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2014年4月

2014年4月30日 (水)

空き家率全国No,1

妹からメールが来ました。
郷里にて
今朝テレビを見ていたら、空き家率が一番高い山梨県、という話題が出てきて、南部町が!
そして取材を受けてお話ししていたのは「TS」君でした。
8,000人の人口が、年々200人ずつ減っているのだそうです。
http://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00015/
・・・郷里の同級生で、町役場の職員をしている「TS」君がテレビに出ていて、その話題が「空き家」「人口減少」・・・。
そういえば、週末に島根県の人口が70万人を切ったというニュースがありましたが、女婿が出雲市の出身なので、昨日自宅に来て食事の時の話題になりました。
ところが、偶然にも、先週長男夫婦が、会社の異動で松江に赴任したので、女婿が「人口増(+2)に貢献してくれましたね」と・・・。
ところが、「(長男の)前任者が東京に戻るので、差し引きで+1にしかならない・・・」とか。
シャッター通りや空き家や・・・、寂しいものです。

卯月の落語徘徊

あっという間に過ぎた卯月。
躑躅と鯉と…
プライベートでも、大きな出来事がありましたので、忘れられない月になりました。
ところが、寄席・落語会には行くことができませんでした。
例月の東京落語会も、急用が出来て行かれず。
4月5日は「第8回千早亭落語会」でした。
想定外?の満員のお客様のご来場に驚きました。
「通夜の猫」を演りましたが、あるご贔屓から、嬉しい感想を頂戴しました。
土曜日は千早亭落語会お疲れ様でした。
Top11大盛会でしたね。
連員の皆さんの話芸を楽しみつつ、大変刺激になりました。
永久さんが演じられた「通夜の猫」聴き惚れてしまいました。
プロアマ問わず色々な与太郎を聴いてきましたが、うまく言えませんが、人として人間としての与太郎の奥行きの深さがとても心にしみました。涙が出ました。
以前聴かせていただいた「救いの腕」同様に、座布団の上の永久さんの回りに登場人物が、ストーリーが浮かび上がり引き込まれる感覚でした。
ありがとうございました!

千早亭落語会の高座姿
師匠も、他の連の発表会目白押しの中にも拘らず、最後のお楽しみの一席までご披露くださいました。

落語の稽古は、「落語っ子連」「扇子っ子連」とも、大変充実して来ていると思います。13967436338501
そして、何と言っても今月のハイライトは、「鰍沢in身延」です。Fujigawa
19日に、とうとう、ご当地身延での「鰍沢」の口演が実現しました。
聴いてくださった地元の方々も、噺をご存知の方、そうでない方に関わらず、ある程度後満足いただけたものと自負しています。
ついでながら、亡父の追善にもなりました。
Kajikasawa
そして14日、ブログのアクセス累計61万件になりました。
・・・高座名のことは、"継続検討"することにします。

歩きスマホ

歩いたり自転車に乗ったりしながら携帯電話やスマートフォンを操作して事故に遭い、救急車で搬送された人が激増しているそうです。
東京消防庁では、「自身が怪我するだけでなく、周囲の人を巻き込む恐れもあって危険」と注意を呼び掛けているそうです。
事故原因で最も多いのは、操作中や画面を見ているときで、次いで通話中。
年代別では40代、20代の順。
事故の形態は「ぶつかる」が約4割、あとは「ころぶ」「落ちる」。
搬送直後の怪我の程度は8割が軽傷ですが、入院や死亡に至ったケースもあったそうです。
そういえば、テレビでも、ACジャパンが「ながらスマホにマナーを」というキャンペーンを放映しています。
https://www.ad-c.or.jp/campaign/nhk/01/index.html
「江戸しぐさ」の発想が必要ですよね。

出鱈目

出鱈目というのは・・・、
[名・形動]
《さいころを振って、出たその目のままにする意》根拠がないこと。
首尾一貫しないこと。いいかげんなこと。
また、そのさまや、そのような言動。
「出鱈目」は当て字。
出鱈目の極致は、某国の沈没船の船長をはじめとする・・・ですが、国内にもとんでもない輩がいるものです。
ショッピングカートに洗濯機1台を載せたまま店外に出て車に載せて持ち帰ろうとした男。
居眠り運転で、中央分離帯を乗り越えて、反対車線を逆走したバス会社の社長。
遠足バスを手配し忘れたミスを隠すため、生徒を装い遠足中止を求める内容の手紙を学校に届けた大手旅行会社の社員。
IC乗車券の記録を消して不正乗車を繰り返した地下鉄駅員・・。
自己中心の世の中になると、とんでもないことをする輩が増えて来るものですね。
出鱈目という字を見ると、「棒鱈」という噺を思い出します。
「赤べろべろのぉ~・・・」っていうやつ。

2014年4月29日 (火)

百日法要

1月に亡くなった叔父(父の弟)の百日法要に参列しました。
叔父の自宅(富士市)近くの寺に新しく建立した墓に納骨しました。
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富士山を背にした安息の地にすることが出来ました。
幼い頃、一番可愛がってくれた叔父でした。
昨年3月に亡くなった父(実兄)の後を追うように逝きました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・・。

藤の花

亀戸天神の藤の花が満開だそうです。Bmxw4x8cqaajsil
昨年も見逃しましたので・・、今年こそはと思いますが。

旭日小綬章

春の叙勲で、柳家小三治師匠が「旭日小綬章」を受賞。
慢性閉塞性肺疾患と左側肋骨骨折で入院していた桂歌丸師匠が昨日退院。
30日まで自宅療養し、5月1日の東京・新宿末廣亭の寄席から復帰するそうです。
いずれもおめでたい話題です。

師匠のブログ

先日、真仮名さんが教えてくれた、師匠の久しぶりの寄席出演ですが、師匠もコメントされていました。
五月中席(11~20日)、
 池袋演芸場の昼席(12時30分~14時30分)
 圓窓と萬窓とが交互にトリを勤める。他に吉窓、窓輝も出る。
 圓窓12(月)[一人酒盛]、13(火)[鬼の涙]、15(月)[不孝者]
 18(日)[武助馬]、20(火)[明日ありと]
 萬窓11(日)[鼠]、14(水)[駱駝]、16(金)[百年目]、17(土)
 [寝床]、19(月)[小間物屋政談]
 圓窓、萬窓からのサービスハガキ持参の人には2500円の木戸
 銭を2000円にします。
 すごい割引きだね、、、。
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・・・ところが、行けないんだよなぁぁ。

2014年4月28日 (月)

推計人口

島根県の、今年4月1日現在での推計人口が70万人を切り、約69万7千人になったそうです。
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70万人を下回るのは、1920年に国勢調査が始まって以来、初めてだとのこと。
高度成長期に若年層が都市部へ流出したことや、少子高齢化を背景とした人口の自然減などが原因。
ピークは55年の92万9千人で、2040年には約52万1千人に減少すると予想されるそうです。
推計人口は、5年に1度の国勢調査の人口を基に、毎月の出生、死亡、転入、転出のデータを加減して推計した人口ですが、我が山梨県は86万人程度ですが・・・、似たようなものでしょう。

長寿銭

「昔からな、本卦還りと言って、数えの61歳を過ぎて亡くなったらば、おめでてぇって言ってもいいんだ。与太郎、お前のお父っつぁんは幾つだ?63(歳)だろう?だからおめでてぇんだよ」・・・。
「通夜の猫(猫怪談)」で、大家さんが与太郎に言って聞かせます。
ところが、人生80年のこの世の中、還暦直後に亡くなったら、とてもおめでたいとは言えなくなりました。
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知人のご母堂が、90歳で亡くなったそうです。
そこでは、90歳を過ぎて亡くなると、おめでたいということになるそうで、会葬御礼に、「長寿銭」と書いた赤いポチ袋が付いていました。
長寿のご縁にあやかろうと、5円玉が入っていました。
そう言えば、実家の近所のお婆さんが100歳の天寿を全うしたときにも、長寿をお祝いする100円玉の入ったポチ袋をいただきました。

東京かわら版「天狗連」

東京かわら版の5月号。
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41ページに「お江戸あおば亭」の情報が掲載されています。
・・・は良いのですが、主催者名が入っていませんでした・・。
私の、掲載申込みのやり方が拙かったかもしれません。
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これですから、よろしくお願いします。

2014年4月27日 (日)

中山法華経寺鬼子母神

門内のお茶屋さんも、すっかり初夏の装い?
祖師堂から五重塔を眺めると、若葉が清々しい。1193789455682590_1
大仏様も気持ちが良さそうに鎮座されています。13946354
立派な鬼子母神堂の中に、昔からあるお堂があります。Hokekyo16
ちょうど、読経が行われていたので、後ろに正座して、手を合わせました。
思うところがあり、一日で巡った江戸三大鬼子母神参りでした。
鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる入谷鬼子母神(真源寺)、雑司が谷の法明寺鬼子母神堂、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である。
(江戸三大鬼子母神)。

雑司が谷-日暮里‐中山

鬼子母神前から来た道を戻ります。
大塚から山手線に乗って、日暮里で京成線に乗り換え。K1300b04015_shop
日暮里駅のエキュートには、「濱文様」手拭い屋さんがあります。
また、「鰍沢」と「明烏」に合いそうな柄を探しました。
「抜け雀」と「一人酒盛」にどうか、というのがありました。
無駄遣いをしないでお預けにしました。
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京成の日暮里駅が変わってしまって驚きました。
あの京成線とは思えません。
各駅停車の臼井行きに乗りました。1326f903
京成中山駅で下車をするとすぐが、中山法華経寺の参道です。
江戸三大鬼子母神めぐりの最終です。

雑司が谷鬼子母神

昨年12月の「はしご落語会」の後、「鬼子母神 藪中の蕎麦」のお礼参りに来て以来です。
参道の欅並木も、新緑が瑞々しく、とても気持ちがいい。Fukutoshinh20061420068
案内処にも立ち寄りました。
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「ワンコイン落語会」のチラシが置いてありました。
「第1回目は、私と師匠が出演したんだぞ!」
「その時、師匠が『鬼子母神 藪中の蕎麦』をお演りになったのを聴いて、私もチャレンジさせてもらったんだぞ!」
「去年の『はしご落語会』で、『すすきみみずく』の絵本の宣伝もしたんだぞぉ!」
・・・と、心の中で叫びながら。
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元禄風車というのもありました。
当時の風車はこんな形のものだったのでしょうか?Kishibojin003
鬼子母神堂で、南無妙法蓮華経・・・・。Kamakura_kishimojin
さて、次は・・・。

鶯谷-大塚‐雑司が谷

入谷鬼子母神にお参りした後、歩いてJR鶯谷駅へ。
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山手線を大塚駅で下車。
都電の大塚駅前駅から鬼子母神前駅に向かいます。

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いつもは混雑しているのですが、今日は比較的空いていました。
入谷の次は雑司が谷の鬼子母神です。

入谷鬼子母神

思うところがあって、鬼子母神をお参りしようと思いつきました。
入谷鬼子母神
まずは、入谷の鬼子母神。
夏の朝顔市は賑やかですが、普段はとても静かです。
入谷鬼子母神
ここは、法華宗の寺院で、南無妙法蓮華経は同じですが、日蓮宗ではありません。
入谷鬼子母神
お題目を唱えて、子授け・安産・子育ての鬼子母神に手を合わせました。
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将般闍迦(パンチーカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、常に人間の子を捕えて食べてしまうため、多くの人間から恐れ憎まれていた。
それを見かねた釈迦は、人間を救うと共に彼女をも救済することを意図して、彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ 嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦)を隠した。
彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、子を失う親の苦しみを悟らせ、仏法に帰依させた。
かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。
盗難除けの守護ともされる。
入谷鬼子母神
さて、次は・・・・。

落語DEデート

気持ちの良い朝です。
  ◇ 稽古屋        古今亭志ん生Yjimage15wvywpd_2
昔は習いごとが盛んで、小唄に限らず、清元、義太夫など多数ありました。
師匠には女の人も多数いましたので、もめごともあったようです。
喜六は、女にもてたい一心で、御隠居の甚兵衛さんに相談します。
隠居の薦めで早速向ったのが小唄の師匠の家でした。
「甚兵衛さんの紹介できました。初会でやす」、どこかと間違っているようでございます。
師匠は懸命に教えますが、どうも筋がよくありません。
この間、師匠は小唄を伝授しているのですが、がなり立てているだけです。
「じゃあ、帰ったら、(他人の邪魔にならないように)高い所で、大きな声で練習しなさいな」と本を渡されます。
喜六は、「高けえ所と言やあ、長屋じゃ屋根の上だ」と大声を張り上げます。
師匠の大声を上げろとは、大きな声で歌い続けると声が安定するとの意味だったのですが・・・・。そして、喜六は、「海山を、越えてこの世に住みなれて、煙が立つる」と歌いますが、高音の「煙が立つ」で引っかかります。
「煙が・・・・、煙が・・・・」と屋根の上で喚き散らします。
びっくりしたのが長屋の衆です。
「火事だって? いってえ、場所はどこだ」
「海山越えて~」
「そんなに遠けりゃ大丈夫だ(あるいは、"そんなに遠けりゃ、見に行けねえ")」
「音曲噺」というカテゴリーの噺で、あまりポピュラーではありませんが、時々聴くことがあります。
馬生師匠、志ん輔師匠や、若手の文菊さんなどで何度か聴いています。
古今亭の噺なんでしょうか・・。

江戸下町伝統工芸館

昨日の徘徊で、ひさご通りを歩いていると、半ばあたりに「江戸下町伝統工芸館」というのが、さりげなくがありました。
入場無料だと書いてありましたので、それならばと。
江戸下町伝統工芸館
江戸簾(すだれ)・東京桐たんす・江戸指物など、約45業種350点余りが常設展示されているそうです。
立派な長火鉢がありました。
1階ロビーの階段の近くには、鷲神社の熊手が飾ってありました。
江戸下町伝統工芸館
浅草のある台東区あたりは、江戸の昔からの庶民の町、江戸文化発祥の町であり、商業・文化の中心地として栄えてきました。
今なお、江戸時代からの神社仏閣や、粋でいなせな町人気質、職人が培った伝統産業など、江戸の面影を残す都内随一の史跡、文化を擁しています。
このような下町の歴史と風土の中で育まれ、受け継がれてきた伝統技能を伝える職人さんが台東区には多く、鍛えられた技と選び抜かれた材料とで作る伝統工芸品には、量産製品からは感じとることのできない暖かな温もりと味わいがあり、私たちに豊かさと潤いを与えてくれます。
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このような伝統工芸品を広く紹介するために、平成9年にオープンしたそうです。
1階では、傘作りの職人さんが実演をしていましたが、来館者は、私だけでした。

高座手拭い

浅草の「かまわぬ」に行って、「鰍沢」と「明烏」の高座で使う手拭いをと。
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数々の種類、色彩の手拭いが陳列されています。
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「鰍沢」は、冬の噺で、やや宗教色のある噺ですから、春から夏の物が中心の今では、なかなか見当たりません。
雪と月だとか、雪山とか・・・、そんな柄が良いのでしょう。
「明烏」は、季節色はあまりありませんが、どんな柄が良いか・・・。
3月の「深川三流亭」では、結局、お熊が吉原の花魁だったという設定なので、「吉原つなぎ」を選びました。
先日の、身延での「鰍沢」の時も、同じ手拭いを使いました。3579_1
「明烏」などは、まさに吉原に行く噺ですから、やはり、こんなパターンで考えるのでしょうか・・・。
「一人酒盛」は、酒や徳利の柄にするのかなぁぁ。

2014年4月26日 (土)

ゆづるくん

フィギュアスケートのゴールドメダリスト羽生結弦選手のパレードが、仙台で行われたそうです。

ソチ五輪フィギュアスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手の凱旋を祝うパレードが、出身地の仙台市中心部で催された。
沿道には、9万2千人のファンが詰めかけた。
羽生選手らを荷台に乗せた大型トラックは、午後1時40分に市中心部の繁華街を出発。羽生選手は首に金メダルをかけ、終始笑顔でファンに手を振っていた。

途中、資金がなかなか集まらないなんて言われていましたが。

地元の英雄ですから、さぞや賑やかなパレードだったことでしょう。
去年は、楽天球団が日本一になってパレードが行われましたが、こういうことは、被災地故に、必要なイベントなのかもしれません。
 改めて、おめでとう。

火事騒ぎ

松戸駅に着いて、駅前のスーパーの中を通って帰ろうと、店内に入ると・・・、「ただいま、1階の火災警報が鳴動しました」とのアナウンスがありました。
「状況が判明次第、再度お知らせします」ということでした。
火事騒ぎ
しかし、そのうちに、店員さんが、「念のため、店外に出てください」と誘導を始めました。
特に、店内放送はありませんでした。
火事騒ぎ
私は、もとより通り抜けるだけのつもりでしたから、多くの人たちに混じって外に出て、自宅に向かいました。
途中、その現場に向かうのでしょう、消防車が何台も、サイレンを鳴らして通り過ぎて行きました。
大したことはないと思いますが・・・。
それにしても、日本の消防体制もまた、素晴らしいですね。
まだ、それほど時間が経っていないのに。
これくらいなら、「臥煙」の藤三郎の活躍の場はありませんね。

珍景

浅草観音堂から、「はなし塚」のある本法寺の前を通って蔵前まで行き、春日通りを御徒町方面に歩きました。
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六区の、浅草演芸ホールの近くでは、大道芸の前に人だかりがしていました。
珍景
このあたりも、建築中の建物が多く、暫くすると全く景色が変わって行くでしょう。
春日通りのこの区間を歩くのは初めてかもしれません。
途中に、「川柳発祥の地」という石碑がありました。
宝暦7年(1757)8月25日, 当地 (旧浅草新堀端天台宗龍宝寺前)里正 柄井八右衛門, 無名庵川柳と号し, 初 めて万句合を開巻す。
爾来文運旺んに, 逐には文芸の名をもって呼ばれ, 今日に至る川柳隆盛の礎を開く。
本年その 250年に当たって後学相諮り, 一碑を 建てて開祖の遺業を顕彰し, 永く歴史に留めんと祈念するものなり。
    平成19年8月25日
                        川柳250年実行委員会83cb2f39
御徒町駅を右に折れて、アメ横へ。
御徒町駅前の「吉池ビル」が新築オープンしたようで、これまた賑やかでした。
珍景
新築の吉池ビル前では、チンドン屋さんが、ビルオープンの宣伝をしていました。
こういう景色が似合う街です。
上野駅から帰ることにしました。
歩数は、12,000歩ぐらいになったでしょうか。

観音様の裏手

「明烏」をやります。
浅草の観音様の裏の方にある、とてもご利益のあるお稲荷さんが舞台になっていますから、そこいらあたりを徘徊しようと・・・。
観音様の裏手
馬道から、山谷堀の跡と思しき歩道を歩きました。
観音様の裏手
観音様の北側をぐるりと回って、千束通りからひさご通りに戻りました。
花やしきの西側で、ここが観音様の西参道になります。
観音様の裏手
ひさご通りも、花やしき通りも、独特の雰囲気です。
昼前だというのに、ホルモンや焼き鳥の店が開いていて、大勢のお客さんが飲んだり、食べたりしています。
一人でなく、誰かと一緒に来て、飲みたいものです。
この国も、まだまだパワーがありますよ。
源兵衛と多助が出て来そうな雰囲気でした。

躑躅と鯉と…

観音堂の西側の広場には、躑躅(ツツジ)が満開、その上を鯉のぼりが、清々しい風に乗って、気持ちよさそうに泳いでいます。
躑躅と鯉と…
ちょっと、引いて景色を眺めると、借景に東京スカイツリーを望むことが出来ます。
躑躅と鯉と…
いつまでも平和な国であって欲しいと、つくづく思います。

浅草観音堂

何気なくしていると、足が自然に向いてしまいます。
銀座線を田原町で下車し、浅草六区から伝法院通りを通って、仲見世へ。
浅草観音堂
連休の初日ではありましたが、それほどの混雑ではありませんでしたが、やはりお祭りみたいに賑やかです。
外国人観光客の多いこと・・・。
浅草観音堂
色々な思いを、手を合わせながら、観音様にお願いしました。

立ち読み

健康のため、減量のため、ウォーキングに。
立ち読み
上野駅の本屋に、「東京かわら版」が積んでありました。
いつものように、我が家にはまだ届いていません。
「天狗連」のページが気になっていたので、立ち読みをして確認することにしました。
ありました、ありました。
「お江戸あおば亭(第7回)」・・・。
出演者の名前と日時・場所・無料。
とりあえず安心して、さぁ、どこを歩こうかなぁぁ。

真仮名さんから

江戸崎の噺っ子連の「有難亭真仮名(まかな)」さんから、メールをいただきました。5b43c2775f1be09df0ff34ebf09949ee
師匠が池袋演芸場の5月中席の昼に萬窓師匠と交互でトリでご出演されます。
噺っ子連の梅八兄さんから連絡があり、萬窓師匠のブログに演目が出ているということで確認しました。
5月12日に圓窓師匠が「一人酒盛」をやられるそうですよ!
・・・早速、萬窓さんのHPを見ました。
◆5月11日~20日  池袋演芸場  12:30開演
  圓窓と萬窓が交互にトリと仲入り前を務め、トリの演目は
  ネタ出しをいたします。
【トリ演目】
  11日 萬窓 『ねずみ』   12日 圓窓 『一人酒盛』
  13日 圓窓 『鬼の涙』   14日 萬窓 『らくだ』
  15日 圓窓 『親不孝』   16日 萬窓 『百年目』
  17日 萬窓 『寝床』     18日 圓窓 『武助馬』
  19日 萬窓 『小間物屋政談』
   20日 圓窓 『明日ありと』
【出演者】
   圓窓 萬窓 吉窓 窓輝 小里ん 正朝 圓太郎
   三平/木久蔵(交互) 正楽 小円歌 ロケット団
   ストレート松浦 鏡太/う勝(交互)Yjimagen5tl1lwk
是非とも聴きたい!
ところが、12日は月曜日、しかも昼席・・・。
さらに、大阪出張で、前日大阪に行きますので、100%行くことが出来ません・・・。
「鬼の涙」「不幸者(親不孝)」「武助馬」「明日ありと」と並んで、師匠が選ばれた演目に「一人酒盛」があるのが嬉しいです。
師匠は、ご自身の高座のことは、あまり宣伝されたりしませんから、真仮名さんに教えてもらわなかったら、きっと分からなかったことと思います。
真仮名さんに感謝です。
200906061815001_2_2その真仮名さんは、「芝浜」にチャレンジしているそうです。
ご本人は、高く厚い壁に心が折れそうだなどと仰っています。
師匠のご指導も厳しいし…と。
師匠は、大きな噺だから、そこそこ出来れば良いということではなく、やるからにはしっかりやりなさいという考え方ですから、大きな噺ゆえに、ご指導・アドバイスは多く・厳しくなるんだと思います。
尤も、そもそも技量が追いつかない人にはやらせませんから、きっと期待していらっしゃることでしょう。
ご本人も、何とか登場人物の気持ちをつかめるようにと、頑張っているようで、頼もしい限りです。
女性が演じる「芝浜」。
さて、どんな素敵な噺に仕上がるか、楽しみです。
そう言えば、昨年2月、師匠が稲敷市で「指相撲」のネタ下ろしをされた時、「いずれこの噺も誰かに・・・」というニュアンスのコメントがありましたが、真仮名さんが、この長講を受け継いで行こうとしているとのことでした。
これも、とても前向きで感性も豊かな真仮名さんに期待ですね。

2014年4月25日 (金)

山の日?

再来年の8月から新たに「山の日」という祝日が誕生する?
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山の日制定法案が、自民・民主・公明など与野党9党の賛成多数で可決する見込みだとのこと。
国民の祝日として8月11日を「山の日」に定め2016年施行。
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」というのが大義。
「海の日」があるのだから「山の日」もということ?
それなら、「森の日」「里の日」「原っぱの日」「川の日」なんていうんだって・・・。
それに、なぜ8月11日なんでしょう・・・?
法案は参議院に送られて、今の国会で成立する見通しだそうです。
TPPの方が大切だと思うのでありますが・・・。

東京かわら版

Entry_cover1405thumb188x3601995 そろそろ「東京かわら版」が届く頃です。
5月号には、「天狗連」のページに、24日開催の「第7回 お江戸あおば亭」の告知掲載を申し込んでありましたので、ちょっと楽しみです。
今までも、何度か掲載してもらってはいるのですが、寂しいことに、OBのメンバーでさえも、「東京かわら版の告知を見たよ」なんて言ってくれる人はいません。
やはり皆さん興味がないんでしょうね。
そんなものなんで゜しょう。
だから、自分で騒ぐしかありません。
個人的にはとても残念ではありますが、まぁそれはそれとして、多くの方々にご来場いただきたいものです。

今朝のお茶

今朝も2種類のお茶を。
今朝のお茶
遠藤製餡という会社の「あずき美人茶」と、小林製薬の「杜仲茶」。
片やポリフェノール、片やゲニポシド酸が含まれているという。
いずれも、緑茶を飲み慣れている私には、今まで飲んでみたもの全て、やはり美味くない。
明日からまた、浮気をしないで緑茶に戻ろうと思います。

大須演芸場再開?

こんな新聞記事があったそうです。Bl8jcacceaaychu
私にはあまり関わりはありませんが。

新旧交代?

霞が関のイイノビルの前あたりから、南側を見ると・・・。
新旧交代?
間もなくオープンする「虎の門ヒルズ」が目立っています。
その左側にチラッと見えるのは、「東京タワー」です。
目立たなくなりました。

GWの天気予報

ゴールデンウィークの天気予報が発表されたようです。
私は、あんまり関係ありませんが。
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関東・東海・北陸の概況です。
・4月26日(土)と27日(日)は晴れて、気温も上昇。
夏日となる所もある見込みで、日中は半袖でも過ごせるくらいの陽気の所が多いでしょう。
・4月28日(月)から29日(火)は雨で、一時的に強く降る可能性もあります。
その後も、5月1日(木)にかけて曇りや雨のぐずついた天気となるでしょう。
気温は平年並みの日が多いですが、土日との気温の差が大きくなりますので、服装選びにご注意ください。
・5月2日(金)以降、GWの終わり頃にかけては、晴れてお出かけ日和となる日が多くなる見込みです。
気温は平年並みかやや高く、過ごしやすい日が続くでしょう。紫外線が強いため、対策はしっかりと行いましょう。
今年は、大きな連休にはなりませんが、どうやって時間を潰すか・・・、悩ましい。

2014年4月24日 (木)

黄昏の日比谷公園

随分日が長くなりました。
黄昏の日比谷公園
午後6時半を過ぎても、まだ十分明るい。
今日は早めに仕事を切り上げて、銀座まで歩くことにしました。
日比谷公園の噴水も、花に囲まれて清々しく感じられます。
黄昏の日比谷公園
朝、猫が佇んでいた池の畔に、何やら黒い影が見えました。
今朝の猫でしょうか?
「一人酒盛」を手探りで語りながら、有楽町方面に向かいます。

ダイヤモンド富士

昔から馴染みのある富士宮市の「田貫湖(たぬきこ)」から、ダイヤモンド富士が見えたそうです。
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年に2度ぐらいしか見られない景色だそうです。
田貫湖は、幼い頃に家族でドライブしたり、中学生の頃にキャンプをしたり、とても懐かしい場所です。

場面設定

「一人酒盛」の場面設定。
この噺は、"一人芝居"的な演出でやりますから、特に場面設定が重要になります。
  場面設定
まず、長屋の間取りや、家具や調度のなどの配置をしっかり頭に入れないといけません。
主人公(一人で喋る)熊さんが、ちょうど真ん中に座り、留さんが土間から上がったあたりに座るという設定で。
あとは、燗をつけるやかん、徳利や湯呑み、七輪が置いてある場所、上げ板の位置などを確認して、イメージを固定します。
場面設定
次に、5合の燗酒を湯呑みで飲んで、次第に酔っ払って行く熊さんの変化の過程の演出の工夫が必要です。
注ぐタイミングと、飲むタイミングと量の表現も大切ですね。
さて、どうなりますことやら。

歩き稽古

二重橋前で下車すると、オバマ大統領来日対応でしょう警察官十数名で、二重橋方面に向かう通りを止める準備に大わらわでした。
歩き稽古
お濠端から日比谷公園に入りました。
まだほとんど覚えていない「一人酒盛」を、ストーリーとキーワードを繋ぎ合わせながら、ブツブツと・・・。
これが、師匠から言われる活字で覚えないようにするという、私なりに考えた稽古法です。
歩き稽古
公園内の心池のほとりに、何と猫がいました。
飼い猫ではないのでしょうか・・・?
歩き稽古
日比谷公園の入口にも、警察官が立っていました。
歩き稽古
街頭の灯りには、星条旗と日章旗が掲げられています。

難問

寝蔵師匠からOBのMLに以下の情報。Main
今朝の朝刊に、全国学力テストの問題が掲載されています。
なんと、中学国語Bに落語の問題が出ています。
「目黒のさんま」のあらすじと、上手、下手の説明があり、
問題は
・演者は顔をどちらに向けて話しますか
・「これがさんまか、、、、」のところを、あなたなら、どう演じますか
 五十字以上八十字以内で書くこと   等々、、、、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140423-00000098-san-soci
中学国語のB問題(活用力)では、題材として落語が初めて取り上げられた。
演目「目黒のさんま」のあらすじや落語家のしぐさなどを紹介した後、ある場面で自分ならどう演じるかを考えさせる出題も。
同研究所の勝野頼彦・教育研究情報センター長は「古典落語は現在も広く親しまれている伝統芸能であり、当時の文化や生活を想像することもできる。落語は、わが国に長く伝わる言語文化についての関心を高めるうえで適した題材」と出題の意図を説明する。

そして、さらに寝蔵師匠から・・・、
さて、あなたは、落語研究部OBとして、何点とれますか?
不合格者は、OB会名簿から削除、、、、???

オヨヨ・・・。
Simomeguro
昔の御身分の高い方々は、下々の庶民の生活はご存じありません。
ですから常々少しでも知りたいと思っております。
天候に恵まれた初秋の日。
お殿様がご家来を連れて、目黒不動参詣をかねての遠乗りにでかけました。
目黒(その頃、江戸の郊外だった)に着かれたのはお昼近くのことでした。
近くの農家から、秋刀魚を焼くいい匂いが漂っております。
その時、ご家来が「かような腹ぺこの折りには、秋刀魚で一膳茶漬けを食したい」といったのを聞きつけたお殿様、「自分もぜひ秋刀魚というものを食してみたい」とご家来に所望した。
さあ困ったご家来衆。
「秋刀魚とは下魚でございますゆえ、お上のお口にはいりますような魚ではございません」
といったものの、お殿様のお言いつけではしかたがない。
何とか農家のおじいさんに頼んで焼いた秋刀魚を譲ってもらうことにした。
お殿様は、生まれてはじめての秋刀魚がすっかり気にいられた。
お腹が空いていたことも合わさって忘れられない味になってしまった。
ところが屋敷に帰っても、食卓に秋刀魚のような下魚は出てこなかった。
ある日のこと、親戚のおよばれでお出掛けになりますと「なにかお好みのお料理はございませんでしょうか。なんなりとお申し付けくださいまし」というご家老の申し出に、すかさず秋刀魚を注文した。
親戚は驚いて、日本橋魚河岸から最上級の秋刀魚をとり寄せた。
このように脂が多いものをさしあげて、もしもお体に触っては一大事と、十分に蒸したうえ、小骨を丁寧に抜いて、だしがらの様になった秋刀魚を出した。
「なに、これが秋刀魚と申すか。まちがいではないのか?
たしか、もっと黒く焦げておったはずじゃが・・・」
脂が抜けてぱさぱさの秋刀魚がおいしいはずがありません。
「この秋刀魚、いずれよりとりよせたのじゃ?」
「日本橋魚河岸にござります」
「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」

高座名のこと

まだ最終結論を出すまでには至っていませんが。
慣れ親しんだ「金願亭乱志(らんし)」から「金願亭圓志(えんし)」に改名しようと思います。
「学生時代に名乗っていたよ」程度であれば、初代と二代目が並存していても構わないと思いますが、「お江戸あおば亭」や「OB落語会」といった落研OB会の活動のみならず、例えば「学士会落語会」等の外部の落語会に出演したり、ボランティア活動を行ったりする機会が増えて来ると、先代にご迷惑をかけてしまうことも出て来るかもしれません。
私自身も、自分の考え方で様々な落語徘徊を続けて行きたいと思いますので、お借りしていた高座名は、一旦先代にお返しした上で、せめて長い間名乗らせていただいた「金願亭」の亭号はそのまま使わせていただくことにしたいのです。
"金が欲しくて(願って)心(志)を乱していた"のが、"金は欲しくても心は丸(円)い了見"で、思い切りやってみたいと思います。
当初は、師匠につけていただいた「千早亭永久」にまとめようとも考えましたが、やはり落研OBとしてのステージでは、連続性のある名前にしておくことにしました。
ブログの「乱志&流三&永久の落語徘徊」という題名は、暫くそのままにしておこうと思います。
何か、圓生と志ん生を足したような、とてつもなく僭越な字面ではありますが、乱視が遠視になったということで、お許しいただきたいと思います。
「金願亭圓志」に、そんな気持ちを込めています。

2014年4月23日 (水)

今朝のお茶

今朝も2種類のお茶を買いました。
今朝のお茶
鹿児島大学と共同特許出願したという「ねじめびわ茶」。
鹿児島産びわ葉100%使用、天日干し・トルマリン石焙煎・・・。
もうひとつは、タニタ食堂シリーズの「有機黒烏龍茶」。
色々試していますが、結局は緑茶に戻りそうです。
お~い、お茶!

朝散歩

昨日は午後になって雨が降りましたが、今朝は回復。
稽古会で師匠に褒められたので、とても良い気分で、「一人酒盛」の高座本をチラチラ読んだ後、日比谷で下車。
朝散歩
日比谷公園も平和な佇まいですが、今日はちょっと変わっている点がありました。
朝散歩
公園の入口や園内に、警察官が立っていたり、巡回していたり。
朝散歩
アメリカのオバマ大統領が、国賓として来日・・・。
少し、ものものしい感じです。

一人酒盛

一昨年7月の「紀伊國屋寄席」で、師匠の「一人酒盛」を聴いて、いつかは・・・と思っていた噺です。

http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/07/post-0633.html
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その時の師匠のブログのコメントは。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201207/article_8.htmlImg10331225764
あらすじは、下記のとおりですが、師匠の演出は、ひとひねりされていて、"完全一人演技"にしてあるんです。
つまり、登場人物3人で、喋るのは1人だけ。
全編が、ト書きもない、一人語り(喋り)になっているのです。
うまい酒を貰ったから一緒に飲もうと、留さんを呼びつけたのが飲ん兵衛の熊さん。
肴は何にも要らないが、格好がつかないからと、留さんに刺し身を買わせて漬物を出させて、燗の用意までさせた。
ちょっと一口試してみようと口を付けなが「飲み友達は沢山いるが、留さんが一番好きなんだよ、二人でじっくりやろうよ」
「そう言われると嬉しいねぇ、で旨いかい」
「飲んでる時にせっつくんじゃねぇよ、もう一本熱いのを取ってくれ」
しゃべりながら延々と一人で飲み続けた熊さんが気分よく酔って、留さんに何か歌えというが、素面じゃ歌えねぇ。
だんだんぞんざいな口になり、終いに留さんを馬鹿呼ばわり。
とうとう留さんが一杯も飲まないうちに酒が無くなってしまった。
留さんが怒って飛び出すと、近所のおかみさんが飛び込んで来て、どうしたんだい、喧嘩でもしたのかい。 
「留公なら放っときな酒癖が悪いんだから」
さながら、「一人芝居」へのチャレンジです。

これからの噺

再度、これからチャレンジする噺を整理してみました。
  ○ 5月 お江戸あおば亭   「鰍沢」
  ○ 9月 千早亭落語会     「一人酒盛」
  ○ 9月 深川三流亭      「明烏」
  ○ 9月 OB落語会       「・・・・・」
「鰍沢」は、「素人風情が"鰍沢"なんて」などとと言われないように、練り上げたいと思います。
さて、OB落語会・・・どうしようか・・・悩ましい・・。
例えば、今考えている、「麻雀亭駄楽」師匠の一字をいただいて「金願亭雀志」に改名したら、駄楽師匠の幻(伝説)の名演と言われる「蒟蒻問答」。
「金願亭圓志」ならば「紺屋高尾」なんていうのも趣向かも。
・・・しかし、OB落語会は、出演希望者が多いので、選考で外されるか、辞退せざるをえなくなるかもしれません。
来年の発表会は、「子別れ」にチャレンジしたいと思います。
もしかすると、師匠が手直しをされた「大工調べ」もありかも。

2014年4月22日 (火)

病院

「2週間ぐらい入院してみますか?」と、開口一番に言われてから3週間強。
あれから初めての受診です。
病院
先生や、その後の栄養士や運動療法士から指導されたことを、珍しく忠実に守りました。
おかげで、体重も2キロ以上減っているはずです。
採血と採尿をして、待合室で待っています。
病院私は血管が外から見えづらく、いつも係に人に苦労させますが、今日は一発で掘り当ててくれました。

林家あずみさん情報

林家あずみさん情報。
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本日の鈴本演芸場下席・夜の仲入り後に出演します。
下席の夜は、古今亭菊志んさんの芝居です。

楠正成

その楠正成のこと。

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。
尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。
鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。

・・・てな訳ですが、この方の逸話で有名なのが、「千早城の戦い」ではありませんか?
1332年(元弘2年、正慶元年)、後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった包囲戦。
千早城は上赤坂城・下赤坂城と並び、現在の大阪府千早赤阪村に位置する山城。

ほら、楠正成は「千早城」、私は「千早亭」、何か縁がありますよ。
230pxkusunoki_masashige1331年(元弘元年、元徳3年)に倒幕計画が発覚すると、後醍醐天皇は笠置山に挙兵し、楠木正成は河内赤坂において呼応した(元弘の乱)。
鎌倉幕府は討伐軍を派遣して鎮圧し、後醍醐天皇を隠岐島で流し、関係者も処罰されたが、正成は翌年にも千早城に拠り抵抗を続けた。
幕府方は、上下赤坂城を落とした後、楠木正成の1,000人の兵が守る千早城を大軍で包囲した。
古典「太平記」は、幕府方の兵力を「100万」と記している。
わずか1,000人の兵でも正成が抵抗を続けられたのは、石や丸太を崖から落としたり、鎌倉側の兵に油をかけ火を放った、などの奇策を使ったからだといわれる。
また、この情勢を見た地元の土豪などが、正成の軍に味方し、幕府軍を挟み撃ちするような状態になったからでもあるという。

幕府は有力御家人足利尊氏や新田義貞の離反を契機に滅亡し、楠木氏は後醍醐天皇が開始した建武の新政においても重用された。
なるほど、天皇方についたから、明治になって名誉回復し、皇居に像が建てられたんですね。
「千早亭楠光」なんていう高座名もよいかもしれません。

今朝の健康茶

今朝もコンビニで健康茶を買いました。
今朝の健康茶
伊藤園の「そば茶」と、タニタ食堂の「有機金花プーアール茶」。
韃靼そばの美を使用という、そばポリフェノール健康ルチン30mgという能書き。
一方、近の花〈麹菌〉食事の後にスッキリと・・とありますから、ランチの後に飲むことにしましょう。
何と言っても、健康のためなら命も・・・、ですから。

皇居外苑朝散歩

久しぶりの晴天なので、歩き稽古ではなく、ただの散歩。
皇居外苑散歩
今朝は、二重橋前で下車して、お濠端から日比谷公園に入るコースではなく、皇居外苑から祝田橋を通り、日比谷公園の西側に抜けるコースです。
皇居外苑散歩
外苑で目立つのは「楠正成像」。
小学校の修学旅行で、この像を見上げた記憶があります。
「楠正成って誰?」ぐらいなもので。
4月の今頃で、雨が降っていたのを覚えています。
皇居外苑散歩
日比谷公園に面している通りの歩道は、若葉のトンネルでした。
今日は、千早亭の稽古会ですから、何とか出席したいと思います。

廓噺・・・・

廓噺というのは、遊郭が舞台になっている噺です。Oldphoto5
遊郭は、公許の遊女屋を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画のこと。成立は安土桃山時代に遡る。
別称として、花街(はなまち、かがい)、廓(くるわ)、色里(いろさと)、遊里(ゆうり)、色町(いろまち)、傾城町(けいせいまち)などがある。「廓」は「城郭」と同じで、囲われた区画を意味する語。
一区画にまとめられたのは、その地の支配者が治安を守り風紀を統制することが目的だった。
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江戸時代、公許の遊廓以外にも、遊女の集まる場所として宿場町の飯盛旅籠(めしもり はたご)や門前町などの岡場所(おかばしょ)があった。
江戸に遊廓が誕生したのは慶長17年(1612年)。
駿府(今の静岡市)の二丁町遊郭から遊女屋を移して日本橋人形町付近に遊廓がつくられ、これを吉原遊廓と呼んだ。
吉原遊廓は明暦の大火で焼失。
その後浅草山谷付近に仮移転の後、すぐに浅草日本堤付近に移転した。
人形町付近にあった当時のものを「元吉原」、日本堤付近に新設されたものを「新吉原」とも言う。
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私が、今まで廓噺を封印していたのは、廓に対するネガティブなイメージがあったからです。
しかし、それを受け容れることも必要でしょう。
江戸時代の遊廓は代表的な娯楽の場、文化の発信地でもあった。
上級の遊女(芸娼)は太夫や花魁などと呼ばれ、富裕な町人や、武家・公家を客とした。
従って、芸事に秀で文学などの教養が
必要とされた。
江戸中期以降は度々取締りを受けながら、遊廓以外の岡場所が盛んになった。
遊廓自体も大衆化が進み、一般庶民が主な客層となっていった。
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考えてみれば、「鰍沢」でも、廓噺の範疇には入っていなくても、元花魁だったお熊が出、「千早振る」も、千早太夫が出て来ます。
http://yosiwara.net/category/yukaku
当時の廓遊びのルールを知って、そこにいた人々の生き様を思い演じるのも、落語の醍醐味ではないかと思い始め、"宗旨替え"をすることにしました。
「明烏」をはじめ、「居残り佐平次」・「紺屋高尾」・「お茶汲み」・「お見立て」・「五人廻し」・「三枚起請」・「文違い」・「品川心中」・「付き馬」そして「お直し」等々・・・。
廓噺を避けては通れないでしょう。

2014年4月21日 (月)

師匠のブログ

昨日の稽古会の模様を、早速師匠がブログにアップしてくださいました。
http://ensou-rakugo.at.webry.info/201404/article_3.html
今日の稽古会は、参加者は3人の演読。
出し物は若旦那シリーズでした。
で、、、たっぷりと指導。

(中略)
三流亭流三[明烏]、演読。
 廓噺の稽古は意図的に避けていたとか。
 それを解禁して初の廓噺口演に挑戦する。
 過日、故郷で念願のご当地噺[鰍沢]を披露したという。
 その折の土産の炭水化物をたっぷりと貰う。
 食事制限を強いられている彼は食べてないと言う。

・・・いやはや。
そうなんです。今まで廓噺は封印していたんです。
学生時代からずっと。
だから持ちネタには廓噺はありません。
窓口さんと越児さん私で、師匠を3時間も独占する至福な空間。
稽古にも力が入ります。
3人とも、落語が上手くなりたくて仕方のないオジサンたちです。 

レビン

懐かしい車名が復活しました。
レビン
トヨタ自動車が北京モーターショーで、 ショーのハイライトとなる新型「カロー ラ」と新型車「レビン」を初公開したそうです。
レビン
1970年代前半の「カローラ・レビン」や「スプリンター・トレノ」は、とても懐かしい名前です。
しかし、同名ではあるものの、片やスポーツタイプ、片やハイブリッドと、コンセプトが違いますから、イメージは一致しません。
最近の車は、みんな吊り目でぼってりとしてしまい、車名の区別がつきにくくなりました。
あの頃は夢があったなぁ・・と思うのは、歳を取った証拠?

今朝のお茶

金曜日のごぼう茶はちょっとハズレでしたから。

今朝は、定番の緑茶とほうじ茶にしました。
鹿児島産の「紅富貴(べにふうき)茶」と石川産の「加賀棒茶」。
茶どころ生まれの私は、お茶と言えば煎茶(緑茶)でしたが、最近はほうじ茶の良さも分かって来たような・・・。
とにかく健康のためなら命も要らないと思っていますから。
「加賀棒茶」はとても飲みやすいと思いましたが、「べにふうき」は、スッキリとした味と香りと表示されていますが、苦味が強い・・・。

艪の漕ぎ方

師匠が、窓口さんの「船徳」の読み稽古を聴かれた後で、「舟はどちらへ進んでいるのかな?」という質問・・・。
この噺、登場人物は多くはないのですが、その位置関係を設定するのが難しいのです。
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艪は、一番手元を右手で押さえ、左手を大きく前後に回すようにしますから、演者から見れば右側へ進むことになります。
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・・ということは、客席からは、上手から下手(右から左)に横切るように進んで行くということです。
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だから、船頭になりたての若旦那の徳さんには、お客さんは前方、即ち右側(下手)にいるということになります。

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写真でみると、どの舟も、船頭さんの向きは同じです。Imgb3dad22fzik1zj
確かに、今まであまり意識していませんでしたが、こういう設定は本当に重要だと思います。
これって、プロの噺家さんでも徹底していないような気がするんです。

高座本

師匠の高座本を新たに11冊入手しました。
高座本
とにかく貴重な資料でもあり、落語を演るテキスト(ネタ本)にもなり、自分の好きな噺を中心に、少しずつお願いをして、もう70~80冊ぐらいになると思います。
今日頂戴した高座本は、以下のとおりです。
  ・湯屋番   ・百川   ・天災   ・叩き蟹   ・普段の袴
  ・雛鍔   ・ちりとてちん  ・木乃伊取り   ・目黒の秋刀魚
    ・だくだく   ・チャンコの恩返し(一本刀土俵入り)
師匠は、古典でも、オチを変えているものが多くあります。
「ちりとてちん」も「だくだく」も、通常のオチの台詞で終わらせずに、その後に新たなオチを設定しています。
それにしても、やりたい噺がたくさんあります。

岩手大学落語研究会発足

こんなツイートを見つけました。
「岩手大学落語研究会」
2014年4月に発足しました。
落語、漫才、コントなど、いろいろとやっていこうと考えています。
部員募集中!
一緒に面白いことやっていきましょう!
・・・結構なことですなぁぁ。
でも、漫才はともかく、コントは落研でやらない方が・・・。
と、オジサンは思うのですが。(余計なお世話か・・・)

2014年4月20日 (日)

深川から上野へ

稽古の後、門前仲町の駅で越児さんと別れて、ウォーキングを決め込みました。

前回の時は、途中、永代橋を渡っているところで、"俄かの村雨"に降られて"道灌"になってしまいそうになり、山吹も咲いていなかったので、持っていた携帯用の傘をさして茅場町までで終えました。
今日は、寒い曇り空ながら、雨の心配はなさそうです。
永代通りをちょっと入ったところに、「深川モダン館」という施設があります。
ここで三遊亭圓橘師匠が独演会をやっているそうなので、とりあえず様子見に立ち寄ってみました。
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再び永代通りに戻って、永代橋で大川を渡り、茅場町から兜町を通り過ぎて日本橋へ。
日本橋交差点を右に曲がって中央通りに出ます。
それにしても、今日本橋はビルの建設ラッシュのようです。
中央通り(御成街道)を、室町、今川橋、神田須田町から、万世橋を渡り、秋葉原の歩行者天国へ。
相変わらずオタクが大勢集まっていて、とにかく騒々しい街です。
末広町から黒門町、御徒町の松坂屋は取壊工事が始まるところ。
上野広小路から上野駅まではいつもの賑わいでした。
これも、"普段の袴"ならぬ"普段の上野"ですか。
ちょうど歩数1万歩ぐらいでしょうか。

落語研究?

我々は、真面目に落語の稽古をしているんです。
落語研究?
これは、今日の越児さん。
師匠からご指摘やアドバイスのあったところをチェックしているところでしょう。
イントネーションとか、言い回しだとか。
下の写真は、前回の百梅さんの様子。
初見の読み稽古で「火焔太鼓」で、面喰らいながらの稽古でしたから、色々メモをしていました。
Fw:
スマホに録音したり、本当に皆さん稽古熱心で、頭が下がります。
・・・それに比べて、私のズボラさというのは・・・。

みのぶまんじゅう

稽古の時に、師匠に昨日の「鰍沢」のことを報告。

稽古場に、いただいた「みのぶまんじゅう」を持参して、皆さんに食べていただきました。
私は・・・、食べたいのは山々ですが、我慢して。
素朴な味で美味いです。

落語っ子連稽古会

昨日の「鰍沢」の後遺症で、何となく筋肉痛のする中、家を出かけるのが遅くなってしまい、稽古場に着いたのは、9時直前でした。
稽古会(5-2)報告
ここのところ寒い日が続いています。
今日の稽古会は、参加者は越児さんと窓口さんと流三の3人。
たっぷりと贅沢な時間で、師匠からご指導いただきました。
稽古会(5-2)報告
 ◇ 船徳        三流亭窓口
 ◇ 明烏        三流亭流三
 ◇ 宮戸川       三流亭越児
 ◆ 天災(交流)    紅巣亭心童
今日の稽古の演目は、”若旦那”シリーズでした。
師匠から窓口さんに、「船徳」の船はどちらの方向に向かっているのかというご質問。
…みんなで色々考えて、艪の向きやら、扇子の使い方やら、今まで曖昧だった部分が分かりました。
流三は、「明烏」にチャレンジしたいと思います。
私にとっては初めての廓噺です。
実は、今まで廓噺は意図的に避けていましたが、解禁することにしました。
越児さんの「宮戸川」は、持ちネタのおさらい。
次回の深川三流亭では「芝浜」をお演りになるそうです。
今日も、大変楽しい稽古でした。

落語DEデート

久しぶりに聴いた気がします。
 ◇ 寄合酒       三代目三遊亭金馬
またまた金馬師匠です。
が、しみじみ聴いてみるに、この師匠の博識ぶりと語り口は、他の師匠にはないものがあります。
やはり名人なんだと思います。
声もリズムも素晴らしいし、未だに人気があるのも分かります。

南部たけのこまつり

故郷は田舎の過疎地で、これと言ったものもありませんが、お茶とたけのこあたりは自慢できるかもしれません。
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毎年名産のタケノコが旬を迎える4月下旬に「南部たけのこまつり」が開かれます。
たけのこご飯や採れたてのタケノコの直売がうれしい。
各種模擬店が立ち並び、毎年さまざまなショーや郷土芸能が催され大いに賑わいをみせます。
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今日は、恒例の「たけのこまつり」が開催されているはずです。

2014年4月19日 (土)

「鰍沢」in身延

身延山久遠寺の麓で「鰍沢」を演りました。
Fujigawa
この写真は、身延山の奥ノ院から眺めた身延の街ですが、会場はちょうど写真中央の建物が密集している真ん中にあります。
左側を蛇行して流れるのは、言わずと知れた富士川、この先(南)が東海道の岩淵へ、手前が鰍沢ということになります。
Minobugawa
60名ぐらいの皆さんの前で、叔父が、私が渡していた自己紹介のメモを全部喋ってくれました。
さて、いよいよ高座へ。
机の上に、叔母が黄緑色の布を敷き、緋色の座布団の鶴の絵柄を上にしてあります。
師匠の出囃子の「新曲浦島」がかかりました。
座布団に座ってお辞儀をして喋り始めようとしましたが、なかなかお囃子の音が消えません。
ちょっと待った後で、挨拶から始めます。Kajikasawa
父のことや「鰍沢」の説明などのマクラをふってから、いよいよ本題に入ろうとすると、脇に座っていた叔父から、「ちょっと待って」と声がかかり、やむなく一時中断。
「???」
「マイクを使っていませんが、後ろの席は聞こえますか?」と叔父。
・・・マイクは使わずにやるからと言っていたのですが、気になったのでしょう。
お年寄りで、耳の遠い方もいらっしゃるので。
しかし、噺の途中で「水入り」になるのも初めての経験です。
失礼ながら、お年寄りの会なので、しかも会議の後ですから、緩い雰囲気なのかと思っていました。
ところが、(良い意味で)会場はしぃ~んとしていて、静かで適度な緊張感もあって、とても良い雰囲気です。
生の落語、しかも「鰍沢」も初めての方がほとんどのようですが、じっと聴き入ってくださっているようです。
噺そのものの出来は、正直なところ酷いものでしたが、卵子酒を飲むシーンでは、拍手も出て、とてもとても楽しい高座になりました。
「南無妙法蓮華経」のお題目や、鰍沢・身延・岩淵・・・と、馴染みの名前が出てくる噺を選んで良かったと思います。
何とか、無事にオチまで行って「一本のお材木(題目)で助かりました」のところでは、「あぁぁ」という声も聞こえましたから、長講を寝ることなく聴いていただけたようで、とても嬉しくなりました。
叔父の顔もつぶさずにはすんだことでしょう。

記念講演?

13979433660981_2叔父(母の妹の旦那さん)から、昨年の父の四十九日法要の時に、「来年の4月に、会長をしている老人会で落語を演ってくれないか」と頼まれ、その場で二つ返事で引き受けました。
気軽に引き受けたものの、父が30年近くお世話になった土地でもあり、父をよく知る人も多く、母も"父兄参観"でついて来ました。
控室には、母姉妹(母と叔母)と母の友人が一緒で、何をしに来たのかわからない状態です。
母は、「お年寄りが多いから、ゆっくり大きな声で」とか「お父さんを知っている人も多いから、ご挨拶とお礼を言うように」とか、楽屋がとにかくいちいちうるさくて・・・。
それでも、確かに父を偲ぶような部分もあって、叔父のこの会への出演依頼は、とても有難いものでもありました。
身延山の麓で、父の知人たちの前で、ご当地噺「鰍沢」を演る・・・。
きっとこれ以上の舞台はないでしょう。
老人会の「定期総会」ということで、お年寄りが数十名。
「お父さんにお世話になった」・「一緒に仕事をさせてもらった」・「元部下だった」・・・と、何人か控室にも来てくださいました。
ところで、総会の資料の中の次第を見て驚きました。
 ◇記念講演     講師:千早亭永久(○○本名)先生
                古典落語「鰍沢」
おいおい、講演だと「先生」ですよ。
私が先生・・・?、思わず照れ臭くて笑ってしまいました。
出囃子のCDを持って行きましたので、師匠の「新曲浦島」をセットして、役員の方に操作をお願いしました。
この方は元校長先生で、母も良く知っている方だそうです。
「せっかくの機会だから、噺を録音させてもらっていいですか」
「一度、生でプロの鰍沢を聴いたことがあり、とても良い噺だった」
・・・これはまたプレッシャー。
叔母が、寿と鶴の柄の、緋色の座布団を用意してくれました。
いつもと全く違う雰囲気です。

田舎の春

今日は身延で「鰍沢」を演る日。
田舎の春
昨日から、とても寒くなりました。
天気予報では晴れだったはずなのに、小雨混じりの生憎の天気。
とりあえず、実家に行きました。
それでも、庭の芝桜はけなげに咲いています。

2014年4月18日 (金)

吉原つなぎ

吉原つなぎ平成26年4月18日。
実は、今日はとても嬉しい出来事がありました。
忘れられない日の一つになるような。
さて、明日はいよいよ身延で「鰍沢」を演る日です。
高座で使う手拭いは…、かなり迷いましたが、「吉原つなぎ」の柄に決めました。
お熊が吉原の花魁だったから。
朝早く出るので、支度をした、今夜はら早めに休もうと思います。

健康飲料

遅ればせながら健康管理に目覚めた私ですが。

会社の近くに新しくオープンしたコンビニには、多種類のお茶が並んでいます。
今朝は、「とうもろこしのひげ茶」と「ごぼう茶」を買ってみました。
とうもろこしのひげ茶は、よく韓国料理の店などで出て来ますから、味は見当がつくのですが、鹿児島産のごぼう100%というごぼう茶は・・・、やっぱりごぼうの味がしました。
正直なところ、あまり美味ではありません・・・。
来週から、他のお茶も1本ずつ買って試飲してみようと思います。
健康のためなら、命も要らないつもりでいますから。

東京落語会

今日は「東京落語会」です。
東京落語会
でも、私には珍しく、どうしても落語より優先する用事があって、行くことが出来ません。
仕方ありません・・・。

落語協会会長交代

やっぱり、若手の噺家さんのつぶやきは本当でした。
   落語協会会長交代
落語協会の柳家小三治会長が、6月の任期満了で退任し、新会長には柳亭市馬副会長が就任することが、理事会で内定し、6月の総会で正式決定となるそうです。
小三治師匠は2010年6月に会長に就任、現在2期目です。
体調面での不安などが退任の理由とみられるようです。
市馬さんの会長は、なるほどと思います。
【落語協会歴代会長】
  五代目柳亭左楽(1923年 - 1924年自ら脱退、協会分裂まで)
  三代目柳家小さん(1924年 - 1926年)
  五代目三升家小勝(1926年 - 1939年死去まで)
  六代目一龍斎貞山(1939年 - 1940年)
講談師が会長に
(落語協会として再発足して社団法人になるまで)
  四代目柳家小さん(在任期間:1946年 - 1947年死去まで)
  八代目桂文治(1947年 - 1955年死去まで)
  八代目桂文楽(1955年 - 1957年)
  五代目古今亭志ん生(1957年 - 1963年)
  八代目桂文楽
     副会長:二代目三遊亭円歌(1963年 - 1964年)
  八代目桂文楽
     副会長:六代目三遊亭圓生(1964年 - 1965年)
  六代目三遊亭圓生
     副会長:八代目林家正蔵(1965年 - 1972年)
  五代目柳家小さん(1972年 - )
(社団法人化後)
  五代目柳家小さん( - 1978年)落語協会分裂騒動まで
  五代目柳家小さん
     副会長:十代目金原亭馬生(1978年 - 1982年)
  五代目柳家小さん
     副会長:六代目蝶花楼馬楽(1982年 - 1987年)
  五代目柳家小さん
     副会長:三代目三遊亭圓歌(1987年 - 1996年)
  三代目三遊亭圓歌
     副会長:三代目古今亭志ん朝(1996年 - 2001年)
  三代目三遊亭圓歌
     副会長:五代目鈴々舎馬風(2001年 - 2006年)
  五代目鈴々舎馬風(2006年 - 2010年)
     副会長:空席
  十代目柳家小三治(2010年 - )
     副会長:四代目柳亭市馬(2010年 - )

ワッハ上方

落語や漫才など「お笑い」関係資料を収集・公開している大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」について、府が来年3月末での廃止を含めて検討しているそうです。
入場者数の伸び悩みと、多額の運営コストがネックになっていて、来月にも、文化人らでつくる有識者会議に「見直し」を諮問し、答申を受けて夏までに結論を出す方針とのこと。
全国で唯一の笑いの資料館として、1996年にオープン。
吉本興業の劇場、なんばグランド花月の向かいのビルに入居する。
寄贈・寄託を受けた衣装や、漫才や落語の台本、ポスターなど6万点を収蔵し、演芸番組3000本を無料で視聴できる。
しかし、前知事による財政再建プログラム案で、移転か規模縮小の方針が打ち出され、2010年に演芸ホール、13年に常設展示を廃止。
当初は地上8階、地下1階のビルの4フロアを占めたが、現在は7階に収蔵庫と閲覧スペースが残るだけとなっている。
・・・悩ましいことです。

高座名の字面

縦書きにして、「字面」を比べてみました。
・・・「金願亭乱志」で見慣れていますから・・・。

  金      金 金 金   
  願      願 願 願  
  亭  ⇒  亭 亭 亭   

  乱     
 雀 金  
  志      志 志 志  

Ncm_07391それぞれ、帯に短し襷に長しという感じがするんです。
字面から見ると、「願」が四角くて画数も多いので、そのバランスから行くと、「金願亭圓志」だと「圓」も四角いので、全体が堅くなってしまう感じがします。
縦書きだと、すわりは「金願亭雀志」が一番良さそうに思います。
問題は、「じゃくし」と読んでもらえるか・・・。
「金願亭金志」は、「金」が重なるので、分かりづらくなるかもしれません。
「千早亭永久」は、全体的に画数が少ないので、寄席文字にしてみないと分かりませんが、「永」が上にあるので、やや「久」の安定感が弱く思えて。
201105151233000
寄席文字ではないのですが、有難亭梅八さんが江戸文字で書いてくださった千早亭のめくりを見ると、まぁこれはありかなと思います。

2014年4月17日 (木)

京急蒲田駅前

あの有名な京急蒲田駅前の踏切が、鉄道の高架化により、なくなりました。
京急蒲田駅前
第一京浜もすっかりしました。
大学駅伝も、遮断機に邪魔されることもありません。
でも、駅は使い勝手の悪い、分かりづらくなりました。
ちょっと仕事で。

歩き稽古

ここのところ良い天気が続いています。
ちょっと乾燥しているようなので、注意が必要です。

花々咲き乱れる中で、雪の中をこけつまろびつ逃げる、崖から雪で水かさの増した川に落ちて流される、鉄砲で狙われる旅人を描くシーンを、時々通り過ぎる人をはばかりながら、それでも汗だくでやっている姿は、実に異様・異形でしょうね。

「地獄と極楽は紙一重と言いますが・・」なんて言う台詞もあり。

経済産業省の植え込みのサツキツツジも咲き始めました。
ところで、地獄・極楽紙一重の話ですが、「板子(和船の船底)一枚下は地獄」なんていう言葉があります。
船底の下は大海原であり、いったん港を出てからは波任せ風任せで人の力が及ばない、と船乗りの仕事が危険に満ちた仕事であることをたとえた言葉ですが・・・、隣の韓国では、大きな船が転覆沈没して、大変なことになっています。
・・・会社に到着したら、歩数計は4千歩を超えていました。
しめしめ・・・・。

初めて聴いた落語

私が、生の落語を初めて聴いたのは、「新入生歓迎川内寄席」での、先輩方の高座だったと思います。
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記憶を辿ってみると、こんな噺でした。
 ◇ 道灌         酩亭千鳥
 ◇ 壷算         風流亭喜楽
 ◇ だくだく       花柳亭遊狂
 ◇ 盃の殿様     狐狸亭酔狂
「よくやるよなぁ」と、思ったものでした。2011009
その後、この4人の先輩はじめ、多くの方々に可愛がっていただくことになろうとは・・・、この時はまだ、素朴な田舎者の少年には、思いもよりませんでした。

落語協会の会長

ある若手の噺家さんがツイートしていました。
落語協会の新会長って誰になるんだろう?
いろいろ噂が飛びかっていますが誰になると思います?
・・・へぇぇ、そんな話があるんですね。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/05/post-3d84.html

「大人の落語評論」

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稲田和浩さんの新著「大人の落語評論」( 彩流社刊・1,944円)
「能書きをたれたけりゃ落語評論家になりやがれ!」といったのは古今亭右朝だった。
三十年以上昔だ。落語は一期一会の高座を楽しむもの。
感想を語るのは「野暮」という考え方もある。
いまではブログやSNSに感想を綴って、見知らぬ「客」と語り合うこともできる。
そうした書き込みには、備忘録からちょっとした感想、「おっ」というような落語論まであって、誰もが落語評論を書くことができる。
落語評論も文芸評論と同じく執筆者の自己表現として考えてよいと思う。
高座評にとどまらない、落語を題材にした、江戸や現代、芸能論となりうる、まさに「大人の落語評論」がもっとあってもいいのである。

・・・という能書き(紹介文)がありました。
構成を見ると。
(1章)落語評論のススメ
(2章)大人の落語評論①「落語とは何か」
(3章)落語家論
    【小さん、馬生、円生、今輔、志ん朝、談志、小三治、円丈、
     雲助、権太楼、さん喬、小満ん、鯉昇、米丸、笑三、川柳、
     柳昇、三平、志らく、つくし、昇吉、宮治】
(4章)大人の落語評論②「江戸っ子とは何か」

・・・採り上げた落語家の根拠が分からないなぁ。
稲田さんの略歴。
1960年東京都生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。
タウン誌記者等を経て、作家活動を始める。大衆芸能脚本家。
演芸台本、邦楽の作詞、演劇の脚本などを中心に手がける。

千早亭永久

高座名、悩んでいます。
やはり、金願亭乱志は返上した方が良いと思って。Dsc_0088
それならばと、亭号は金願亭でも別の名前も考えてみたりして。
例えば、「金願亭圓志」「金願亭雀志」「金願亭金志」。
名乗るとすれば、「圓志」が良いと思いますが、大看板に「柳亭燕枝」と、同じ「えんし」の音になります。
また、江戸時代中後期の浮世絵師に、闇牛斎 円志(あんぎゅうさい えんし)という人がいるようです。
「雀志」は、落研創始者の「麻雀亭駄楽」師匠の一字をいただくことになりますが、「じゃくし」と読まれず「じゃんし」と読まれてしまいそう・・・。
「金志」は、同音のプロもいますし、あまり・・・・。
それにしても、落研には、とても粋な高座名があります。
「東風亭梅香(こちてい ばいこう)」
  東風吹かば ひおこせよ の花 
       主なしとて 春を忘るな(春な忘れそ) 
・菅原道真
それから、「恋せ家乙女(こいせや おとめ)」
   いのち短し 恋せよ乙女  あかき唇 あせぬ間に
           熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを

                                              ・吉井勇「ゴンドラの唄」
                   ・・・と、まだまだたくさんあります。
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そう考えると「千早亭永久(ちはやてい とわ)」も。
  千早ぶる 神代もきかず 龍田川 
      からくれなゐに 水くくるとは  
・在原業平朝臣
金願亭圓志」か「千早亭永久」か・・・・。
「千早亭永久」ならば、師匠にお願いして、「扇子っ子連」以外の場でも使うことをお許しいただかないといけません。

2014年4月16日 (水)

歩き稽古

稽古になんざぁなっちゃいないんです。
歩き稽古
日比谷公園の春の景色を眺めて通り過ぎるだけなんです。
歩き稽古
でも、それだけでも、春うららかな朝の光を浴びて、ぶつぶつ言いながら歩きます。

夜の歩き稽古?

1日1万歩。
数年前は、ウオーキングをやっていて、台風などの悪天候以外は、毎日クリアしていたのですが。
ここのところは、落語が忙しくなったと言い訳をしてサボっていました。
歩き稽古?
スマホに付いている歩数計を使って、今月から気にしてやってみようと思いました。
仕事を終えて会社を出る時は、今日はまだ5千歩ちょっとでした。
ということで、帰りは稽古を兼ねて銀座まで歩きました。
虎ノ門から、イイノホールのある飯野ビルの角を曲がり、日比谷公会堂を左手に内幸町へ、内幸町ホールを右に、東京電力を左手にカードをくぐり銀座へ。
銀座通りも、松坂屋の建て替えのために取り壊されて更地になり、間が抜けた感じです。
ほとんど稽古にはなりませんでしたが、気安めにはなりました。
おかげさまで、帰宅したら、約1万1千歩。
目標達成でした。

虎ノ門昼散歩

お昼時ともなると、外堀通りを横断して、霞ヶ関の官庁街からも多くの人たちが昼食を食べに流れて来ます。
虎ノ門昼散歩
お弁当屋さんの前は、長い行列が出来ています。
虎ノ門昼散歩
今日は天気が良いので、食後に最近開通した「マッカーサー道路」を見て来ました。
6月オープン予定の都内で2番目に高い高層ビル「虎ノ門ヒルズ」の下を新橋方面に抜けて行きます。
この道路が本当に必要なのか・・・、なんて野暮は言えません。
虎ノ門昼散歩
虎ノ門の街も大きく変わりつつあります。

新入部員勧誘

A873b7f40a10da9fbb51ec546e92d867_biこんな雰囲気で新入部員勧誘をやってるんですねぇぇ。
今日は「文フェス」とか言って、お昼頃は青空落語、午後からは教室でのプレゼン。
来場する学生さんは、就活で会社訪問でもしている気になってしまうのではと・・・心配になります。
教室の一角には高座があり、このあたりはいつも見慣れた景色ですが、中央付近に並べられた机と椅子は、さしずめ「入部説明・入部手続カウンター」?
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アカデミック・・・・・・?
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着物を着ないで、法被姿でやるんですね。
この人は、2年生の「七志家伍兵衛(ななしや ごへえ)」さんていうようです。
逞しい立派な体格を持つが運動はあまり好きではないらしい。
高座名を決める際には、著作権に触れる危ない候補にこだわったりした。
好きな料理はチンジャオロース、好きな弁当はほか弁だそうです。
頑張れ!ごへえ!

人口減少

「人生僅か50年と言われているだろう。人は61歳になると本卦還りと言ってな、これを過ぎて亡くなったら、『おめでたい』と言ってもいいということになっているんだ。」
「通夜の猫」で、大家さんが与太郎に言って聞かせます。
2013年10月1日現在の日本の総人口が前年比21万7000人減の1億2729万8000人となり、3年連続で減少したようです。
15~64歳の生産年齢人口は116万5000人減の7901万人で、32年ぶりに8000万人を下回り、65歳以上の高齢者の割合は25・1%と、初めて総人口の25%を超えた。

・・・おめでたいどころか、洒落にならなくなりました。
【本卦還り】
生まれた年の干支と同じ干支の年がくること。
数え年で61歳になること。還暦。
Yjimage 「そうか、61を過ぎて死んだら、おめでてぇって言ってもいいのかぁ。大家さん幾つだ?」
「私は・・、おい、変なところで歳を聞くな。幾つでもいいだろ。」
「よかぁねぇ、幾つだ?」
「そりゃ・・おめぇ・・・、66だ・・・。」
「えっ?66?じゃぁ大家さんも死ぬとおめでてぇな。いつおめでたくなる?」
「余計なお世話だ。人それぞれ寿命ってものがあるんだ。」
世の中、おめでたい人ばかりになってしまいますね・・・。
勿論、私もその中の一人になる・・・・。

2014年4月15日 (火)

人身事故

19時21分頃、JR常磐線我孫子駅での人身事故のため、運転が中止されています。
別に帰りを急ぐ訳ではありませんが、面倒なことです。
事故なのか、別の理由なのか、どの路線でも、毎日のようにどこかで起こって気がしますが、防止策はないのでしょうか?
暫く席に座って、運転再開を持つことにします。
こう言うときは、振替乗車などありますが、ジタバタしないで待つに限ります。

皆既月食

今夜は皆既月食だそうです。
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赤い月をブラッドムーンと言うそうです。
ブラッドムーン(Blood moon)とは、赤色に変色した月の通称。
72d515adsいつもは太陽の光に照らされ輝いている月ですが、地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月に完全にかかる皆既月食の時にブラッドムーンとなり、神秘的な赤色(赤銅色)の月になります。
皆既月食では、地球が太陽の光をさえぎり、少しずつ月が欠けていきます。
地球の影が完全に月を覆うと月の明るさが極端に落ちますが、見えなくなるほど暗くなる事はありません。
そこで、大気中を直線的に通過しやすい波長の長い赤色の光が届くことで、月が赤くなったように見えます。(朝焼けや夕焼けが赤く見えるのと同じ原理です。)
完全に月が隠れた後しばらくすると、ぼんやりと赤い満月が浮かび上がってくる神秘的な光景となります。
そして、明日が満月(望月)の翌日の十六夜です。

大人AKBオーディション?

春風亭ぴっかり☆さんが、期間限定で30歳以上のAKB48新メンバーを募集する「大人AKBオーディション」の3次選考で落選したそうです。
オジサンには、何のことか分かりませんし、興味もありませんが、ぴっかりさん、落語をやろうよ。

歩き稽古

今度の土曜日に向けて、「鰍沢」の歩き稽古。
歩き稽古
日比谷公園は春爛漫。
歩き稽古
私でも名前が分かるチューリップが綺麗に咲いていました。
歩き稽古
花を見ながら、雪の中を迷うシーンや焚火にあたったり、卵子酒を飲んだりしている私は何なのでしょう。
歩き稽古
なぞえに高くなっている歩道の向こうは、切っ削いだ崖ではなく、噴水でした。

2014年4月14日 (月)

落研の新入部員勧誘

A873b7f40a10da9fbb51ec546e92d867_bi現役部員の皆さんは、新入部員勧誘に必死の様子。Bkls3z3cyaaieek
青空落語や部室でのプレゼンも積極的にやっているようで。Bkluz7qcqaaj_xc
私が、落研の扉を叩いた時のことを思い出します。Bk2ctkkcuaaf6uw
川内キャンパス(当時は教養部)で、「新入生歓迎川内寄席」というのをやっていて、その後に、友だちに付き添ってもらって、「あのぉ、入部したいんですが・・・」と言ったら、2年生の「酩亭千鳥」師匠が、迷惑そうな顔をして、部室まで連れて行ってくれました。
・・・これが、落語との出会いでした。
新入部員勧誘頑張れ!
こちらもアクセス累計61万件超・・・。

笑点の司会者

昨夏、「笑点」の新司会候補にタモリの名が挙がったそうです。
桂歌丸師匠が2年前に、腰痛で3度目の手術をしたタイミングで、後任探しが次第に本格化。その時に、「後任にタモリさんを」という構想もあったとか。
他に名前の挙がった候補は、萩本欽一、過去に笑点の代理司会経験のある伊東四朗さんあたりだったとか。
笑点の出演者は、落語界の各派閥から人選されるのが通例のようですが、司会者に関しては過去、2代目の前田武彦さんと3代目の三波伸介さんが落語家以外から選ばれています。
この構想には、当の歌丸師匠が不快感を示したそうです。
・・・落語原理主義者から言えば、この番組は、あくまでも落語家さんが出演する娯楽番組で、落語番組ではありませんから、どうでも良いことですが、さすがにタモリだとかたけしだとか欽ちゃんというのは・・・?
そもそも「大喜利」の意味を知って視聴している人はほとんどいないでしょう。
ちょうど、お相撲さんが食べる鍋料理を「ちゃんこ」だと勘違いしているのと同じように。
【大喜利】
大喜利の語源は歌舞伎から来ています。
歌舞伎の最初の出し物(第一狂言)の最終幕のことを「大詰め」といいます。
そして二番目の出し物(第二狂言)の最終幕を「大切り」と言います。
また、寄席演芸においては、最後の出演者の演目が終わった後に複数人の出演者が再び登場し、観客から題目をもらって互いに芸を競い合う演目・余興です。
小咄やなぞ掛けなどを行うことが多いようです。
また、トリで怪談噺が語られて、舞台が暗くなったり、お客さんを暗い気分で帰さないために、余興で気分を7リフレッシュしてもらうという意味もあるようです。
このように、元来は観客へのサービスとして行われていたもので、言わばコンサートなどにおけるアンコールに相当するのでしょう。
【ちゃんこ】
ちゃんことは、力士の言葉で食事のことを言います。
本来、相撲部屋において、力士(ちゃんこ番)の作る手料理をすべて指すのです。
従って、カレーライスも牛丼もラーメンも、お相撲さんが作って食べるものはちゃんこなんです。
その中でも特にイメージが定着しているのが、ちゃんこ鍋です。

千早振る

千早振る
短歌の「千早ぶる」というのは。
さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
・千早(ちはや)ぶる
次の「神」にかかる枕詞で、「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたものです。
・神代(かみよ)もきかず
「神代(かみよ)」とは、「(太古の)神々の時代」という意味です。
不思議なことが当たり前に起こった「神々の時代でも聞いたことがない」という意味になります。
下の句に記すのは、それほど不思議な現象だということを言っています。
・竜田川(たつたがは)
竜田川は、紅葉の名所で、現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川のことです。
・からくれなゐに
「鮮やかな紅色」という意味です。「から」は「韓の国」や「唐土(もろこし)」を意味する言葉で、「韓や唐土から渡ってきた素晴らしい品」を表す接頭語(頭につける語)でした。
当時の韓や唐土というと先進国で優れた品が日本に渡ってきていたので、こういう意味となったのです。
・水くくるとは
「くくる」は「括り染め」、つまり「絞り染め」にするという意味です。
「(竜田川が)川の水を括り染めにしてしまうとは」という意味で、紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを、竜 田川が川の水を絞り染めにしてしまった、と見立てます。
また竜田川を主語にして「擬人法」を使い、また「とは」は上の句の「神代も聞かず」につながるので、倒置法も使われています。

201010060020000一方、落語の「千早振る(ふる)」というのは。
「先生」の異名を持つ岩田の隠居が茶を飲んでいると、なじみの八五郎が訪れてくる。
娘に小倉百人一首の在原業平の歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとを訪ねてきたという。
隠居も実はこの「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という歌の意味を知らなかったが、知らぬというは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。
江戸時代、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、「千早」という花魁に一目ぼれした。
ところが千早は力士が嫌いで、振られてしまう(「千早振る」)。
振られた竜田川は妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わっちも嫌でありんす」ということをきかない(「神代も聞かず竜田川」)。
このことから、成績不振となった竜田川は力士を廃業、実家に戻って家業である豆腐屋を継いだ。
それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れる。
「おからを分けてくれ」と言われ、喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。
激怒した竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた(「から紅(くれない)に水くぐる」)。
八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引にハチ公を納得させた。
やれ安心と思った所にハチ公が、「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。
とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早は源氏名で、彼女の本名が『とは(とわ)』だった」
・・・・だから、「千早亭永久(ちはやてい とわ)」ってい名前は、とても素敵な高座名なんです。

2014年4月13日 (日)

全生庵

言わずと知れた「全生庵」。
全生庵
「鰍沢」にチャレンジしている今、やはり三遊亭圓朝墓にはお参りしておきたいと思いましたので。
全生庵
境内では八重桜がきれいに咲いていました。
圓朝墓に手を合わせ、「揺れるとき」「鰍沢」に思いを馳せました。

永久寺

谷中三崎坂の全生庵の向かい側あたりに、「永久寺」という曹洞宗のお寺がありました。
永久寺
「千早亭永久」としては、「永久寺」の前を黙って通り過ぎることは出来ません。
永久寺
宗旨は違いますが、ちょっと立ち寄って手を合わせました。
ここは明治時代の新聞記者・戯作者であり猫好きとしても知られる仮名垣魯文の菩提寺だそうで、「山猫めをと塚」をはじめ、猫塔記念碑、猫塚碑など猫に関する碑文があるそうです。
Eikyuujia
「通夜の猫」のお礼参りに行って、偶然見つけた猫の寺・・・。
驚きました。

瑞輪寺

大家さんが、与太郎のお父っつぁんの寺が瑞輪寺だと聞いて驚きました。
「なに?瑞輪寺?名高い寺だよ」と・・・。
当時から、名刹だったんでしょう。
瑞輪寺
瑞輪寺は、天正19年(1591年)徳川家康の学問の先生である慈雲院日新上人を開山とし、家康自らが開基となって日本橋馬喰町に創建された日蓮宗のお寺です。
1601年火災により神田に移転、
1649年現在の谷中に移転しました。
身延山の関東髄頭の一つです。

瑞輪寺
身延山の法主だった内野日総猊下は、この寺の貫主を務めていたこともあるようです。
この寺の格式の高さが窺われます。
瑞輪寺
内野日総猊下は、大正十五年生まれ。
昭和二十一年より山梨県身延町・清水坊住職を務められ、その後、七面山別当職、身延山久遠寺副総務、参拝部長などの要職を歴任された。
また、東京都谷中・本山瑞輪寺での貫首在任中は、江戸開府四百年を記念して本堂大改修に尽力され、平成十六年に日蓮宗一級法功章を受章、平成十八年に第九十二世身延山久遠寺法主に就任された。
瑞輪寺
「通夜の猫」では、与太郎が可愛がっていた猫のタマが、お父っつぁんの遺体を運んでくれる・・・。
ちょっと気味の悪い場面ではありますが。

飯匙祖師堂

ここは江戸十大祖師の一つで、除厄・安産飯匙の祖師と言われています。
日蓮聖人が佐渡流罪を赦免となり、鎌倉に向かう途中、武蔵国に住む関善左衛門が日蓮聖人に妻が難産であることを告げ救いを求めました。
日蓮聖人は求めに応じ、飯匙をとり御題目をしたため、産婦のお腹をさすり、抱かせ祈念すると安産で母子ともに健やかであったと言われています。
これに感応を拝し関善左衛門は、谷中に善性寺を建立、その後ご本尊は、上野感応寺を経て、瑞輪寺に奉納され現在に至っています。
飯匙祖師堂
東京七面山飯匙(しゃもじ)祖師。
飯匙祖師堂
七面山と言えば、身延山の後方に聳える日蓮宗信仰の山で、山頂近くに敬慎院があります。
厄除けと安産にご利益があるそうで、まずお参りしました。

谷中散歩

天気が良かったので、日暮里駅で下車して、谷中方面へ。
谷中散歩
「通夜の猫」では、深川蛤町から谷中まで、亡くなった与太郎のお父っつぁんを担いで歩きます。
谷中散歩
天王寺から五重の塔跡を通る、谷中墓地の通りの桜も、花は終わり、葉桜になっていました。
これから、瑞輪寺と全生庵をお参りしようと思います。
谷中散歩
瑞輪寺は、「通夜の猫」のお礼。
全生庵は、「鰍沢」のお礼と上達を圓朝墓にお祈り。

2014年4月12日 (土)

病院

土曜日でも病院はやっているんですね。
それでも、平日よりはいくらか落ち着いているような気がします。
今日は、主治医の先生の講義です。
病院
メンバーは、木曜日の運動療法のレクチャーの時と同じ、研修入院している3人と私の4人でした。
その中の一人のご婦人に、入院の内容を尋ねると、2週間の予定で検査や様々な指導を受けているそうです。
60代後半ぐらいのこのご婦人は、10年ぐらい前も入院したことがあるそうです。
…病気のこと、予防のこと、色々説明されて。
でも、一病息災と割り切って行くことなのでしょう。

仕事と責任

某県の県立高校で、50代の女性教諭が、長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式を欠席していたそうです。
新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
この県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が、子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席したそうです。
・・・同世代の感覚でも、物凄く違和感を感じます。
保護者は、困惑と言うよりも、本音では激怒していると思います。
入学式や卒業式に、親がしゃしゃり出る時代ですが、義務教育ならともかく、そろそろ子離れしても良いと思いますが・・・。
他の世界や業界では、到底ありえないことだと思います。
ますます、教師全体への不信感が高まる気がします。
良し悪しではありません。
どこにも禁止のルールは書かれていないでしょう。
矜持であり、プライドであり、品格だと思います。
落語国では、与太郎も笑うでしょう。

金願亭乱志

最近、ちょっと思うことなのですが・・・。
私が名乗っている「金願亭乱志(きんがんてい らんし)」という高座名は、落研で先輩が創って名乗っていたもので、私は二代目です。
この二代目を襲名?するにあたっては、プロの噺家さんとは異なり、先代の関係者のお許しをいただいたり、師匠からいただいたものでもありません。
しかも、先代はご健在で、一度お会いしたご挨拶したことはありますが、直接お許しいただいた訳でもありません。
Imgp10401勿論、私が気に入って名乗らせていただいたものですから、とても愛着があるのですが、果たしてこのまま使わせていただいてよいものなのだろうか?・・と。
恐らく、他の人たちもそうですが、先代から何か言われることはないと思いますが、気になり始めると、悩ましく思えて来ました。
いっそのこと、この名前を返上、改名しようかとも考え始めました。
と言うのも、私には、圓窓師匠の門を叩いて、師匠からいただいた名前「三流亭流三」と「千早亭永久」の二つもあります。
しかもこれは、基本的にはオリジナルな名前です。
ただし、「三流亭流三」というのは、同名がどこかの大学の落研の名前にあるようです。
実は、対外的に一番露出しているのは「千早亭永久」なんです。
師匠と共演させていただいた「ワンコイン落語会」も「はしご落語会」も、一番新しい「千早亭永久」でした。
Imgp1017 名前の由来も、百人一首の名歌、落語の演目を意識したもので、格調高いものだと思います。
そうそう、落研にある「東風亭梅香」と同じように。
今後、ボランティアなど対外的に活動することを考えても、あんまり駄洒落や地口のようなものでない方が良いかもしれません。
となると、これからは「千早亭永久」で行くのが良さそうに思えて来ました。
先代にご迷惑をかけてはいけませんから。
落語っ子連で「三流亭流三」を名乗る以外は、「千早亭永久」にしようか…。
今度の「お江戸あおば亭」から変えてみようか…。
悩んでいるところです。

2014年4月11日 (金)

終わりの花見

夜の上野公園。
終わりの花見
さすがにもう桜は終わってしまったかと思いましたが。
終わりの花見
上野の森美術館の近くの木は、満開でしたし、清水堂の枝垂桜もきれいでした。
終わりの花見
メインストリートの桜並木は、既に花は散って葉ばかりになっていました。
並木道から見上げる清水堂がライトアップされています。
反対側には、やはりライトアップされた弁天堂が、不忍池に浮かんでいます。
終わりの花見
今年は、ゆっくり花見をすることが出来ませんでしたが、最後の最後に間に合いました。

週末の癒し・・・

とにかく仕事が忙しい一週間で、やっと金曜日。
久しぶりに、焼き肉などを食べようかと・・・。

上野駅前の店で。カルビとかローストか、ついでにチゲ鍋も。
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そのまま帰りたくなくて、ちょっと高いけれど、落ち着くことが出来る喫茶店で、暫くボーっとしていました。

上野公園の桜はまだ咲いているのかなと、ふと思いました。

25年度花形演芸大賞

平成25年度の「花形演芸大賞」の受賞者が決まったそうです。

大  賞    桂 吉弥
金  賞    春風亭 一之輔
    ポカスカジャン
    U字工事
銀  賞    三遊亭 萬橘
    三遊亭 天どん
    蜃気楼 龍玉
 

2014年4月10日 (木)

Nifty

富士通が、インターネット接続サービス(プロバイダー)の子会社「ニフティ」を売却する方針だそうです。
会員が減り業績が低迷する個人向けサービスから撤退し、企業向けのITシステム事業に力を入れていくということ。
ニフティは1986年、富士通が大手商社日商岩井(現双日)と共同出資で設立した個人向け情報サービスの老舗。
87年に電話回線を使うパソコン通信「ニフティサーブ」を始め、会員数は90年代半ばにパソコン通信として日本最大の200万人超に達した・・・・。
私のこのブログもNiftyなんです。
最初のパソコンが富士通製だったので。
・・・どうなるのでしょう・・・。

笠と赤い風車

平岩弓枝作「笠と赤い風車」。
私の持ちネタ「身延噺三題」の一つにさせていただいている・・。
浅草馬道にお豆腐屋さんの嘉吉という人がいた。
夫婦の間に男の子が産まれた。
喜んでいると3日目に産後の肥立ちが悪く、おかみさんは亡くなってしまった。
水子を抱えてどうしようかと思案していたら、亡くなったおかみさんの妹でおせんが何くれと細やかに赤子の面倒を見てくれた。
大家さんを始め周りの者も推め、それに従って後添いとした。
おせんさんと嘉吉の間には子供が無く、男の子には常吉と名を付け幸せに暮らしていた。
常吉、多感な十五歳の時、「お前のおっ母さんは、継母で実の親が亡くなる前から、父親と付き合っていた。」と、まだ世間知らずの子供に吹き込んだ。
ここで常吉は根性が曲がってしまい、二十歳の時には三道楽三昧をするほど落ちてしまった。
それを苦にしながら嘉吉は亡くなってしまった。
母親のおせんが何をやっても、悪く悪く取って始末に負えなかった。
所帯を持たせば落ち着くだろうと、遠縁の器量好しで気立ての良いお花を迎えたが、それにも難癖を付けた。
その頃町内でも有名な縛連崩れの悪女、おぎんと言う女が常吉に付いた。
常吉は知らないが、おぎんには仙太というヒモが付いていた。

大家が訪ねてきて、無尽が満期になったお金と、生前嘉吉が預けておいた金、合わせて15両がある。Hakoneyama
6月10日法華講が身延に参詣に行くので、一緒に行こう、と誘われた。
嘉吉の遺骨を収めに行きたい、と話はまとまり、大家が15両預かってくれた。
この話がおぎんの耳に入り、仙太と悪い相談が決まった。
おぎんの口から常吉に伝え、親孝行の真似をしてお金を巻き上げろと悪知恵を与えた。
親孝行の真似事をしていると、おせんもほだされ15両の一件を話し、身延に行く事を了承して欲しいと頼むと、遠いし大変だから自分が行くと言い出した。
おせんも快く了承し、大家も最近の行いを見ていたので同行を許した。

10日が近づくと、おせんは15両を胴巻きに縫い込み、あれこれと旅立ちの用意をした。
当日、菅笠には実の母親からの形見の赤い風車を縫い付けておいた。
この赤い風車も母親だと思って、身延に収めて欲しいと持たせた。
金が欲しいだけの常吉は気ィ良く持って出た。

一行は東海道の道を取り、初日、戸塚泊まり。
常吉は一緒の宿には泊まらず、おぎんと逢って別の宿に投宿した。
翌日二人は歩き始めたが赤い風車が気になったが、しっかり縫い付けられていたので取れず、茶店で置き忘れたように捨てた。
小田原に宿を求めると、赤い風車が付いた笠が届いていた。
茶店のお婆さんが届けたという。
翌日、歩き始めてドブに笠を捨ててしまった。
箱根にさしかかり、茶屋に腰を下ろすと、赤い風車を付けた笠が届いていた。
品の良い2人の婦人が届けたという。
さすがの常吉もゾーッとした。
箱根で宿を取ったが、酒を飲んでも気が晴れない。
散歩をしようと宿の下駄を引っかけ真っ暗闇の中歩いていると、後ろから思いっ切り突き飛ばされて、谷川に転落。
突き飛ばしたのはヒモの仙太で、金を懐におぎんと二人は箱根越えを始めた。
常吉は気が付いたら箱根の宿であった。
聞くと、炭焼きが赤い物を見付け、谷川を下りると、川の中に倒れていた。
笠が常吉を支えるようにして、水も飲まず怪我もせず助かった。
笠はぐっしょり濡れて、その時の状況が見えるようだった。
笠の中に母親の姿をだぶらせたが、その母親は継母のおせんの事であった。
居ても立っても居られず、とって返して我が家に。

線香の煙の中、おせんは横たわっていた。
お花が言うには、毎日手を合わせていたが、昨夜気が付くと、両手を上につきだして重いものを支えるような恰好で、水につかったようにぐっしょりと濡れて息絶えていた。
 「おっ母さん、おっかさ~ん」と子供のように泣きじゃくる常吉の背中で、風車が風もないのに回りました。
クルクル、クルクル、クルクル。
・・・この噺は、 NHKが昭和40年に、直木賞作家の平岩弓枝さんに書き下ろしを依頼して完成したものです。
八代目林家正蔵師匠の口演により、いゆゆる"文芸物"が落語の高座に登る弾みになった作品だと言われています。
正蔵(彦六)師匠は、この作品によって、同年の芸術祭奨励賞を受賞しています。
私がこの噺を知ったのは、どこだったかは忘れましたが、学生時代でした。
テープ(当時は)を買って聴いて、いつかは演ってみたいと思っていた噺です。
悪者が出て来て、善人が死んでしまう部分はいたたまれないのですが、身延詣りのみ途上を横軸にしていたので、心に残っていたのだと思います。
私の高座が実現したのは、今から4年前の仙台でのOB落語会でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/09/post-7317.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/09/post-4a57.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2010/09/post-f677.html
この噺と「鰍沢」「甲府ぃ」を一度に演る機会があったら・・・・、きっと私が倒れてしまうでしょう。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・。

病院

偉そうなことを言っても、病気になって苦しみたくはありません。
健康は大切だと思います。
健康のためなら命も要らないと思います。
病院
お医者さんに「2週間ぐらい入院しますか?」と言われて驚いて、今さらながら謙虚に反省。
今日は、運動療法士さんのレクチャーを聴きに行きました。
聴講したのは4人ですが、外来は私だけ。
他の3人は、「2週間ぐらい入院しますか?」と言われて「はい」と答えた人たちのようです。
「研修入院」とでも言うのでしょうか、いかに病気が怖いかと、インプットされているようです。
勿論、内容は参考になるものでしたが、若い療法士さんの講師ぶり、喋り方やその内容に興味を持ちながら聴きました。
それなりに場慣れしているし、お年寄りの頓珍漢なお喋りも適当に捌いていました。
最近の若い人、特に女性の語り口で気になる、「なので」というのを多用していました。
語尾に「・・・なので」という場合と、最初に「なので・・・」という。
要するに、「・・・ですから」とか、「従って」「それで」「だから」とかいう意味でしょう。
大変、不真面目な聴講生だったかもしれません。
でも、内容はよく理解できました。
なのでぇ、しっかり運動します。

2014年4月 9日 (水)

"身延噺"3題

自分で勝手に名づけた「身延噺」。
身の上話ではありません、身延噺。
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身延詣りが出て来る演目3題を身延噺3題と。
それは、「甲府ぃ」・「鰍沢」・「笠と赤い風車」。
「甲府ぃ」は、身延山へ願掛けをして江戸に出て来た甲州出身の若者の成功譚。
「鰍沢」は、身延詣りの江戸の商人が雪の鰍沢で道に迷うちょっと怖い噺。
そして「笠と赤い風車」は、江戸っ子の身延詣り(法華講)の途中の出来事。
善人ばかりが出て来る「甲府ぃ」。
善人の用で悪人だった(かもしれない)「鰍沢」。
悪人に命を狙われる「笠と赤い風車」。
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甲州街道往復する「甲府ぃ」。
甲州街道から富士川往還(みのぶ道)に入る北ルートの「鰍沢」。
東海道岩淵から富士川を遡る北ルートを辿る途中の「笠と赤い風車」。
古典落語の「甲府ぃ」。
三遊亭朝作の三題噺の「鰍沢」。
平岩弓枝が八代目林家正蔵(彦六)のために昭和40年に書き下ろした新作「笠と赤い風車」。
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・・・全て私の持ちネタになっています。
郷里が舞台になっている噺、この三部作を大切に練り続けて行きたいものです。

「甲府ぃ」という噺

ある方が、こんなツイートをしていました。
落語語研究会、入船亭扇辰師匠の“甲府ぃ”の録画を見ている。
何だかほっとする。
いいもんだ。
一日の終わりに善人だけの噺を聴くのは。
爆笑するのもいい、人の悪口もいけない事はない。
怖い噺でもいい、身近な現代の新作でもいい、こんなふうに、しみじみするのもいい。
落語って、素敵だ。

「甲府ぃ」・・・。
私の持ちネタの一つ、石和温泉での自分の結婚披露宴で、余興の一番最初に自演した噺です。
先日のご贔屓の感想を聞くにつけても、落語って素敵です。
【甲府ぃ】
豆腐屋の店先で卯の花を盗み食いした男が捕まった。
話を聞いてみると男は善吉と言い甲府の叔父に育ててもらい、途中、身延山で三年の願掛けをして江戸に出て来たが、浅草の仲見世で掏りに会い、一文無しだ。
同じ法華宗と知った親父は、ここで働けと勧め、善吉は豆腐屋に住み着いて働くことになり、まず、売り声を教えてもらった。
「豆腐ぃ、ゴマ入り、がんもどき」
それから三年間まじめに働いて、お客さんの評判も良く、店の仕事は善吉が中心となっていった。
親父はすっかり気に入って、一人娘のお花と祝言を上げさせた。
ある日、甲府の叔父への報告と、身延山の願解きのために、お花と二人で五日ほど旅に出たいと申し出ると、親父は二つ返事で了承した。
翌朝、早速旅支度を整えて店先に立つと、近所の人達が、どこまで行くんだい?
夫が「甲府ぃ」
女将さんが続けて「お参り、がんほどき」

吾妻橋

「吾妻橋」と言えば、「文七元結」での名場面が印象に残ります。
師匠がオチを変えたのを私が演らせていただいた「薮入り」では、この橋のたもとに捨てられていた亀ちゃんを熊さんが拾って育てる設定にしています。P10207191
で、今、この橋をめぐって、専門家の 間で「赤色が鮮やか過ぎる」と議論が起きているんだそうです。
橋は近く塗り替え時期を迎えるそうで、現在の色は地元自治体の 色彩基準からも外れていて、「違う色にすべきだ」との声もあり、橋の色を考えるシンポジウムも開かれていて、今後は住民 も巻き込んだ景観論争に発展する可能性があると。
吾妻橋は江戸時代につくられ、関東大震災で焼け落ちた後、1931年、当時の東京市が3連のアーチが特徴の現在の橋を架けた。
今の色は93年、隅田川の橋を「地域色豊かな色」にする都の「著名橋整備事業」で決定された。
白鬚橋は 名前のヒゲの印象に近い「灰色」に、蔵前橋は地域が米蔵で栄えた歴史から稲穂をイ メージした「黄金色」に決まり、吾妻橋は「雷門」の色を採って薄い青から「赤」に塗り替えられた。
専門家によると、橋の塗り替えは塗料の耐久性から、約10年ごとに行うのが望ま しいとされ、2003年に塗り直しが行われた吾妻橋は、すでにその10年を過ぎて いる。
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一方、05年施行の景観法では、一定規模以上の建築物などを大幅に塗り替える場合、建設事業者が地元自治体に届け出ることが義務づけられた。
吾妻橋が架かる台東、墨田両区はその後、独自の「色彩基準」を盛り込んだ景観計画を定め、届け出の色も、「周辺の景観から突出しないよう、明度や彩度を抑えた色彩を用いることとする」(台東区の景観計画)などと規定した。
現在の吾妻橋の色の鮮やかさを示す彩度は、台東、墨田両区の色彩基準「4以下」 を大幅に上回る「12」。
「もう少し落ち着いた赤にするなど、様々な考え方があ る」(台東区)、「基準がある以上は、地元でもしっかり考えをまとめたい」(墨田 区)と、色の変更にも含みを持たせている。
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・・・・なるほど、"色々"問題があるものなんですね。
確かに、鮮やかな赤は目立ちますね。
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【吾妻橋】
創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。
江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したものである。
長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残る。
1786年(天明6年)7月18日の洪水の際に永代橋、新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中で無傷で残り、架橋した大工や奉行らが褒章を賜ったという。
その後幾度かの架け替えが行われたようである。
橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれた。
これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。
しかしながら、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。
いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。E69db1e983bde5908de6898020e99a85e79
この最後の木橋は1885年(明治18年)7月の大洪水で初めて流出した千住大橋の橋桁が上流から流されてきて橋脚に衝突、一緒に流失してしまう。
そのために1887年(明治20年)12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋された。
鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。
後に関東大震災によって木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後1931年(昭和6年)に現在の橋に架け替えられた。002m
吾妻橋・・・・。
この橋の上から身投げをしろと若狭屋に言われた浜野矩随、飛び込むすんでのところで助けられた文七・・・・。
そういえば、現在
近くに建っているビール会社の本社ビルの黄色い巨大なモニュメントを、幼い頃の我が子らは「恐竜のウンチ」と言っていました。

2014年4月 8日 (火)

演読稽古

師匠のブログで、日曜日の落語っ子連の稽古会。
流三(りゅうざ)
[一人酒盛]、演読稽古。
この噺も圓窓の工夫があり、主人公が完全一人称で台詞を語り、落ちになるという。
この「演読稽古」というのがミソなんです。
師匠は普通「読ませ稽古」あるいは「読み稽古」と表現されるのですが、「演読(えんどく)」と表現してくださいました。
以前、「抜け雀」の読み稽古をやった時、高座本を単に朗読するのではなく、出来る限り感情や身振りを入れてやっていた私を褒めてくださり、黙読・音読・朗読ではなく「演読」と名づけようということになったのです。
勿論、まだ台詞が頭に入っていない段階ですから、完成には程遠いのですが、場面設定や感情移入はある程度できます。
師匠に見ていただく貴重な時間ですから、効果的だと思うのです。

「通夜の猫」の感想

あるご贔屓から、とても嬉しいコメントを頂戴しました。Pho_000
土曜日は千早亭落語会お疲れ様でした。
Top11大盛会でしたね。
連員の皆さんの話芸を楽しみつつ、大変刺激になりました。
永久さんが演じられた「通夜の猫」聴き惚れてしまいました。
プロアマ問わず色々な与太郎を聴いてきましたが、うまく言えませんが、人として人間としての与太郎の奥行きの深さがとても心にしみました。涙が出ました。
以前聴かせていただいた「救いの腕」同様に、座布団の上の永久さんの回りに登場人物が、ストーリーが浮かび上がり引き込まれる感覚でした。
ありがとうございました!
こちらこそありがとうございました。
こんな感想をいただくと、思わず涙が出てしまいます。
途中で、高座本から逃げていた時期もあったし、出来ないかもしれないと弱気になったこともありましたから、感慨もひとしおです。
ある時師匠が「忙しくて稽古出来なかったと言い訳を言ってはいけない。今の段階をそのまま出しなさい」と仰っていたことがありました。
だから、今のベストが出来たかどうか・・・。
そんな中で、本当に嬉しいコメントでした。
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こんな感想をいただくと、照れくさいのと、落語に触れることが出来た、落語を演ることが出来る幸せを感じます。
さぁ、次のハードルがさらに高くなりました・・・・。

落語芸術協会の新真打

落語芸術協会の新真打は、柳家小蝠・神田京子・べん橋改め春風亭柏枝さんの3名だそうです。
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5月から真打披露興行を行うそうです。

2014年4月 7日 (月)

病院

午前中の病院は、実に賑やかです。
病院
今日は、健康指導を受けて来ました。
今まで、おかげさまで無頓着でいたので、大きな病院のかかり方も碌に知りませんでした。
考えてみると、家族も大きな病気や怪我もありませんでしたから。
実に能天気なものです。
指導されたことをしっかり守らないといけません。
家族や周囲に迷惑をかけないように。

「通夜の猫」の感想

ご贔屓に褒めていただい部分だけご披露します。

「通夜の猫(猫怪談)」の感想です。
とてもよかったです。
初めて聴く噺でしたが、大好きになりました!
与太郎がすごくよかったです。
・・・実は、与太郎は、「猫怪談」の数少ない音源から、入船亭扇橋師匠の口調を真似しました。
ちょっと声を鼻にかけて、ゆっくりめに喋る・・・。
師匠からは、噺が暗いから、与太郎を明るくやるようにアドバイスされていました。
テーマは、親孝行、介護というところでしょうか・・・。
親の下の世話をするのは、自分が乳幼児の時に世話をしてもらったお返しだという・・・。
稽古中でも必ず泣いてしまっていた場面・・・、やっぱり高座でも泣きました。

先輩の嬉しいご配慮

「千早亭落語会」に、寝蔵師匠(越児さん)と百梅さんが来てくださいました。Fujigawa_fuyu_3
寝蔵師匠は、明日が落語っ子連の稽古日だとは言うものの、わざわざ新潟から。
そして、先週の「深川三流亭」のBDを、最初に1枚だけ編集して持って来てくださいました。
「今度、田舎で鰍沢を演るって聞いていたから、映像を見ておけば参考になると思うから、みんなに送る前に作って来た」と言う訳。
「うわぁ~、ありがとうございます!」と感謝感激。
千早亭落語会が終わって、昨日視聴しました。
三流亭流三の「鰍沢」。
思うところは数多くありますが、ネタ下ろしの映像が見られて何よりでした。
あと10日あまり、しっかり練り直そうと思います。
先輩の温かいご配慮に感謝します。

「鰍沢」の感想

あるご贔屓から頂戴した、先日の「鰍沢」の感想。117274703515515287
「鰍沢」…とてもよかった。
特に夢の設定が秀逸だったと思う。
人はひどく疲れた時、怖い夢を見るものだし、夢に出てきたものは、あの雪の中で唯一の救いだった小屋の中で見たもの、会った人の風貌から喚起されている。
そういうことが伝わるような噺の組み立てになっていた気がします。
怖い夢なんだけど、決して不気味でなく、自然な感じがした。
こういう夢ってあるよなあ、という感じ。
人の真実の一面をみた気持ちになった。
すごく重厚な時間だった。
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・・・圓窓師匠のオリジナルの夢にする演出は、やはりそれなりに説得力があるものだと思います。

2014年4月 6日 (日)

永代橋から日本橋へ

稽古が終わり、門前仲町の駅で、越児さんと百梅さんと別れて、永代通りを日本橋に向かって歩くことにしました。
永代橋から日本橋へ
以前にはよく歩いていたのですが、最近ずっとサボっていましたから、本当に久しぶりの永代橋です。
永代橋から日本橋へ
両岸に咲く桜の木の下では、お花見をやゆっているのが見えます。
ところが永代橋を渡り終えようとした時、突然雨が降って来ました。
天候が変わりやすいと天気予報で言っていましたが・・・。
小さな傘をさして、暫く歩くと「霊岸橋」。
永代橋から日本橋へ
越児さんが稽古で演った「お花半七」で、半七が夜中に頼って飛び込んだ叔父さんの家が霊岸島でした。
半七はお花を振り切ろうとしながら、この辺りを小走りしたのでしょう。
雨が酷くなったので、茅場町の駅から地下鉄に乗りました。

落語っ子連稽古会

9時から12時までの3時間の稽古に、参加者は3名。
他の連の人に羨ましがられる環境です。
昨日の「千早亭落語会」で、遅くまで付き合ってくださった師匠も、早くからお元気に来てくださいました。
発表会直後の稽古なのと、千公さんは始業式の前日、仙三さんと新参さんは、落研OB会の「落語の舞台を歩く会」に出席のため欠席ということで、幸せなのは、越児・百梅と流三の3人。
越児さんと百梅さんは、「千早亭落語会」にも来てくださり、最初から最後まで聴いてくださいました。
Fw:
まず、百梅さんは、昨日の「千早亭落語会」で決めて、会場で高座本を買ったという「火焔太鼓」に、初見の読み稽古。
要するに正真正銘のぶっつけ本番の読み稽古です。
Fw:
師匠の高座本では、かなりの長講になりますから、さぞや足も痺れたことでしょう。
なんだかんだで、1時間ぐらい座っていましたから。
Fw:
途中で、師匠から色々なコメント、ご指導がありますから、メモを取りながら。
終わってからも、高座本を見ながら、何やらペンやスマホを使いながら、まとめていたようです。
Fw:
越児さんは、落語っ子連に入連する前に、落研の落語会で演ったことのある「お花半七(宮戸川)」。
持ちネタを再度演るのは、一層噺が練られますから、とても良いことだと思います。
Fw:
この噺、登場人物の位置関係が難しいので、そのあたりをチェックされていたました。
Fw:
そして流三は、「一人酒盛」と「明烏」の高座本を持って行きましたが、今日は"お酒を飲む"ことにしました。
師匠が、目を閉じて聴いてくださり、私の読みが終わると、「この噺も疲れるよ」と。
やっていて、噺自体の重さは感じませんが、5合の酒を飲むプロセスを作り上げるのがポイントです。
何と言っても、師匠の演出は、何と全て一人の台詞だけで噺を進めて行く"一人芝居"の形ですから、そのあたりを気をつけてやる必要があります。
12時ちょっと前、熊本から、紅巣亭メンバーの心童さんが到着。
Fw:
心童さんの「天災」も、かなり練りが出て来ました。
充実の稽古に、疲れも感じずにいることが出来ました。

師匠と落語談義

落語っ子連の稽古。
定刻の9時より早めに稽古場に着き、座布団を出したりしていると、師匠が入っていらっしゃいました。
「おはようございます。師匠、昨日の千早亭には、打上げまでお付き合いいただいてありがとうございました。」と、まずは昨日のお礼。
師匠と落語談義
師匠と二人きりでいる時は、何も喋らず黙っているだけでも、何か楽しい気がするのです。
師匠はこれから、午前中は我々落語っ子連の稽古、午後は「紅巣亭」の稽古ですから、1日で15人くらいの素人のご指導を、同じ和室でおやりになります。
プロの噺家さんですから、落語をお演りになるのは、一日何席もということがあると思いますが、人の噺、それも下手くそな素人たちのを聴くのは、かなりの体力・忍耐力が必要だと思います。
ところが、いつも楽しそうにしていらっしゃる・・・。
「あたしはね、昔から落語を演るよりも聴く方が好きなんだよ」なんて仰っていますが、それにしてもと・・・。
でも、それだから、数多くの連の素人の指導をしてくださることが出来るのでしょうから、我々にとっては実に幸せなことです。
師匠との会話は、やはり「大工調べ」の話題になりました。
先日、師匠が考えられた新しいストーリーに対して、私の意見を述べさせていただきました。
既成の「大工調べ」という噺の骨格を残すとすると、以下の3点
・与太郎は親孝行であること
・江戸っ子の啖呵は不可欠で、その啖呵をきるには強い原因が必要
 (啖呵の正当性が必要)
・いつものように情け深い超法規的な大岡裁きであること・・は、外せないと思います。
そうなって来ると、やはり勧善懲悪となり、誰かを悪人にしないといけません。
しかし、与太郎は落語国のヒーロー、江戸っ子の啖呵はこの噺の肝ですから、大屋さんを因業にするしかないと・・・。
例えば、与太郎は親の介護でなかなか仕事に出られず、店賃をためている、大家は、見舞いもせずに、店賃の催促ばかり。
介護の合間に来た仕事の手当は、巻き上げて店賃に入れてしまう。
それでも、店賃の滞納は増えるばかり。
棟梁が、母親がいくらか良くなったと聞いて、少し長期間の仕事を持って来てやる・・・。
棟梁が入れ知恵をした台詞を与太郎が大家に言って怒らすのではなく、ずっと下手に出ていたが、ふともらした棟梁の言葉に、大家が怒り出すという設定でどうでしょうか

こんなところをベースに、この噺は、ストーリーの整合性よりも、啖呵がメインになってしまっているという宿命から、噺を構成して行かなければいけないということなんです。
師匠も、「う~ん・・・・、あたしは大家を悪者にしたくないだれどねぇ・・・、でも、そうするしかないのかなぁ・・」。
「ところで、昨日の流三(永久)さんの通夜の猫を聴いていて思ったんだが、この噺の大家さんは良い大家さんなんだよな。だから、大家さんが全部悪人ということじゃないんだよな。・・・それなら正反対の悪い大家がいてもいいのかなぁぁ」。
・・・楽しい会話が続きました。

大横川の桜

盛りは過ぎましたが、深川の桜もきれいに残っています。
大横川の桜
そろそろ散り始めていますが、このあたりは両岸に桜が並んで咲いています。
今日はまだ9時前ですが、そのうちにこの川に、花見船が来ることでしょう。
大横川の桜
そして、花弁が川面に落ちると、見事な花筏になります。
大横川の桜
花のトンネルを通り抜けて、軽稽古場へ向かいます。

落語DEデート

悲しいことに?日曜日でも、いつもの時刻に目覚めました。
 ◇ 崇徳院    二代目三遊亭百生
Sutokuin昭和30年代の録音で、"サー"っという雑音が入っていたのが、かえって新鮮に思えました。
不思議と、いつも落語会の翌日の疲労は少なく、爽快とまでは行きませんが元気です。
噺の重さの違いなのでしょうか?
決して「通夜の猫」が容易で軽い噺だとは思いませんが、「抜け雀」や「鰍沢」の重さを痛感します。
今日は、落語っ子連の稽古日で、9時スタートですから、7時半過ぎには自宅を出ないといけません。

稽古に持って行く高座本

次の演目を決めなくてはいけません。
三流亭、千早亭、あおば亭のいずれで演るかはともかく。
既に師匠から譲っていただいている「一人酒盛」「明烏」「水神」を、とりあえず鞄に入れました。
後は、「蒟蒻問答」「二番煎じ」あたり。
演る場所が限られますが、「文七元結」「柳田角之進」「唐茄子屋政談」にもチャレンジしたいものです。

2014年4月 5日 (土)

千早亭の会場

12時30分に会場の千早地域文化創造館に集合。
とにかく身体中がだるくて、鞄の重さでよろけるように、やっとの思いでトボトボと千川駅から。
既に早千さんと竜太楼さんが来ていました。
3人で話を始め出すと、不思議なことに何となく今までの倦怠感が抜けていくのが分かりました。
さっきまで、あんなに身体が重たかったのに。

メンバー全員で会場設営。
今回からメンバーが2人増えたので、順調に仕上がりました。

窓からは、盛りは過ぎたものの、桜の花が見えます。

落語会が始まるまで、窓のカーテンを開けておくことにしました。
お客さまも、窓越しではありますが、お花見が出来ますから。

今回の新メンバーの工三(たくみ)さんが、出来上がったばかりの高座で、本番直前最後の稽古。
果たしてお客さまはたくさん来てくださるでしょうか?

 

 

千早地域文化創造館

千早亭落語会のベース基地は「豊島区千早地域文化創造館」。
千早亭の亭号は、勿論ここから取ったもの。
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師匠の落語体験教室から発展した扇子っ子連・千早亭ですが、今回が8回目の発表会ということになるはずです。
師匠が地元にお住まいなのと、館長さんはじめ当館の皆さんのご理解とご支援で、長く続けることが出来ていると思います。
下の写真は、吉窓さんの高座の様子ですが、近くの長崎神社にまつわるカルチャー講座の一場面のようです。
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朝起きて、稽古をしようとしたのですが、だるくて、頭痛がして、なんとなく熱っぽい・・・。
こういう時でもしっかりやること。
これが師匠が常々仰っていることです。

「落語ファン倶楽部」終刊

「落語ファン倶楽部別冊 東西全落語家 一門名鑑」が刊行されたそうなので、Amazonで注文しました。
東西全団体の噺家さんの写真入り系図付きだそうです。
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ところが、この「落語ファン倶楽部」は、これで終刊となるそうです。
この度、誠に残念な報告となりますが、高田文夫編集長のご了解を頂き、断腸の思いで、4月5日発売の「落語ファン倶楽部別冊」をもって、落語ファン倶楽部の終刊を決断するに至りました。
2005年7月に『落語ファン倶楽部VOL.1』は、皆様にご助力を頂いて刊行され、お陰様でブームにも乗り、良いスタートとなりました。
その後も、多くの皆様にご支援を頂きながら、あしかけ10年に渡り、さまざまな企画を展開させて頂き、過去21冊を刊行致しました。
長きに渡って継続出来たことは、皆様のお力添えあってのことと切に感じております。
改めて御礼申し上げます。
どうぞ、ご理解ご了承下さいますようお願い申し上げます。
今後も折に触れ、本誌「落語ファン倶楽部」をご愛顧頂ければなによりでございます。

・・・こんな挨拶文を読みました。
ある方がこんなコメントをされていました。
「落語の蔵」に続いて「落語ファン倶楽部」も。
東京を少し離れていたのでなんともいえませんが、全体的な勢いにかげりを感じてました。「落語ブーム」にのっかった動きが、少なからずうまくいっていないのでしょう。
「一部の人だけのもの」にしないために、考える時期ですね。
落語ブームというものが終わったということでしょうか。
私は、21冊のほとんどを持っています。
一生懸命読んだというより、落語関連本の積読という面が強いかもしれません。
本に編集長の個性が出るのは当たり前でしょうが、採り上げる噺家さん、評価する噺家さんが偏っていたり、際物の噺家さんをクローズアップしたり、概ね受け容れることは出来ますが、それが不満でした。

意地悪?洒落?思いやり?

ある落語会で、圓楽師匠が歌丸師匠のマクラから「短命」をお演りになったそうです。
ある方が「意地悪だなぁ」と思ったそうですが、閉演時に出口に掲げてある演題一覧を見たら「長命」って書いてあったと。
これって、落語の思いやりだと思います。
歌丸師匠のお弟子さんの枝太郎さんのツイート。
師匠は大丈夫です。ありがとうございます。
お一人お一人への返信はキリがないのですみません。
飲み仲間のみんなの党の議員から「アンタの師匠、大丈夫?ヤバイんじゃないの?」とメールがきて「アンタの先生、大丈夫?ヤバイんじゃないの?」と返したら返事がないよ。
うわ~ん。ごめんなさい。
洒落にならないかもしれません。

2014年4月 4日 (金)

桂歌丸師匠

「笑点」の収録の際、舞台の袖に看護士(医師?)が控えているという話を、メンバーの噺家さんが冗談交じりに言うのは、平均年齢が高いので、物凄く説得力があります。
新聞報道で、桂歌丸師匠が、「慢性閉塞性肺疾患」などのため入院したとありました。
先月下旬、大阪から新幹線で移動中にせき込んで胸の痛みを覚え、病院で診察を受けた結果、肋骨にもひびが入っていると診断されたそうです。
当面、寄席出演や「笑点」の収録などを休むということです。
薬物治療と安静が必要なため、2週間程度の入院とその後も2週間程度の自宅安静が必要という。
歌丸師匠は、「退院時期は未定ですが、体と相談しながら復帰を目指したい」と話し、22日の落語会での復帰を目指しているという。

77歳だそうです。
今までも腰や肺気腫などを患ったり、高座では気丈でも楽屋では・・・とか、とにかく静養していただきたいものです。
「慢性閉塞性肺疾患」というのは、代表的な慢性呼吸器疾患の一つであり、死よりも恐ろしい病気として知られている。
様々な有毒なガスや微粒子の吸入、特に喫煙などがきっかけになり、肺胞の破壊や気道炎症が起き、緩徐進行性および不可逆的に息切れが生じる病気である。
多くの場合、咳嗽や喀痰も見られる。

売れっ子の歌丸師匠だけに、国立演芸場の中席も、代演になっているそうです。

4月中席公演に出演予定の桂歌丸は、体調不良のため休演することとなりました。
何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。
なお代演は
 三遊亭小遊三[11(金)、12(土)、16(水)、17(木)、18(金)夜、
           19(土)、20日(日)]
 三遊亭遊三 [13日(日)]
 三遊亭好楽 [14(月)、15日(火)]
 三遊亭円楽 [18日(金)昼]     が務めます。
皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。
落語芸術協会の副会長でもある小遊三師匠と師匠の遊三師匠、笑点メンバーの円楽師匠と好楽師匠が代演です。

千早亭落語会のご案内

明日は、「第8回千早亭落語会」です。
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今から約4年前、豊島区のカルチャー講座「円窓の落語体験教室」の第1期受講生が、講座終了後も自主的に集い、師匠からご指南いただいているグループです。
扇子っ子連・千早亭として、豊島区千早地域文化創造館をベースに活動しています。
明日5日(土)午後2時開演です。
最後に師匠のお楽しみ一席もあり、入場無料です。
お花見帰りに、是非お立ち寄りください。

東京かわら版の演芸会情報

「東京かわら版」5月号の演芸会情報に掲載してもらうべく、演芸情報送付用紙とチラシ・プログラムをFAXで送りました。
どれぐらいの方がご覧になって、そのうちどれくらいの方がご来場されるものやら・・・。
どちらかと言えば、知人や友人の口コミの方が多いと思います。
集客効果というより宣伝効果に期待するものなのでしょう。
「あぁ、あのグループが落語会をやっているのか」という情報。

2014年4月 3日 (木)

10キロ減量

最近は「金髪ブ○野郎」ではなく、「明智光秀」?
NHK大河ドラマの「軍師官兵衛」に明智光秀役で出演している春風亭小朝さんが、役作りのために10キロの減量に成功したそうです。
・・・羨ましい。
実は、私もそれぐらいのダイエットをしないといけないのですが・・・、なかなか出来なくて。
先日、医者から厳しいことを言われて、いくらか目が覚めましたから、外見で分かるくらいのダイエットはして行こうと思います。
そうすれば、帯も短くならずに締められますから。

津波注意報

真夜中に出された「津波注意報」。
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15,000キロ以上離れた場所で起こった地震の影響ということですから、自然の力というのは物凄いものです。
東日本大震災の被災地と重なりますので、さぞや心配、さぞや怖いことでしょう。
ハワイでは、日本時間の昨夜遅く、最大55センチの津波が観測されたそうです。

2014年4月 2日 (水)

お江戸あおば亭のプログラム

志ん志師匠が、番組構成をしてくださいました。
しかも、タイムスケジュールまで書き込まれています。
 13:00 ・杜の家くるみ    小言念仏(約20分)
 13:20 ・破れ家笑児     紙屑屋(約17分)
 13:37 ・杜の家とん平    天災(約20分)
 13:57 ・南亭蕪生       親子酒(約20分)
 14:17   【 仲入り 】
 14:27 ・談亭志ん志     いかけ屋(約25分)
 14:52 ・恋し家古狂      二十四孝&踊り(約23分)
                 (踊り: かっぽれ・・約3分)
 15:15 ・喰亭寝蔵       酢豆腐(約25分)
 15:40 ・金願亭乱志    鰍沢 (約30分)
 16:10   【 打ち出し 】
早速、プログラムを作ってみました。
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今回のポイントは、今まで6回の全番組(演目・演者)を「お江戸あおば亭めもりーず」として入れました。
また、9月に仙台で開催予定のOB落語会のお知らせを、「創部55周年記念」として掲載しました。
私は、「鰍沢」を練り上げてみたいと思います。

向こう岸

南米チリ沖で起きたM8を超える地震が起こったそうで、津波が明朝に太平洋沿岸に到達する可能性があるとか。
津波が来た場合は注意報レベルで、高さ20センチから1メートルと予想。
1960年にも、チリ地震による津波で、三陸が大きな被害を受けていますし、3.11の記憶も新しいですから心配です。
津波が到達する場合、最も早いのは北海道東部で午前5時頃、関東では相模湾・三浦半島で6時頃・・。
チリという国も地震の多いところですね。

2014年4月 1日 (火)

「第7回お江戸あおば亭」出演者確定

「第7回お江戸あおば亭」出演者が確定したそうです。
志ん志師匠からのご連絡が入りました。
予てから通知していました通り、エントリーを昨日で締め切りましたところ、8名の方からエントリーがあり2時間55分の予定となりましたので、以下の通りお知らせします。20140228155712_00001 
 ・談亭志ん志    : いかけ屋(約25分)
 ・南亭蕪生      : 親子酒(約20分) 
 ・金願亭乱志    : 一人酒盛or鰍沢 (約25分~30分)
 ・破れ家笑児    : 紙屑屋(約17分)
 ・杜の家とん平   : 天災(約20分)
 ・喰亭寝蔵       : やかんor酢豆腐(約20分)
 ・杜の家くるみ    : 小言念仏(約20分)
 ・恋し家古狂     : 二十四孝&踊り(約23分)
               
  (踊り: かっぽれ・・約3分)
                        ※エントリー順

時間も正味約3時間ということで、ちょうど良いサイズです。
後は・・・・、番組です。

入社式

4月1日、桜花満開に咲く日。

我が社でも「入社式」が行われ、元気な若者が入社しました。

早速、会社の概要やコンプライアンスや人権、情報管理等についてをレクチャーしましたが・・、ほとんど理解できないでしょうねぇ。
でも、おかげさまで、声を出して喋るのは、良い稽古になっているのかもしれません。
不謹慎な・・・。

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