« 大横川の桜 | トップページ | 落語っ子連稽古会 »

2014年4月 6日 (日)

師匠と落語談義

落語っ子連の稽古。
定刻の9時より早めに稽古場に着き、座布団を出したりしていると、師匠が入っていらっしゃいました。
「おはようございます。師匠、昨日の千早亭には、打上げまでお付き合いいただいてありがとうございました。」と、まずは昨日のお礼。
師匠と落語談義
師匠と二人きりでいる時は、何も喋らず黙っているだけでも、何か楽しい気がするのです。
師匠はこれから、午前中は我々落語っ子連の稽古、午後は「紅巣亭」の稽古ですから、1日で15人くらいの素人のご指導を、同じ和室でおやりになります。
プロの噺家さんですから、落語をお演りになるのは、一日何席もということがあると思いますが、人の噺、それも下手くそな素人たちのを聴くのは、かなりの体力・忍耐力が必要だと思います。
ところが、いつも楽しそうにしていらっしゃる・・・。
「あたしはね、昔から落語を演るよりも聴く方が好きなんだよ」なんて仰っていますが、それにしてもと・・・。
でも、それだから、数多くの連の素人の指導をしてくださることが出来るのでしょうから、我々にとっては実に幸せなことです。
師匠との会話は、やはり「大工調べ」の話題になりました。
先日、師匠が考えられた新しいストーリーに対して、私の意見を述べさせていただきました。
既成の「大工調べ」という噺の骨格を残すとすると、以下の3点
・与太郎は親孝行であること
・江戸っ子の啖呵は不可欠で、その啖呵をきるには強い原因が必要
 (啖呵の正当性が必要)
・いつものように情け深い超法規的な大岡裁きであること・・は、外せないと思います。
そうなって来ると、やはり勧善懲悪となり、誰かを悪人にしないといけません。
しかし、与太郎は落語国のヒーロー、江戸っ子の啖呵はこの噺の肝ですから、大屋さんを因業にするしかないと・・・。
例えば、与太郎は親の介護でなかなか仕事に出られず、店賃をためている、大家は、見舞いもせずに、店賃の催促ばかり。
介護の合間に来た仕事の手当は、巻き上げて店賃に入れてしまう。
それでも、店賃の滞納は増えるばかり。
棟梁が、母親がいくらか良くなったと聞いて、少し長期間の仕事を持って来てやる・・・。
棟梁が入れ知恵をした台詞を与太郎が大家に言って怒らすのではなく、ずっと下手に出ていたが、ふともらした棟梁の言葉に、大家が怒り出すという設定でどうでしょうか

こんなところをベースに、この噺は、ストーリーの整合性よりも、啖呵がメインになってしまっているという宿命から、噺を構成して行かなければいけないということなんです。
師匠も、「う~ん・・・・、あたしは大家を悪者にしたくないだれどねぇ・・・、でも、そうするしかないのかなぁ・・」。
「ところで、昨日の流三(永久)さんの通夜の猫を聴いていて思ったんだが、この噺の大家さんは良い大家さんなんだよな。だから、大家さんが全部悪人ということじゃないんだよな。・・・それなら正反対の悪い大家がいてもいいのかなぁぁ」。
・・・楽しい会話が続きました。

« 大横川の桜 | トップページ | 落語っ子連稽古会 »

師匠」カテゴリの記事