« キッチンイナバ | トップページ | 時そば?時蕎麦? »

2014年3月 4日 (火)

3月4日

昨年の今日、父が逝きました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/03/post-329d.html
Ncm_09971
身延山を仰ぐ部屋(病室)で、家族(母・妹・私)に見守られながら、朝早く(5時15分に)静かに息を引き取りました。
昨年は、3日が日曜日で、その前々日の金曜日から、万が一があるかもしれないと医師から言われたので、ずっと病院にいました。
日曜日の夕方、「明日1日だけ、仕事を休ませてもらおう」と妹と相談し、夜を明かした月曜日の早朝でした。
そのおかげで、最期を看取ることが出来ました。
この身延山の総門をくぐって、西方浄土へ旅立ちました。
Ncm_09791
あの日の富士山も、雲ひとつなく晴れ渡った空に向かって、いつものように聳えていました。
Ncm_09411
あれから1年、まだ後ろから肩を叩かれるような気がします。
この1年で、家族や親戚にも本当に色々なことがありました。
父だけでなく、父の実弟(叔父)、義兄(義伯父)も、父の後を追うように、相次いで亡くなりました。
一方、私の長女と長男が、それぞれ結婚しました。
父は結局、可愛い孫の結婚相手には直接会えませんでしたが、孫たちが結婚することを聞いて喜んでくれていました。
・・・と、弔事も慶事もありましたが、止めは先日の豪雪でした。
気丈だとは言え、独り暮らしになった母が心配になります。
特に、意識したつもりはなかったのですが、今稽古をしている「鰍沢」と「通夜の猫」には、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱える場面があり、「鰍沢」では亡き父親のことを語り、「通夜の猫」は育ての父を葬送する噺です。
失ってみて初めて、父親の偉大さに気がつくものなんですね。
両親の58年間の間で一番悲しかったのは、東北大学に進学する私を、未知の土地の仙台に残して帰る特急「ひばり」の車内だったそうです。
そして「頼んだぞ」・・・、それが私への父の最後の言葉でした。
・・・あの、とても悲しい日から1年が経ちます。
改めて、父に感謝する日にしたいと思います。

« キッチンイナバ | トップページ | 時そば?時蕎麦? »

家族・友人」カテゴリの記事