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2014年3月10日 (月)

義弟と

偶然なのですが、義弟(妹の夫)とは同窓です。
私が1年上なのですが、彼は理学部でもあり、学生時代は、お互いに全く知らない間柄でした。
実家は、福島県の中通りにありますので、「3.11」では、直接の被害はなかったものの、例の福島原発事故による風評被害などは、かなりひどかったようです。
昨日の父の法要で帰省した時に、法要が終わって見たテレビがどこも「東日本大震災」の特集をやっていたことから地震の話題になり、さらに「宮城県沖地震」の話題になりました。
1978年(昭和53年)6月12日(月)の17時14分25秒に発生したマグニチュード7.4の地震。
最大震度は仙台市などで観測した震度5(強震)であり、東京でも震度4(中震)を記録した。
これです。
当時4年生だった私は、前日、東京での「第1回全日本学生落語名人位決定戦」に参加していたので、その"凱旋報告"をしようとしていました。
落研の定例の部会が月曜日に行われるので、この日も、愛車の原付バイクに乗って片平キャンパスの会場に行きました。
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部室は川内キャンパスにあるのですが、会場(稽古場)は片平キャンパスの古い建物で、他にも邦楽部や茶道部や華道部も利用する部屋に入った途端、グラグラっと大きく揺れ始めました。
あの頃は、次に来るのは「東海地震」と言われていましたから、私は、自分のことよりも郷里のことが心配になりました。
地盤が固くて安全だと言われる仙台がこれだけひどく揺れたのだから、静岡あたり壊滅的な状態では・・と。
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義弟と話をしていると、当日は義弟も、部活で片平キャンパスにいて、地震に遭遇していたことが分かりました。
・・・と言うことは、あの時二人とも片平キャンパスで、200~300メートルぐらいの至近距離のところにいたということ・・・?
二人で笑いました。
彼と義兄弟の関係になったのは、その3~4年後のことでした。
縁というのは不思議なものです。

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