる!
「お幸~!おこう~~」。

噺の中に、小梅という地名が出て来ますが、まだありましたよ、「小梅小学校」という名前が。
「小梅っ子」なんて書いてありました。

三囲神社

やはり三囲神社は外せません。
菊田一夫作「水神」の舞台になっています。
「野ざらし」や「花見小僧」にも名前が出て来ます。



錦絵の題材として桜とともによく描かれている、墨堤沿いの鳥居。
境内に「雨乞いの碑」があります。 
これは、元禄6年(1693)は非常な干ばつの年で農民達は困って、境内に集まり鉦や太鼓を打ち鳴らして雨乞いをしていた。
ちょうど通りかかった俳人其角は、能因法師などの雨乞いの故事にならい「遊(ゆ)ふた池や田を見めぐりの神ならば」と詠んだ。
翌日、雨が降ったと言われています。
三越各店屋上にある神社は、本店本館屋上をはじめ、「三囲神社」の分霊で、越後屋として江戸に店を出したときからの守護神、鬼門除けの神とされているのです。

三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めたそうです。
理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたためだそうです。

元々は、文和年間(1352~1356)近江国三井寺の僧が巡礼中に当地で荒れた祠を見つけ、修復しようとしたところ、地中から壺に収められた白狐にまたがる神像を得ました。
すると何処からともなく白狐が現れ、この神像の回りを三度回って消えたという故事に由来しています。


三井さんとは関係ありませんが、参拝することにしました。

向島見番通り

この辺りは昔は繁華街で、料亭がたくさん並んでいて、向島芸者衆も多くいたそうです。

こんな料亭で、夜な夜なお大尽たちが遊んだのでしょう。
見番もあるので、見番通りといわれます。
言問橋のたもとから、川沿いに通っているようです。

見番の前に、注連縄が張られた石碑に龍神と刻んでありました。

ちょっと北へ向かうと、桜もちで有名な長命寺があります。
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私は、甘いもの断ちをしていますから・・・。
境内は幼稚園になっています。

何度も来ている場所ですが、都度新鮮な気がします。
見番通りを戻って南に向かいます。
東京スカイツリーにも近くなりますが、あの喧騒には行きたくありません。

桜橋を渡って・・・

隅田川の堤防に立つと、右手下流には、遠く言問橋が見えます。

左手蒸留を眺めると、近くに橋が見えました。200pxsakurahashi
この橋は、台東区と墨田区の姉妹提携事業として1980年に創架が始まり、1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋です。
両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持っています。
形状は平面のX字形の特異な形をしていて、お花見のシーズンには、両岸の桜を楽しむために多くの人がこの橋を渡ります。

え~い、それなら向島へ行ってみようと、この桜橋を渡ることに決めました。

橋の上から下流を望むと、言問橋、その向こうのビルが建っているあたりが吾妻橋です。

向島側に渡り終え、浅草方面を望みます。
そう言えば、師匠創作の「救いの腕」の舞台は、このあたりだったはずです。

待乳山聖天

そうだ、うっかりしていました。
ここまで来て立ち寄らない手はありません。
そう、待乳山聖天ですよ。
聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつ。
山号は待乳山。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音。

ここの名前は、落語の中ではよく出て来るんです。
「文七元結」でも、主人公の左官の長兵衛が、吉原の佐野槌を出て、本所の家に帰る途中の描写があります。
涙ながらにお久に礼を言いながら、見世を後に山谷堀から、待乳山聖天を右手に見て、花川戸から吾妻橋へ・・・・。

聖天さまというのは密教の神様
「もともとは強欲でしたが、十一面観世音菩薩に願いを叶えてもらうことで煩悩から解き放たれ仏教に帰依することになった」とされています。
そのため、「欲望を抑えきれない衆生に対しても、まずはその欲望を叶えてくださることでわたしたちの心を清め救ってくださる」といわれています。

この聖天さま、俗悪さや半端な帰依がお嫌いです。
ぜひ心を引き締めてから参拝いたしましょう。

また、大根は人間の深い迷いを表すといわれていますから、大根をお供えするのもよいでしょう。

・・・ということですので、心を引き締めて参拝しました。

待乳山聖天の森というだけあって、木々に覆われた境内は、ひんやりとした感じがしています。

そして勿論、待乳山から見る東京スカイツリーも、晴れていれば絶景でしょう。

この隅田川べりの小高い丘(待乳山)は、595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられています。
601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられます。
待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れてました。
例年1月に行われる「大根まつり」でも知られています。
面白い乗り物がありました。
バリアフリーの観点からか、"待乳山登山鉄道"がありました。

お年寄りには有難い施設です。
・・・さて、次はどうしようか。

大川へ

今戸神社を出て、ちょっと南へ行くと、今戸橋跡、山谷堀公園の入口に着きます。

界隈には船宿や料理屋などが建ち並び、「堀」と言えば、山谷堀を指すくらいに有名な場所でしだか、明治時代に遊興の場が吉原から新橋などの花街に移るにつれて次第に寂れ、昭和には肥料船の溜まり場と化し、永井荷風の記述によると、昭和初期にはすでに吉原は衰退しており、山谷堀も埋め立てが始まっていたとのこと。

戦後の売春防止法による吉原閉鎖後、1975年までにすべて埋め立てられました。

昔は、こんな雰囲気だったのでしょう。

そして、とうとう大川端にぶつかりました。

正面には、東京スカイツリーが見えます。
いつも通る首都高速6号線も、さほど渋滞はしていないようで。
でも、行楽地は大変でしょう・・・。
こちらは、おかげさまで、ゆったりと徘徊が出来ます。
さて、これからどうしよう。
このまま浅草駅に行こうか、それとも・・・。

今戸の狐

やはり、「今戸の狐」に降れない訳にはいかないでしょう。Karaku_photo
江戸の中橋に名人初代三笑亭可楽が住んでいた。
その門下に若い二つ目の良助がいた。
寄席の上がりだけでは生活が出来ない上に、通い弟子なので暮らしに困りはてていた。
師匠は厳しく内職を禁じていたので、芸人の見栄もあるために、我慢をしていた。
良助は橋場に住み、向かいの背負(しょ)い小間物屋善吉の女房おサイさんは、千住の女郎上がりの女だが、出身にも似ず働き者で近所の評判もよく、千住(せんじゅ=コツ)の妻(サイ)と愛称されていた。
コツのサイさんは今戸焼の狐の彩色の内職をやっていた。
教えを請うと親切に教えてくれた。
良助も器用だったので直ぐ習得して、雨戸を閉めて人目を避け、引き窓からの明かりを頼りに狐を作った。
朝  、師匠の家へ行って用をたして帰り、夕方寄席へ出かけるまでの間、せっせと内職をした。
Kawara_imado
当時、可楽は飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が出ていた。
可楽が出ると周りの寄席の客足が途絶えるほどであった。
寄席がはねると弟子が売り上げをもって中橋の可楽の家まで持って帰り、各出演者に小分けするのが仕事の一つであった。
それが何軒も掛け持ち出演しているので、小銭の配分に手間が掛かった。誰それさんいくらとの声で、前座が「はい」チャリチャリンと分けていった。この音が夜更けて来ると響いた。
ある夜、雨宿りで軒先に立ち寄ったやくざが、この銭の音を聞きつけた。
この音をサイコロの狐をご開帳とにらんで、翌朝可楽の家に乗り込んだ。
可楽に対し、素人が博打を打つとは不届きだが、見逃してやるから口止め料を出せとゆする。
可楽は私は博打が大嫌いで、それは何かのお間違いでしょう、弟子にも厳禁している、とんだお門違いだ、帰ってくれと、奥へ入ってしまう。
怒ったやくざは、狐ができていることはさぐってあるのだと、内弟子にすごむ。
三つ賽博打の狐のことを、焼き物の狐と勘違いした内弟子は、それなら橋場でこしらえていると、良助の住まいを教える。
「だったら少しはこさえてくれるな」、「勿論ですとも」。「夕方まで待つか」、「いえ、朝からやっています」。
やくざに訪ねてこられた良助は、大慌わてで人形や道具を隠して迎え入れ、その慌てぶりにヤクザは賭場が開かれているのを確信する。
狐などできていないと否定するが、内弟子に聞いてきたといわれて、やむなく肯定する。
やはり狐(三つ賽博打)ができている(賭場が開かれている)」と安心するやくざ。
それだったら、時々寄るから、少しこさえてくれ(金の無心をする)」、
少しでは困るんです。(注文は)多い方がいいので」   と良助、
それは有り難てぇ~」。
で、出来はどうだい」、
最近やっと顔が揃うようになりました」、
そうかい、顔が揃う(上客の顔ぶれが揃う)ようになれば後は楽だ」。
(博打の規模が)大きいのか」、
え・・・、  (狐の)大きいのも小さいのもあります」。
金張り銀張り(の狐)が有ります」、
Kitune_edoえ~、それは(高額の賭けで)豪儀だ」。
今、静かだが(賭場が)出来ているのか」、
出来てます」、
どこで」、
戸棚の中に」  、
??」。
ちょっと見せてもらおうか。ぶち壊す(賭場を荒らす)ようなことはしないから」、
壊されたら困ります」。
お見せします。こちらが大きいの。こちらが小さいのです。これが金張りでこちらが銀張りです」、
なんだこれは」、
だから狐です」、
馬鹿野郎、狐は分かっていらぁ。泥の狐を探しにこんな所まで来たんじゃねぇや。俺の言っているのは骨(こつ)の采(さい)だ」。
千住(コツ)の妻(サイ)はお向かいのおかみさんでございます」。
・・・この噺、あまり聴くことはありませんが、当時の庶民の様子も分かるもので、貴重な噺だと思います。
実在の噺家が出て来るのも珍しいかもしれません。
今戸焼きというのは、素焼きの土器を今戸焼と総称したくらい盛んに製造されたもので、焙烙(ほうろく)、人形、灯心皿、瓦燈(かとう)、土風炉(どぶろ)、豚の蚊やり、七輪  、火鉢、猫あんか、植木鉢、招き猫、狸、稲荷の狐、鳩笛など高級品はないが素朴な味わいで人気があります。
瓦職人が余技で焼き始めたともいわれているそうです。
不細工な顔形を今戸焼きの福助とか今戸焼きのお多福とか悪口にしていたようです。
・・・まぁ、こんな薀蓄はともかく、徘徊の先を急ぐことにします。

今戸神社

山谷堀を今戸橋まで行く途中、左側に折れて、今戸神社へ。

この神社が他の神社と違うのは、ソフト路線というか、お嬢さん趣味と言うか、"女性路線"だと言うことでしょう。

勿論、由緒正しい神社なんですが、鳥居の脇の看板を見ても分かるように、招き猫と沖田総司が前面に出ています。

縁結びと有名な歴史上の人物というのだって、他の神社にもあるのですが、とにかくターゲットは、婚活をする人をはじめとする(だけではないでしょうが)女性なんですね。

それでも一応、柏手を打ち、祈願をしました。

ほら、御守りやおみくじや招き猫グッズが並んでいる社務所には、女性が群がっていて、とてもオジサンの入る隙間がありません。

信仰や祈願というよりも、ファッションや遊びと言う感覚に近いと思います。
それぞれ自由ではありますが、それて良いのかなぁとも思います。

今戸神社は、康平年6(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれているそうですから、沖田総司なんて目じゃないんです。
また永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれています。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災や太平洋戦争でなど数々の戦乱や火災に見舞われましたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものだそうです。
1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていたのが今戸神社と呼ばれるようになりました。
また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っています。

近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげました。
伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。
これが招き猫の発祥ともいわれていますが、当時の記録では具体的に招き猫と今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものは確認されていないそうです。
近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになりました。
本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治の今戸焼の招き猫とは形状の全く異なるものなので、考証的には伝統的なものとの関わりのない平成の創作として見る必要があるというコメントもあります。

また、焼物として使うこの土地の粘土が良質のものだったことから、今戸焼が栄えたこともあります。
また、沖田総司の終焉の地ともいわれていますが、これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が、当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきているそうです。
さらに、戦前合祀された白山神社の祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにもゆかりがあるとアピールされています。
絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザインで、これは縁と円の語呂を掛け合わせたものだそうです。


かなり後付け的な部分も多いようですが・・・、まぁ結構なことで。
それにとしも女性のパワーは物凄い・・・。

山谷堀

もう一度、地図で確認しましょう。
今、見返り柳の吉原大門交差点にいます。

これからどうしようかと考えて、先日の千束通りを通らずに、山谷堀に沿って歩くことにしました。
地図の青い線、右下に向かって、大川(隅田公園)を目指そうと言いうことです。
かつては「よろず吉原、山谷堀」と歌にも歌われ、江戸名所のひとつに挙げられる風情ある場所で、船の出入りが多くなる夏の夕方などは絵のように美しかったそうです。
河口岸には有明楼などの料亭があり、芸者遊びなどもでき、江戸三座があった猿若町(現在の浅草6丁目辺り)に近いため、山谷堀芸妓(堀の芸者)は「櫓下」とも呼ばれたそうです。
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山谷掘は、正確な築年数は不明だそうですが、江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られたようです。


現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700メートルが「山谷堀公園」として整備されています。

江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言ったそうです。

船での吉原行きは陸路よりも優雅で粋とされました。
「船徳」では、浅草から舟に乗って、吉原に向かおうとします。
四万六千日、お暑い盛りでたよね。

界隈には船宿や料理屋などが建ち並び、「堀」と言えば、山谷堀を指すくらいに有名な場所でしだか、明治時代に遊興の場が吉原から新橋などの花街に移るにつれて次第に寂れ、昭和には肥料船の溜まり場と化し、永井荷風の記述によると、昭和初期にはすでに吉原は衰退しており、山谷堀も埋め立てが始まっていたとのこと。
戦後の売春防止法による吉原閉鎖後、1975年までにすべて埋め立てられました。

今はコンクリートになっていますが、ここが堀になっていて、猪牙舟が行き交ったんですね。

大川にぶつかる前に、ちょっと脇にそれてみました・・・・。

見返り柳

「吉原大門」と交差点の表示。

ここが、吉原大門の交差点。

そして、都営バスの停留所「吉原大門」。

でも、大門どころか、門などどこにも見当たりません。

今来た道を振り返ると、道が蛇行しているのが分かります。
日本堤から唯一の出入口である大門までは五十間道(約100メートル)と言われていました。
五十間道は、わざと道が三曲りに曲げられて作られていましたが、それは将軍が鷹狩に御成のとき、日本堤から大門が見えては畏れ多いとあっての配慮だと伝えられています。
衣紋坂(えもんざか)は遊客の衣紋を直す所、見返り柳は逆に吉原から帰る客が、名残り惜しさに ここまで来て見返る所だと言われているのです。

これが見返り柳です。
観音様の裏手にあるご利益のあるお稲荷様の”ご神木”です。

根本に、「志ん吉原衣紋坂・見返り柳」の碑がありました。

日本橋田所町三丁目の日向屋半兵衛という商家のせがれ、時次郎はたいそう堅い男で、大人の付き合いを知ってほしいと嘆く親父は、町内の札付きの源兵衛と太助に「お稲荷さまにおこもり」に行く、とだまして時次郎を吉原遊郭へ連れて行くように頼む。
さすがの時次郎も吉原に上がって花魁を目にしたところで、そこがお稲荷様ではないことに気づく。
Nihonntutumi
泣いてだだをこねるのを二人が「このまま帰れば、大門の番所で怪しまれて、三月でも四月でも帰してもらえない」と脅かし、やっと部屋に納まらせる。
帰りたいと散々ぐずったが、とうとう年が十八、名が浦里という絶世の美女の花魁と一夜を過ごすことになった。
翌朝、源兵衛と多助はどちらも相方の女に振られて詰まらぬ朝を迎え、ぶつくさいいながら時次郎を迎えに行く。
戸口に立った二人が出くわしたのは、花魁の魅力にすっかり骨抜きにされた時次郎。
一方の花魁も、惚れ込んで離さない。時次郎が布団から出てこないので、クサって「帰りましょうや」と言う源兵衛と多助に、時次郎は「さきに帰れるものなら帰ってごらんなさい。大門で留められます。」

大門はありませんが、遠くに高い塔が見えました。
どうやら、雨は上がってくれたようです。
「明烏」のネタ下ろしの直前になったら、また裏を返すことにしましょう。

仲之町から吉原大門

もう一度、地図で確認です。
今、青い枠の左辺の吉原神社を出て、東に向かっています。

ここは、仲之町通りと言うようです。

仲之町と言えば、廓内のメインストリートです。

そう、大門を抜けると吉原のメインストリートで仲之町と呼んでいました。
仲之町の左右には引手茶屋がつらなり、上質の客はここで相談してから登楼、普通の客はその間の横丁を抜けて張見世で遊女を選んで登楼したそうです。Yoshiwara
上の図で、今一番上のあたりにいるということですね。
下の図ならば、左端の真ん中ということでしょう。800px1846_yoshiwara_map
新吉原は、奥行き150間(273メートル)、幅百80間(328メートル)の20,767坪だったそうです。
廓の四方は塀で取り巻き、その周囲を「おはぐろどぶ」と呼ばれる堀をめぐらしてあったのです。
240pxyoshiwara_circa_1872
今は、当時の面影はほとんどありません。

日向屋の若旦那の時次郎は、初会で花魁浦里に"落城"してしまいます。

雨の中、風俗店が並んでいる通りを歩いていると、まだ午前中なのに、客引きのお兄さんから声をかけられます。

そこへ、消防車がサイレンを鳴らして走り抜けて行きました。
ここのところ、消防車をよく見かけます。

今は、台東区千束4丁目ですが、昔は、浅草志ん吉原揚屋町と言ったんですね。

300メートル足らずの距離だったそうですから、歩いて間もなく、吉原大門の交差点に着きました。

吉原神社

吉原神社は、弁財天のすぐ近くにあります。

芸道富有、子孫繁栄の神様が祀られている吉原神社は、遊郭の総鎮守として崇敬されてきました。

祀られている市杵嶋姫命は、遊郭の土地造成でできた弁天池に祀られ、関東大震災の後に遊郭の守護神に加えられました。

その像は童女のような清純さと優しく美しい面立ちで、女性の愛と苦しみを清めて包み込む救いの姿です。

かなり降っていた雨も、弁財天で雨宿りをしていたら、どうやら上がって来た様子。

弁天様は、芸道富有・・・芸事の神様でもあります。
「落語が上手くなりたい」と、密かに祈りました。

元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。
これが「江戸元吉原」です。
その後、明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」ということになります。

新吉原遊郭には、古くから鎮座されていた玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られていました。
この五社が明治5年に合祀されることになり、「吉原神社」として創建されました。
吉原神社の歴史は新吉原遊郭と折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。
五社のなかでも 九朗助稲荷社の創建は古く、和同4(711)年、白狐黒狐が天下るのを見た千葉九朗助という人の手で元吉原の地に勧請されたのがはじまりとされています。
そして廓の千束村への移転にともなって浅草新吉原の地にふたたび勧請されました。
廓内の神のなかでも伝説や逸話に富み、遊女、遊客とからみ、開運、縁結び、商売繁昌のご利益のある神として華やかな信仰を集め、その様は江戸の小噺集などにもしばしば登場しています。
・・・以前、浅草七福神のウオーキングイベントで来たことがありましたが、その時はあまり印象に残りませんでしたが。
 日本橋田所町三丁目・日向屋半兵衛の倅時次郎のような気持ちで、いよいよ吉原に踏み込むことにしましょう。
雨も時々ひどくなって来たりしています。
先を急がなくては・・・、大門で止められる?

吉原弁財天

吉原弁財天は、千束三丁目にある花園公園にあります。

昭和10年吉原神社に合祀されたため、正確には神社ではありませんが、現在も鎮魂碑など多くの遺構を残しています。

考えてみると、元々の弁財天(弁天様)と、関東大震災の後の観音様とが祀られているんですね。

弁天様の祠に手を合わせました。

祠の中には・・・、弁天様が鎮座されていました。
・・・と、雨が激しくなって来ました。

幸いにも、木々が茂っているので、ほとんど濡れずにいられます。
暫く、この別世界で佇むことが出来ました。
このブログのアクセスも、本日62万件に到達しました。
徘徊は、雨の様子を見ながら続きます。

吉原弁財天(弁天池)

江戸時代から幕府公認の遊郭として栄えた吉原。

もとは日本橋(いまの人形町付近)に元和3(1617)年に開設されたのが始まりで、それまではヨシの茂る湿地帯だったことから葭原と呼ばれていたのを縁起の良い「吉原」に字を改めました。
明暦3(1657)年、江戸市中を焼き尽くした明暦の大火の後、現在地(当時の浅草千束村)に移転し、新吉原が成立し、以後、昭和33(1958)年に売春防止法が施行されるまで300年にわたって吉原遊郭は存続します。
この新吉原も古来、大小の池が点在する湿地帯を埋め立て造成した土地で、残された池のひとつにいつの頃からか弁財天が祀られ、遊女たちの信仰を集めました。
池は弁天池または花園池と呼ばれていたようです。


この角度からの表情が、何とも言えず優しく見えました。

この池が悲劇の現場となったのが大正12(1923)年9月1日の関東大震災です。
明治以降の遊女の中には貧困や飢饉に苦しむ東北地方の貧しい農家から身売りされてきた少女たちが多く、脱走防止の意味もあって遊郭の周囲は堀や塀で囲まれていましたが、震災で遊郭内でも火災が発生する中、唯一の出入り口である大門が閉鎖されてしまったのです。
逃げ場を失った遊女たちは炎と煙に追われて弁天池に殺到し、次々と飛び込んで、折り重なるように溺れて命を落としました。
その数、実に490名と伝えられています。

現在、その場所には岩を積んだ山が築かれ、その上に亡くなった人たちを供養する観音像が立っています。
 

周囲に遊女の墓や追悼碑、お地蔵様などもあり、今でも献花が絶えません。
”花吉原名残碑”に「世俗いふ吉原を知らざるものは人に非ずと」とありました。

そして、境内奥に弁天祠があります。
これが吉原弁財天で、浅草七福神のひとつに数えられています。

女性らしく、華やかさがある反面、とても悲しい、やるせない気持ちも漂ってくる気がします。

鷲神社の境内

sprinkle雨が降ったり止んだりしています。

お酉様の季節ではないので、人影も少なく落ち着いています。

しかし、どうしても季節外れの感は否めません。

鷲神社と言えば、毎年11月に、商売繁盛や開運を願って熊手御守を求める人々で賑わう「酉の市」が有名です。
この神社には、天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)が祭られています。
神社に伝わるところでは、日本武尊が東の国々へ戦に出かける際に戦勝の祈願をし、武器の熊手を松の木にかけて勝ち戦のお礼参りをしたそうです。
その日が11月の酉の日だったことが、酉の市と熊手御守の由来と言われています。
酉の市は関東大震災の時や戦中も途絶えずに続いてきました。

開運・・・・、開運、開運。
良いことがあればなぁぁ。

今日の徘徊コース

「落語の舞台を歩く」の中の地図を拝借して、とりあえず、今日のコースを俯瞰してみます。

国際通りを、田原町から歩いて、、鷲神社まで来ました。

これから、吉原神社と弁財天をお参りして、かつての吉原を反対側から突き抜けようと思います。
そして、吉原大門の見返り柳まで行き、山谷堀を大川に向かおうという訳です。
こういう古い地図を見ていて、横浜の中華街と新宿超高層ビル街との共通点に気がつきます。
というのは、周囲の街路とは違い、昔のままの地形が残っているということです。
いずれも、それぞれの域内は碁盤の目のようになっているのですが、その一画だけが斜めになっているのです。
元々の地形もあるのでしょうが、面白いと思います。
さぁ、雨に濡れないように、吉原を訪ねる徘徊を急ぎましょう。

鷲(おおとり)神社

「浅草酉乃市御本社・鷲神社」とあります。

広々と開放的な雰囲気です。

言い伝えによれば、古来この地に天日鷲命が祀られており、その神社に日本武尊が東征の折に戦勝を祈願したとされるが、実際は隣接する長國寺に祀られていた鷲宮に始まるという。
江戸時代中期から酉の市で知られ、足立区花畑の大鷲神社の「おおとり」に対し、鷲神社は「しんとり」と称された。
明治初年の神仏分離に伴い、長國寺から独立し鷲神社となった。

入り口には、酉の市の象徴とも言える、縁起物の大きな熊手が飾られています。
どちらかの政治家が、何億円も借金をして購入したとかしないとか・・・?

隣には、確かに長國寺がありました。C01e15c8s
この鷲在山長國寺は、寛永7年(1630年)石田三成の遺子といわれる、大本山長國山鷲山寺第13世日乾上人によって、浅草寺町に開山し、寛文9年(1669年)に当地へ移転。浅草酉の市の発祥の寺として有名だそうです。
それでは、鷲神社の境内に入ってみることにします。

国際通り

国際通りを、雷門や六区を右に見ながら北へ歩きます。

歩き始めて間もなく、つくばエキスプレスの浅草駅前で、雨が急に激しくなりました。
早速、携帯用の傘のお出ましとなってしまいました。

それでも、国際通りと言問通りの交差点あたりで、かなり小降りになりました。
・・・・そして、暫く歩くと立派な鳥居が見えて来ます。

「お酉様」で有名な「鷲神社」です。
・・・そうだ、「鰍沢」で、新助が連れと二人で吉原へ行ったのは、二の酉の晩でした。
その時の相方が、熊造丸屋の月の兎花魁(お熊)だったんです。

監督代行

巨人の原監督のお父さんが、心筋梗塞で緊急入院したため、今日の中日とのゲームは、川相ヘッドコーチが監督代行として指揮を執るそうです。A0137997_8552295
原監督のお父さんも"原監督"で(当たり前ですが)、幼な心に「三池工業」が思い出されます。
三池工業は、現在の福岡県立三池工業高等学校ですが、1908年(明治41年)4月、三井家が経営する三池炭鉱と附近工場を実習場として、わが国工業界の「志士」を育成する目的で三井工業学校を設立し、終戦後工業高等学校となり、その後福岡県に移管され今日にいたっています。
1965年(昭和40年)の第47回全国高等学校野球選手権大会で、初出場初優勝を飾ったことで有名になりました。
甲子園で初出場初優勝を飾っているが、その後選抜・選手権大会を通じて一度も甲子園には出場していない、甲子園勝率10割の高校でなんです。
この時の優勝監督が、若き日の"原監督"なんです。
テレビに流れる♪~三池工業ぉ~♪という校歌が印象的でした。
もう80歳になるんですね。
原監督が、私とほぼ同世代ですから、当たり前ですが・・・。
お元気になられますように。

上野から田原町へ

今日の上野駅は大混雑でした。

上野駅から銀座線で田原町に出ました。
あれっ?また田原町?また観音様?
今日は、観音様をぐるりと一周しようという趣向にしました。
一周すると言うより、まずは「明烏」の舞台になる吉原に行ってみようということに。

とにかく天気が心配です。
いつもは鮮やかに見える東京スカイツリーも霞んでいます。
ポツポツと降って来ました。

歌手と作家の訃報

直木賞作家の渡辺淳一さんと歌手の神戸一郎さんが亡くなったそうです。
神戸一郎さんという歌手は、私はあまり知りませんが、昨年亡くなった"ウクレレ漫談"の牧伸二さんが、歌っていました。
 ♪フランク永井は低音の魅力
           神戸一郎も低音の魅力
   水原弘も低音の魅力
                       牧伸二は低脳の魅力
   あ~あぁぁやんなっちゃった
           あぁぁああ驚いたぁ~ ♪
神戸市出身だから神戸(かんべ)という芸名だったそうです。
1957年にに「十代の恋よさようなら」でデビュー。
58年の「銀座九丁目水の上」がヒット。
NHK紅白歌合戦にも4年連続で出場。
吉永小百合さんが主演した映画「青い山脈」の主題歌を青山和子さんと歌い、リバイバルヒットさせた人だそうです。
渡辺淳一さんは、「失楽園」や「愛の流刑地」など男女の愛を追究した作品で知られていました。

GW点描?

ある噺家さんのブログで、地獄の?箱根日帰りドライブの様子。Pn2010050301000766___ci0003
家族が、「箱根へ行 って大涌谷の黒玉子が食べたい」と。
本人は拒否したかったが、家族に集中砲火を受けるのが恐ろし いので、渋々、出かけることに同意。
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渋滞を考慮して少なくとも7時前に出発したかったが・・・7時過ぎになってしまう。
やはり危惧した通り東名高速道路は大渋滞。
港北パーキングエリアで休憩。
厚木ICまでなかなか進まない。
小田原厚木道路はスムースだったが、箱根の入り口で動かず、箱根の道も大渋滞。
小涌園の交差点を右折して大涌谷を目 指したのはいいが…、まったく動かない。
承知で来たつもりだ が、こんなに渋滞するとは想定外、 大涌谷の駐車場まで2時間以上‥‥。
駐車場の1キロメートル手前で家族たちは歩いて行ってもらうようにした。
トイレもあるし喧嘩が始まったので 、もう限界を感じた。
結局、朝7時過ぎに出かけて、大涌谷の駐車場に入ったのは午後4時過ぎ・・・。
駐車場は5時に閉門して5時半にはゲートを閉ざしてしまう!?240pxowakudani
大急ぎで大涌谷を出た。
本当は箱根神社を参拝したかった・・・。
が、あまりの混雑に恐れをなして、すぐに帰宅することに。
箱根の復路も大混雑だった。
帰りの東名高速道は厚木インター付近で渋滞していたが、その後は順調に走行し、10時前には、何とか帰宅できた。
よ~く、考えてみたら…、本日はほとんど車の中で過ごしていた。
来年は絶対に車で出かけない!
・・・行くべきじゃありませんね。
都内をダイエットウオーキングをした方が、賢明だと思います。
一人で歩くのは、ちょっと寂しいですが。

ダイエットウオーキング

昨日まで、順調に?行き当たりばったりのダイエットを消化しています。
ダイエットウオーキング
朝方の地震には驚きましたが、大きな被害や影響もないようで、3日目を挙行することにしました。
ダイエットウオーキング伊豆大島あたりが震源なので、田舎の方が心配でしたが、ほとんど揺れを感じなかったそうなので、一安心しました。
ダイエットウオーキング
ただ、雨が降りそうなので、携帯用の傘をウエストポーチに入れました。
ダイエットウオーキング
市役所の風見鶏を見上げて、雨が降らないことを祈りつつ。
さぁ、今日はどの噺を訪ねましょうか・・・・。

地震

地震
かなり揺れました。
千代田区で震度5弱だったみたいです。
こちらは震度3程度みたいでしたが、長い時間揺れました。
伊豆大島近辺が震源だということなので、実家も心配ですが。

立夏

暑さを感じる日が増える5月は、体がまだ気温や湿度の変化に慣れていないため、熱中症に注意が必要だそうです。
今日は二十四節気の「立夏」で、暦のうえで夏が始まるこの日は、「熱中症対策の日」となっているそうです。
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東京には雨マークがないから、またどこかダイエット落語徘徊をしようと思います。

ゆでピーナッツ

ダイエットをしています。
お医者さんに脅かされたこともありますが、ちょうど良いタイミングだと覚悟をして。
要は、色々な食事療法がありますが、糖分(炭水化物)を極力摂らないようにというのが指導です。
糖分さえ抑えれば、後は肉でも魚でも脂でも構わないし、カロリーも気にしなくて良いと。
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そこで、ここのところ、コンビニなどで買い物をする時には、「炭水化物」あるいは「糖質」の量を、眼を皿のようにしてチェックするようになりました。
確認して初めて知ったのですが、チーズやマヨネーズは、今までカロリーやコレステロールが高いというので敬遠していたのですが、炭水化物はほとんどなく、急にダイヤモンドな食材になりました。
ご飯・麺類・パンは抑えて、でもその他の物は制限なし。
肉類や肉魚の加工食品も、砂糖を使って煮たりしていなれければOK。
豆類も大豆を除いてダメなのですが、ゆでたピーナッツは許容範囲になるようなのです。
コンビニで見つけましたが、なかなか手に入りません。
これ、製造元に直接注文しようかと思います。
野菜・肉・チーズなどを中心にしていますが、最近では特定保健用食品(特保・トクホ)も多く出回っているので、こんな状態になって、有難味が分かるようになりました。
Image2 このマークがついている食品が特定保健用食品(トクホ)です。
トクホは、個々の製品ごとに消費者庁長官の許可を受けており、保健の効果(許可表示内容)を表示することのできる食品です。
他の食品と違うのは、からだの生理学的機能などに影響を与える成分を含んでいて、血圧、血中のコレステロールなどを正常に保つことを助けたり、お腹の調子を整えるのに役立つなどの特定の保健の効果が科学的に証明されている(国に科学的根拠を示して、有効性や安全性の審査を受けています。)ということです。
何とか、今までやろうとして出来なかったダイエットを、しっかりやってみようと思っているのです。

声帯の手術

某噺家さんのブログを読みました。
声帯の手術をしたそうです。
もう数年前から、時々声が出づらくなって病院にかかってました。
ポリープではないので、この辺りで病理検査も兼ねて声帯に出来たものを取りましょう!
と言うことになったのですが…。
最低でも一週間は喋れなくなるので、スケジュールを探しておりました。
早いほうがいいということで、このタイミングにさせてもらいました。
それこそ、噺家さんの生命線ですから、早く治して一層活躍していただきたいと思います。

富士宮やぶさめまつり

確か、富士宮のやぶさめまつりが行われているはずです。
富士宮やぶさめ祭り
1193年と言うことですから、鎌倉幕府が開かれた翌年、源頼朝が富士の裾野で巻狩 りを行った際、武将を率いて浅間大社に詣で、流鏑馬を奉納したのに起因するといわれています。
本祭の5日には、市内練行の後、境内桜の馬場で鎌倉武士の狩り装束で、勇壮な小笠原流流鏑馬式が行われるはずです。
でも、源頼朝が・・・と言うのは、恐らく違うと思いますが。
幼い頃、流鏑馬見たさではなく、富士宮(幼い子どもにとっては都会)に遊びに行きたい一心で・・・、覚えています。

2014年5月 4日 (日)

落語DEデート

ところで、今朝の「落語DEデート」は、柳亭痴楽師匠だったような気がします。
 ◇新聞記事       柳亭痴楽
この噺は、元々上方噺で「阿弥陀池」と言われています。
よく演じられる新作ですが、私はあまり好きではありません。
何故なら、たとえフィクションとはいえ、刃傷沙汰かの場面があるからです。

中野から上野へ

妙法寺を後に青梅街道に出、地下鉄丸ノ内線に乗りました。
新宿を通り過ぎで、赤坂見附で銀座線に乗り換えて上野へ。
中野から上野へ
上野公園も大変な賑わいでした。
昨日は、不忍池の西側から根津に行きましたが、今日はスマホの充電用のパーツが欲しかったので、中央通り側に出ました。
中野から上野へ
本当に平和な国だと思います。
中野から上野へ
JR上野駅の中央改札口の前に、下谷神社の神輿が飾ってありました。

昔から「江戸の祭りは下谷から」と言われるように、5月9日に始まる下町で一番早い夏祭りとされている「下谷神社大祭」は、千年の歴史を持つそうです。
今年は「本祭り」に当たり、10日(土)には町会神輿の連合渡御や里神楽で賑わい、11日(日)は本社神輿が朝6時15分の「宮出」から、夕方6時30分の「宮入」まで、延べ7000人の担ぎ手により氏子区域を練り歩きます。
また境内神楽殿では神田囃子が奉納され、21時頃まで賑わうことでしょう。

下谷神社は、寄席発祥の地でもありますからね。
・・ということで、自宅に帰りましたが、トータル歩数は約22,000歩になりました。
そう言えば、ブログのアクセス累計も、連休中に62万件に到達することが出来るかもしれません。
さて、明日は天気が良くなさそうですが・・・。

妙法寺境内

「やくよけ祖師 堀之内妙法寺」・・・・。
妙法寺境内
祖師堂とその後方にあるのが本堂。
妙法寺境内
妙法寺境内
妙法寺境内
そして、さらに奥に行くと、学問の日朝上人の日朝堂。
妙法寺境内
妙法寺境内
さらに木立の中を進むと、大きな子育て観音像が。
妙法寺境内
妙法寺境内子を抱き、足にもすがっていて。
墓地への入口(出口)には、「報恩」の額がかかる門が。
妙法寺境内
私の郷里の菩提寺の住職の女婿が、堀之内のお祖師様にお勤めしているので、非常に親しみがあるので、今日の落語徘徊のコースに選びました。
粗忽な主人公が、これから神田の自宅(長屋)に戻れば、着くのは夕方近くになりますから、おかみさんが息子の金坊を銭湯に連れて行ってくれというのは、よく分かります。
これも、広義の場面設定になると思うのです。
長屋とお祖師様との距離感が実感出来ましたから。
今日も、ダイエットと落語が両立しましたよ。

妙法寺へ

環状7号線を横断する信号に到着。
交差点の名前は「妙法寺東」です。
妙法寺へ
いよいよ雰囲気が出て来ました。
南無妙法蓮華経の文字もはっきりと。
妙法寺へ
信号を渡って、ちょっと歩くと、木魚の音と読経の声が聞こえて来ました。
堀之内のお祖師様に到着です。
妙法寺へ
あちこち道草をしたので、ここまで約17,000歩でした。
神田を出た粗忽な主人公も、ちょうど今頃着いたのでしょう。
でも、財布を賽銭箱に投げ入れてしまい、弁当(おにぎり)だと思っていたのが枕で、さぞや落胆したでしょうが、落語国の住人は、これぐらいではへこたれないのです。

和田帝釈天

鍋屋横丁を右折して、ひたすら住宅街を歩きます。
杉並区和田という住居表示になるあたりから、商店街になって来ました。
すると、右側に和田帝釈天がありました。
和田帝釈天
やはり、妙法寺の参道にあるのは意味があるんですね。Wadataisyaku3
以前、妙法寺をお参りした時は、逆方向から歩いたのですが、もう間もなく妙法寺が見えて来るはずです。
環状7号線にぶつかれば、もうお祖師様ですから。

鍋屋横丁

今日も昨日同様、五月晴れですが、湿気がないので汗もかかず、爽快な徘徊をすることが出来ます。
中野坂上から青梅街道をさらに西へ向かうと、ほどなく鍋屋横丁の交差点です。
鍋屋横丁
東京都中野区の本町・中央を南北に走る横丁・商店街。
鍋横(なべよこ)という通称で親しまれており、本町・中央一帯を指す地区名としても用いられています。
近くには東京メトロ丸ノ内線の新中野駅があります。
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江戸時代前期に、妙法寺に向かう参拝道(参道)として栄えた。
江戸から青梅街道を経由して妙法寺に向かう際、現在の鍋屋横丁交差点を左折することになるが、その目印が「鍋屋」という名の茶店だったことから、「鍋屋の横丁」の名がついたそうです。
明治時代以後も中野駅と青梅街道を結ぶ通りとして栄えていましたが、地下鉄開通とこれに伴う都電杉並線の廃止に伴い、やや衰微したものの、現在でも中野区を代表する繁華街の一つであり、再開発が進められているそうです。
鍋屋横丁
なかなか雰囲気のあるアーケードを通って、商店街の途中で右折するのですが、この細い新宿から続いている道が、妙法寺への参道だったと思います。

中野坂上

成子坂を下りて、淀橋で神田川を渡り、今度は中野坂を上ります。
文字通り、中野坂上。
中野坂上
青梅街道と山手通りの交差点です。
中野坂上
この建物の20階のオフィスに、2年余り勤務したことがあります。
あの頃は、首都高速(トンネル)の工事の真っ最中でしたが、長かった工事も終わって、落ち着いた佇まいになりました。
中野坂上
東京メトロ丸の内線と都営地下鉄大江戸線とが交わり、交差点には高層ビルが建ち、新宿新都心と繋がっているようです。
ここからは、ほとんど平坦な道になります。260pxhosenji_niomon
右手に法仙寺を見ながら、宗旨が違うので失礼して。
真言宗豊山派の寺院。
このあたり屈指の大寺院で、千年近くの歴史を誇る古刹です。
粗忽者の主人公は、腰巻で包んだ枕を背負って、この道を急いだのでしょうか?
・・実は、恐らく、青梅街道ではなかったと思います。
青梅街道の、一筋南側の細い道が、新宿から妙法寺への参道だったはずですから。

淀橋

♪まぁるい緑の山手線♪の企業名の由来でもある「淀橋」。
青梅街道にあるこの橋を久しぶりに渡りました。
淀橋
東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。
現在の新宿駅西口の一帯を指す地域の旧称でもある。
元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。
さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発(新宿副都心計画)により、超高層ビルが林立する街となった。
1990年には、東京都庁もこの地に移転し、副都心(新都心)と呼ばれる。
淀橋
偶然、東京消防庁のはしご車が通りました。
新宿西口は、まだまだ大きく変わろうとしています。
良くも悪くも、日本の玄関の一つと言えるでしょう。
こんな街で働いていたんですね。
いよいよ、お祖師様参りの雰囲気が出て来ました。

十二社の熊野神社

「せっかくここまで来たんだから」と、新宿中央公園の脇から十二社通りに出ました。
交番を左折するとすぐにあるのが熊野神社です。
十二社の熊野神社
お宮参りをしている家族がいました。

十二社の熊野神社
室町時代の応永年間(1394~1428年)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
あるいは、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69年)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいわれています。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっているそうです。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。
新宿に勤務している頃は、成子天神と熊野神社にはお参りを欠かしませんでした。
また、この辺りは、かつて大きな池と滝があったそうです。
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十二社の池は、慶長11年(1606年)、伊丹播磨守が田畑の用水溜として大小つの池を開発したもので、現在の熊野神社の西側、十二社通りをへだてたあたりにありました。
大池(中池・上の溜井)は南北126間・東西8~26間とされ、水源は湧水であったようです。
池の周囲には享保年間(1716~35年)より多数の茶屋ができ、景勝地として賑わいました。
明治時代以後は、大きな料亭ができ花柳界として知られるようになり、最盛期には料亭・茶屋約100軒、芸妓約300名を擁したほか、ボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われましたが、昭和43年(1968年)7月に埋め立てられました。
大池の北側に隣接する小池(下池、下の溜井)は、大池の分水で、南北50間・東西7~16間ありました。
昭和の初期より一部の埋め立てが行われ、第2次大戦中には完全に埋め立てられました。
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さらに、十二社には、記録や古老の話からいくつかの滝があったことが伝えられています。
このうち十二社の大滝は、「江戸名所図会」「江戸砂子」などに熊野の滝・萩の滝と記され、高さ三丈・幅一丈と伝えられます。
この滝は寛文7年(1667)に神田上水の水量を補うため玉川上水から神田上水に向け作られた神田上水助水堀が、熊野神社の東端から落ちるところにできたものです。
池とともに景勝地として知られたもので、明治時代の落語家三遊亭圓朝は自作の「怪談乳房榎」で、この滝を登場させています。
滝の多くは、明治以後、淀橋浄水場の工事などにより埋め立てられました。十二社の熊野神社
そうなんです。
「乳房榎」のクライマックスシーンは、ここの大滝なんです。
今は、そんな面影は全くありません。
十二社の熊野神社
超高層ビル建設の波が、このあたりまで来つつあるようです。
・・・確か、堀之内のお祖師様にお参りするはずでしたが、随分道を外れてしまいました。
でもまぁ、特に急ぐわけでもありませんから。
ここから、十二社通りを青梅街道に向かいます。

芸能花伝舎

「そうか、せっかくここまで来たんだから・・・・」
成子坂を下りきったところで、青梅街道を離れて、新宿中央公園方面へ向かいました。

元小学校だったところに「芸能花伝舎」があり、この中に落語芸術協会の事務所があります。

コンクリートジャングル中に、ちょっと異質な雰囲気ですが。
・・・というより、元はこちらが日常の風景だった訳です。
でも、校庭はコンクリートだったんですね。
これは足のためにはならなかったことでしょう。

落語芸術協会のオフィスは、どうやら2階にむあるようです。

季節柄、校庭には鯉のぼり、室内には鎧が飾ってありました。
ちょっと、道草をしてしまいましたが、ここまで来たので・・・。

成子天神社

青梅街道を西に向かって歩き始め、超高層ビル街を左手に見ながら、成子坂を下ります。
右手にあるのが、成子天神社です。

周辺の再開発も進み、さらに神社そのものが、すっかりリニューアルされているのに驚きました。

創立は延喜3年(903年)。
当時、菅原道真が死去し嘆き悲しんだ家臣が道真の像を大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。
その後鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営された。
しかし江戸時代に入り、寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。
その後第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。
1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造営、そして、2013年12月に、再開発が終了して遷宮されました。

付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ています。

とにかく、出来たてのほやほや・・・。
全てが新しくなっていました。富士山も。

拝殿に柏手を打ち、恵比寿・大黒・寿老人にもご挨拶。

昔は、こんな感じの、ややうらぶれた雰囲気でした。14naruko_01_214naruko_02_214naruko_03
朱塗りの鳥居や社殿が鮮やかでした。
ふと立ち寄ったところに、発見がありました。

落語"鰍沢"と鰍沢弁当の会

5月23日(金)18時30分から、地元の山梨県南巨摩郡富士川町で「落語"鰍沢"と鰍沢弁当の会」と言うのがあるそうです。
柳家三三さんの会。
場所は、旧鰍沢町の「おかめ鮨」らしい。

【鰍沢=三三】と言うイメージが定着してしまいそうで、やや心穏やかではありません。
これ、鰍沢の宿の鰻屋「国本屋」さんですよ。

堀之内

落語を始めた頃、この噺を聴いて腹を抱えて笑ったものでした。

粗忽者の亭主。
片方草履で、片方下駄を履いておいて、「足が片っぽ短くなっちまった。薬を呼べ。医者をのむ」と騒いだ挙げ句、「片方脱げばいい」と教えられ、草履の方を脱ぐ始末。
なんとか粗忽を治したいと女房に相談すると、信心している堀の内のお祖師さまに願掛けをすればよいと勧められる。
出掛けに子供の着物を着ようとしたり、おひつの蓋で顔を洗ったり、手拭いと間違えて猫で顔を拭き、ひっかかれたりの大騒ぎの末、ようやく家を出る。
途中で行き先を忘れ、通りがかりの人にいきなり「あたしは、どこへ行くんで?」
なんとかたどり着いたはいいが、賽銭をあげるとき、財布ごと投げ込んでしまった。
「泥棒ッ」と叫んでも、もう遅い。
しかたなく弁当をつかおうと背負った包みを開けると、風呂敷だと思ったのがかみさんの腰巻き、弁当のつもりが枕。
・・・家へ帰って戸を開けるなり「てめえの方がよっぽどそそっかしいんだ。枕を背負わせやがって。何を笑ってやんでえ」とどなると、「おまえさんの家は隣だよ」。
「こりゃいけねえ」と、家に戻って「どうも相すみません」。
かみさん、あきれて「お弁当はこっちにあるって言ったのに、おまえさんが間違えたんじゃないか。腰巻きと枕は?」
「あ、忘れてきた」・・・。
これから、息子の金坊を銭湯に連れて行くのですが、ここでまた一騒動・・・・。
粗忽者は、落語国のヒーローの一人です。
こういう人でも、堂々と暮らして行くことが出来るのです。
今日の落語徘徊は、落語の原点を思うものになるかもしれません。

新宿へ

新宿に出来ました。
日本最大の街と言って良いのでしょう。
かつて、3年近く通勤していた街でもあります。
新宿へ
今日の落語徘徊のテーマは「堀之内」ということにしました。
粗忽者の主人公が、弁当と勘違いして、腰巻で包んだ枕を背負って堀之内のお祖師様(妙法寺)にお参りをする噺です。
新宿へ
神田の住人という設定ですから、途中からと言うことになりますが、青梅街道から妙法寺の参道を歩いてみようと思います。
新宿へ
スタート地点は、ここ新宿エルタワーです。

消せるボールペン

私もとても重宝しています。
でも、こうなることは十分予測出来ました。
消せるボールペン
ゴムの摩擦熱で筆跡を消し、書き直せることが 売りの「消せるボールペ ン」の公文書への使用を 防ごうと自治体が神経をとがらせているそうです。
文書を書き換えて手当てを不正受給するなど不祥事が全国で相次いでいるそうです。St_pi01
公文書の改竄(かいざん) は刑事事件にも発展するため、各自治体は新人研修で注意を促したり、全部署に通知を出したりして周知を徹底しているとのこと。
普及とともに現れたリスクを“消す”のに躍起になっているという・・。Keseru_ball_791
最近は、ボールペンタイプだけでなく、マーカータイプのものも出ていて、本当に便利です。
勿論、使い方には気をつけていますがね。

ウオーキング2日目

ウオーキング2日目
昨日は、旬が終わりそうな花を探して徘徊しましたが、ダイエットウオーキング2日目の今日は、落語に関わるコースを考えました。
幾つか考えられるのですが、電車に乗ってからの閃きで決めることにしたいと思います。
江戸の四宿なんて言うのは、ヒントになるかもしれません。
今日も良い天気です。

71連敗

東京六大学野球で、東大がとうとう71連敗。
今までの記録を更新しました。
およそ4年ぶりの勝利を目指して、早稲田大と戦いましたが、放ったヒットはわずか3本。
0対11で完封負けを喫して71連敗。
昔から、六大学では苦戦をしていましたが、「七帝戦」では敵なしと言われていました。
それでいいじゃないですか。
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【七帝戦】
全国七大学総合体育大会(ぜんこくななだいがくそうごうたいいくたいかい)は、日本の7つの国立大学が合同で開催している体育大会である。
第二次世界大戦前に施行されていた旧学制時代に帝国大学であった大学のうち、日本国内に現在も存在している7大学(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州)が参加している。
通称七帝戦(ななていせん、しちていせん)または七大戦(ななだいせん、しちだいせん)と呼ばれる。
開催地・主管校は毎年七大学の所在地を持ち回りで行われる。
順番は原則として北海道大学→九州大学→大阪大学→京都大学→東北大学→東京大学→名古屋大学→…となっている。

2014年5月 3日 (土)

灯台下暗し?

連休の初日は、藤と躑躅の花を求めて、都内の神社を徘徊したのですが・・・。

ところが、駅から自宅に帰る途中で、勿論以前から知ってはいたのですが、見事に咲いているのを観ることが出来ました。

花を観るだけなら、わざわざ亀戸や根津まで行かなくても良いということですが、やはり、それはそれ、これはこれ、ということです。

それにしても見事なものです。

花を求めての徘徊、歩数計は18,000歩をカウントしていました。
それが目的でしたから、目標達成です。
強い紫外線のためか、顔がほてって、ごわごわしています。

根津神社の境内

盛りを過ぎたとは言え、見事な躑躅です。
4月20日頃が見ごろだったようです。

遅咲きの種類のものもあるそうですから、まだ見応えはあります。

文京区のつつじ祭りのメイン会場とも言えるでしよう。

根津と言えば、牡丹燈篭などの怪談噺の舞台にもなっているので・・・ですが、躑躅は華やかでいいですね。
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最盛期は、上の写真のように赤く染まるようですが、さすがにやや色褪せた感じは否めません。

水辺の花というのは、絵になりますね。

つつじ宛の反対側では、和太鼓が演奏されていました。

それにしても、日本は平和です。
今日は、憲法記念日。
最近は、憲法改正の是非を巡って議論が高まっているようですが、その賛否はともかく、平和でいられる日本があるのも、この憲法あればこそと言う局面は否定出来ないと思います。

根津神社

根津神社も混雑していました。

つつじ祭りは、5月6日までだそうですから、もう間もなく閉幕と言うタイミングです。

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。 
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

最盛期は、これぐらいに咲き誇っているようですが・・・。Tutujien
それでも、見事に咲いています。

この中に入るのは有料だそうです。

外から眺めているだけで十分です。

池之端から根津へ

不忍池も賑わっていました。
蓮が群生しているところは、ちょっと寂しいのですが、ボート乗り場は商売繁盛です。

池の周回路も整備され、かつての暗い雰囲気はなくなりました。

不忍通り側からは、池越しに弁天堂と、遠くに東京スカイツリーが見えます。

不忍通りを根津方面に歩くと、上野動物園から出て来る人たちとすれ違います。

そして、根津交差点の手前に、あるい古い建物。
串揚げの老舗「はん亭」です。
最近の「谷根千」ブームもあってか、人通りも多く賑やかでした。
ますます、日本は平和です。

神田から湯島へ

神田明神まで来たら、湯島は目と鼻の先。

初天神の鷽替え神事以来の湯島天神です。

受験の季節も過ぎて、お礼参りに来た人たちがチラホラ・・・。

ここでも、学問成就を祈りました。

今月の下旬が例大祭のようで、その準備をしているようでもありました。
季節が巡るのを実感しました。
湯島の切通しを通って、池之端方面へ。

神田明神へ

亀戸から総武線の各駅停車でお茶の水へ。
亀戸天神の藤から、根津神社の躑躅を観ようと、お茶の水から千代田線に沿って歩こうとすると、途中に神田明神がありますよ。

今日は、夏のような気温になっているようですが、蒸し暑くないのが救いです。

ここでも、外国人とお年寄りが大勢いました。

ここでも、しっかりと柏手を打って、様々なお願いをしました。

江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。
江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されました。
そして今もなお、神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として鎮座しているという訳です。

手水舎の脇に、子馬がいました。

神馬だそうです。
この神田明神下の住人が銭形平次でしたよね・・、確か。

亀戸天神の境内で

天神様の拝殿の東側にある舞台では、藤まつりの余興の歌謡ショーが行われていました。

何て言う名前かは知りませんが、女性の演歌歌手のようです。

舞台の前で踊っているのは、埼玉県新座市の方々だと紹介されていたようです。

東門の脇に看板がありました。
どうやら、藤野とし恵という歌手のようです。
藤まつりだから藤野さん・・・・というベタな理由ではないでしょうが。

ところで、駅前の路地にある餃子屋さんの前に、長蛇の列が出来ていました。

今日も日本は平和です。

亀戸天神の藤の花

さて、楽しみにして行った亀戸天神の藤の花。

残念ながら、盛りは過ぎてしまっているようで、鮮やかに・・・という状態ではありませんでした。

それでも、場所により、薫風になびく花を観ることが出来ました。

それにしても、昼下がりだったこともあって、境内は大勢の見物客で混雑していました。

杖をついたお年寄りも多かったです。
盛りは過ぎていても、今日来て良かったかもしれません。
連休の後半の5日や6日には、ほとんど見られなくなってしまいそうですから。

亀戸天神

スマホのカメラも使えるようになったので、ダイエットも兼ねて、ブラブラしようということで。

まず向かったのは、藤の花が咲いているかもしれない亀戸天神。
駅前の十三間通り(明治通り)は歩行者天国。
天神様の参道も大混雑です。

せっかく来たんだからと、拝殿にお詣りをしました。
今日は、犬の日なので、安産祈願ということですが。

今日は、人混みの中ですが、こういう場所に来ると、何となくホッとするのは、やはり日本人だからでしょうか?

スマホ修理

「SDカードがマウントされていないか挿入されていません。」…?
スマホ修理
よく訳の分からないコメントが出て、スマホのカメラが使えなくなってしまいました。
連休中の落語徘徊にも不便なので、初めて「ドコモショップ」という所に行くことにしました。
見てもらうと、どうやらカードそのものが壊れてしまったようです。
・・・ということは、今までの写真などは見られないということ?
随分柔なものなんですね。
やはりアナログは必要ですね。
仕方がないので、今までの「2GB」から「16GB」の大容量のSDカードを買うことにしました。
ついでに、500ドコモポイントを使って、電池パックも交換しました。

師匠の新しい指南連

我が落語っ子連から始まり、噺っ子連・扇子っ子連・羽織っ子連・・・と、師匠がご指導されている素人落語グループは、両手に余ります。
そしてまた先月、新しい連がスタートしたようです。
師匠のブログ。
 念願の、
 日野市における落語指南所、開設。
  ネームは 仕方っ子連・日野亭。
日野市では、日野本陣などで、以前から師匠の会がありますから、なるほどという感じ。
私の記憶では、あの「3.11」の直後、まだ交通が混乱している中を、師匠は日野の落語会に行かれました。
メンバーはまだ3名だけのようですが、大きくなりますように。
ご参考までに、師匠の落語指南所はこんなにあります。
  ◇落語っ子連・三流亭    ◇語りっ子連・紅巣亭
  ◇扇子っ子連・千早亭    ◇羽織っ子連・要亭
  ◇洒落っ子連・千川亭    ◇手拭いっ子連・広場亭
  ◇習いっ子連・三園亭    ◇笑いっ子連・N文亭
  ◇聞かせっ子連・深沢亭   ◇噺っ子連・有難亭
  ◇下げっ子連・大塚亭     ◇仕方っ子連・日野亭
今回の日野亭を入れて、何と12グループです。

新入部員

A873b7f40a10da9fbb51ec546e92d867_no 落研のツイートです。
今年度は約5名ほどの新入生が入部してくださいました。
二年生によると「今年度も小噺から教えていく」とのこと。
ご贔屓お引き立ての程を、よろしくお願い申し上げます。
”入部してくださいました”という表現が可笑しい。
やはり、少子化の世の中、落研に入ろうなんていう若者は、"金の卵"なのかもしれません。
楽しみなことです。

2014年5月 2日 (金)

八十八夜

bud今日は八十八夜、立春から数えて八十八日目。
春から夏に移る節目の日で、これから夏の準備を始めます。
八十八夜は"雑節"のひとつとされているんですね。
八十八夜と言えば、やはりお茶でしょう。20140502k0000e040176000p_size5
以前、勤務したことのある狭山茶で知られる埼玉県入間市では、「八十八夜新茶まつり」が開かれたそうです。
地元では「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」とうたわれるとのこと。
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郷里も茶どころですから、幼い頃は、家族で茶摘みをしたものです。0010020000022
「八十八夜」に摘んだ新茶を飲むと長生きをすると言われているそうです。

今年の新人の「型」

drama公益財団法人日本生産性本部は、例年「今年の新入社員のタイプ」を発表していますが、平成26年度の「新入社員のタイプ」は「自動ブレーキ型」だそうです。
「困難な壁にぶつかる前に未然に回避する傾向がある」からだとか。
ちなみに、この10年ぐらいは、以下のような感じ。
  平成25年度 「ロボット掃除機型」
  平成24年度 「奇跡の一本松型」
  平成23年度 「はやぶさ型」
  平成22年度 「ETC型」
  平成21年度 「エコバッグ型」
  平成19年度 「カーリング型」
  平成18年度 「デイトレーダー型」
  平成17年度 「ブログ型」
  平成16年度 「発光ダイオード型」
  平成15年度 「ネットオークション型」

・・で、私の時は、「お子様ランチ型」だったようです。Okosamaranti1
何でも揃って綺麗だが、幼さ抜けず歯ごたえなしということで。
分かったような、分からないような・・・。
当たっているような、違っているような・・・。

歌丸師匠復帰

notes病気のため入院していた桂歌丸師匠が、昨日から元気に復帰されたそうです。
が、満身創痍で、老骨に鞭打つ姿は、お労しい・・・。
「笑点」が来年50周年を迎えるので、一層頑張るという・・・。

2014年5月 1日 (木)

創作落語300題

bell桂文枝師匠は、創作落語300題を目指しているそうで、先日の独演会でのネタ下ろしで、235作目になったそうです。
これも凄いと思いますが、やはり「圓窓五百噺」も凄いと思います。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/10/post-f128.html
ちょっと五百噺の一覧表を見ると、私が演らせていただいている23題のうち、20題が含まれていました。
含まれていないの3題は、「鬼子母神 藪中の蕎麦」と「揺れるとき」と「笠と赤い風車」です。
前2題は、師匠の創作ですが、五百噺終了後の創作。
「笠・・・」は、平岩弓枝さんの創作ですから。
まだまだ、チャレンジしたい噺はどっさりありますね。

農協のゆるキャラ?

budまたまた田舎(郷里)の話題で恐縮ですが・・・・。
田舎の農協でも、イメージ戦略を考えているんですねぇ。
「JAふじかわ」のマスコットキャラクターというのがあるんだそうで。
どうせ、案山子か蛙あたりだろうと思ったら、とんでもない。
左から、「ゆっこ」・「ぼーの」・「ちゃぱ」・「のっこ」というそうです。

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わが郷土の農産物である柚子・あけぼの大豆・お茶・筍をキャラクター化したもののようですが、お茶と筍は何とか分かりましたが・・・・。
よく見ると、顔はみんな同じですね。
被り物?が違っているだけのようです。

鈴々舎馬桜師匠から

event鈴々舎馬桜師匠から、もう恒例となっている、お江戸日本橋亭での「黄金週間鈴々舎馬桜独演会」の告知メールが届きました。
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実は、ここのところご無沙汰しています。
ちょっと気になる内容の会もありますので、どうせ連休は暇を持て余すのでしょうから・・・。
◆5月2日(金曜日)
第一部(11時40分開場・12時開演・14時10分終演)
     ☆=初心者の為の落語会=
     【子褒め】【てんしき】【井戸の茶碗】
第二部(14時40分開場・15時開演・17時10分終演)
     ☆=中級者の為の落語会=
     【ぞろぞろ】【鰻屋】【ねずみ】
◆5月3日(土曜日)は休席
◆5月4日(日曜日)
第一部(11時40分開場・12時開演・14時10分終演)
     黒門町(八代目・桂文楽)に挑む
     【景清】【鰻の幇間】【大仏餅】
第二部(14時40分開場・15時開演・17時10分終演)
     志ん生師に挑む
     【黄金餅】【蜆売り】
◆5月5日(月曜日・祝日)
第一部(11時40分開場・12時開演・14時10分終演)
     三遊亭円生に挑む
     【文違い】【猫怪談】
第二部(14時40分開場・15時開演・17時10分終演)
     円朝座=ひとり円朝座=  
     【牡丹灯籠・関口屋ゆすり】【芝浜の革財布】
◆5月6日(火曜日・祝日)
第一部(11時40分開場・12時開演・14時10分終演)
     志ん生に挑む・その二
     【火焔太鼓】【富久】
第二部(14時40分開場・15時開演・17時10分終演)
     黒門町に挑む・その二
     【心眼】【愛宕山】【松山鏡】
しかし、それにしても、黒門町・日暮里・柏木の師匠の存在というのは大きいんですね。
個人的には、5日の第一部で「猫怪談」がネタ出しされていますから・・。

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