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2014年2月 7日 (金)

釈然としないこと

thinkちょっと前、一流のホテルやレストランでの食材偽装が問題になり、何の罪もない「バナメイエビ」ちゃんが気の毒でしたが、この数日騒がれている、聾のはずの作曲家の一件に至っては、大笑いです。
いずれの場合も、いつも偉そうなマスコミはじめ周囲が完全に騙されていて、一体何を見ているんだと思ってしまいます。
それにしても驚くのは、ゴーストライターだと告白したオジサンの実力ですよ。
「なんとかごーち」さんがイメージを伝えただけで作曲してしまうんですから、半端な実力ではないと思います。
手塚治虫さんの「ブラックジャック」みたいではありませんか。
それに、マスコミやらが「素晴らしい!」って絶賛して集まって来た訳でしょ?
でなければ、「ハンデがあるのに」という枕詞を付けての評価か、あるいは周囲に全く評価する力量がないということかですな。
それにしても、ソチオリンピックのフィギュアスケートで、この曲を使おうとしていた選手などは気の毒です。
そうそう、ソチオリンピックと言えば、あるアルペン競技の予選で、靭帯を負傷した選手を無理して出場させ、その選手が肝心の試合直前にまた同じ場所を悪くしてしまって棄権した話もありましたね。
私は、この選手が気の毒だとは思いますが、彼女の対応はちょっと違う気がするんです。
全治何ヶ月だと診断された選手を代表に選んだ側も、申し訳ありませんが出場を強行した選手本人も、ちょっと違う気がします。
電子メールで送信: 20140206-00000093-nksports-000-6-view.jpg
前回のオリンピックでも議論されましたが、勿論、本人の卓越した技量を試す場であることが最大の目的ですが、他の大会と異なるのは、国や地域を代表しているということ。
従って、全て自分の思いや都合が許される訳ではないということです。
もし、この選手と実力が拮抗する選手がいたとしたら、結果的にその選手の出場機会を摘んでしまったことになると思うのです。
さて、また件の作曲家の話題に戻りますが、何故騙されたのかという問いに、新聞・雑誌記者やテレビ制作者、視聴者・読者たちの「心理」をついた巧妙なストーリーだったと言う人がいます。
そもそもマスコミも日本国民も「ちょっと感動できる”いい話”」が大好きだ。
「全盲のピアニスト」など、ハンディキャップを乗り越えて活躍する「天才」は、見渡せば片手で足りないほど存在する。
音楽性そのものが評価されている、などと言いながらも、どこかでその「ハンディキャンプ」そのものも、その音楽家の「売り」のひとつになってしまっているのも確かだ。
少なくともコンサートに出かけ、CDを購入する側からすれば、その音楽家がもし「健常者」だったら、同じように熱狂するのかと問われた時、「障害を持っていること」がある種のバイアスをもたらして高く評価してしまう面がないと言い切れる人はよほどの音楽通なのだろう。

それぐらい、「障害を持ち、それを乗り越えた」という「天才」が、同じように「痛みを持った人たちを励ます」というストーリーはこの世にあふれ、それを欲する人々がいる。
佐村河内氏は、こうした日本人や日本のマスコミの「いい話好き」のメンタリティを利用して、多くの人に「ウケるストーリー」を作り上げ、その主人公を演じていたのである。
落語にも「ちょっと感動できるいい噺」は多くありますが、こんな姑息な騙しはありません。
与太郎も、例えば「心眼」の梅喜も、「三味線栗毛」の錦木も、ハンデは持っていても、生き方は、偽りのない「本式」ですから。
だから何百年も続いているのでしょう。

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